2015年07月04日

キリスト教教育懇談会

論壇        キリスト教教育懇談会       7/5/2015


 先週金曜日、表記の会議が関東学院大学で開催され出席しました。宗教主任の説明によりますと、関東学院はキリスト教教育に力を入れていて、毎日学校のチャペルで礼拝を行なっています。また他のミッションスクールと同様、小・中学生、高校生が教会の礼拝に出席することを生徒に指導しています。そのため課外授業として、日曜日に教会の礼拝に出席することを生徒に勧めています。また夏休みには必ず1回は、礼拝出席を義務づけ、レポートを書かせ、礼拝出席の証拠として、週報をレポートに添付することになっているそうです。


 この礼拝出席を一層向上させるためには、教会との交流と協力が必要であるとのことで、関東学院が横浜の諸教会に呼びかけて開かれました。今年で4回目です。当日は諸教会の牧師、教会学校の担当者など約60人、学院から教師や宗教主任など約30人、計90名ほどの会議でした。会議は学院長挨拶の後7つのグループ懇談会に分かれ、様々な問題や悩みの紹介、近況報告がありました。会議の目的は「生徒をもっと教会に出席させること、そのために学院と教会が連帯すること」ですから、双方の立場から要望が出されました。


 私たちの教会にも様々なミッションスクールの生徒が、課外授業の一環として礼拝に出席されます。多くは1回こっきりで終わりますが、継続して教会学校に主席する生徒もいます。ミッションスクールがキリスト教教育と伝道のために、生徒を「強制的に」教会出席させてくださることに感謝します。このような学校の応援があることは、クリスチャン人口1%の日本では大きな恵みです。学校ではこれを「種まき伝道」と位置付け、キリスト教の広い裾野を開拓してくださっています。


 教会への新来会者を調査した統計がありますが、それによりますと、大人の新来会者の80%以上が「昔、教会学校へ行っていたことがある」そうです。教会学校がいかに大きな働きをしているかが分かります。


 私たちの教会学校では、先週から新しいカリキュラムになりました。1年以上継続してきたテキスト、『キリスト教子ども教理問答』が終了し、新しい1年間の授業スケジュールを作りましたので、掲示板でご覧ください。また新来会者の子どもを見たら、「良く来たね」と優しく語りかけてください。子どもたちは最初の印象によって「ここには自分の居場所がある、ない」と感じるそうです。現代社会がどんどん殺伐化していく中で、教会が子どもたちの心の避難場所として機能するようになりたいものです。またそれ以上に教会が「神の家、真理の柱」(Tテモテ3:15)であることを、子どもたちに知らせねばなりません。

posted by 横浜中央教会 at 19:59| ◇論壇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月21日

クリスチャンの信仰寿命?

論壇       クリスチャンの信仰寿命?      6/212015


 週刊新聞誌『キリスト新聞』を半年講読することにしました(7900円)私たちの教会では、諸経費節約のため十数年ほど講読を中止していました。しかし先々週大会役員修養会の分団(グループ討議)で、日本のキリスト教界について話題になったとき、私がついていけないようなニュースがいろいろ出ました。他教派では青年伝道についてどういう取り組みをしているかということについて、私はほとんど知りませんでした。またインターネットのホームペイジや、教会案内、特別伝道集会のちらし作製の方法について、シリーズで掲載されていることを知り、それだけでも読んでみたいと思うようになったのです。


 さてこの時話題になったことの一つに、「日本のクリスチャンの信仰平均寿命は2.8年」という「常識」が教界マスコミで、伝道を考える時に引き合いに出されるそうです。私はこのうわさの出典を探しましたが、インターネットの情報によると次のようです。東京神学大学元学長、故松永希久夫氏がジーン・ストナーの著書に寄稿した論文『なぜ日本にキリスト教は広まらないのか』に、「洗礼を受けてから数週間か数年間で、教会に来なくなる人々が多くいる。東京のある教会で調べたところ、なんと信仰平均寿命は2.8年だったという調査結果が出たという」。


 この教会とはどこかと調べた人がいました。それによると1877年(明治10年)に設立された日本基督教団牛込払方町教会(新宿区)のデータだということです。この教会は非常に古い歴史を持つ伝統的な教会ですが、この1教会のデータだけをもって「日本のクリスチャンの信仰寿命…2.8年」とは言えません。しかし実際この数字はよく引用されており、言葉が独り歩きしている嫌いがあると、批判されています。


 私たちの改革派教会ではどうでしょうか。確かに洗礼を受けて数年で来なくなってしまう人、また他教派から転会してきて数年でやめていく人もいます。私はその原因はまず第1に、私たちの教会や礼拝のあり方にあると反省しなければなりませんが、もう一つは、洗礼、加入式の「誓約事項」に対する、その人の信仰の態度ではないかと思います。誓約は人の前ではなく、神様の前でなされるものです。「私は神様の前で、礼拝出席と教会の維持を約束したのだ」といつも自覚している、神を畏れるというキリスト教信仰の根本が薄れるならば、神の都合を考えないで自分の都合を優先し、ひいては教会から遠ざかっても心の痛みを感じないクリスチャンになってしまうのかもしれません。

posted by 横浜中央教会 at 13:25| ◇論壇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月13日

大会役員修養会

論壇          大会役員修養会         6/142015


 先週火〜木曜日、全国の改革派教会の教師と長老が豊橋に集まって、役員修養会を開き、伝道についての話し合いを行いました。改革派教会全体は、高齢化と少子化によって、ここ数年教勢が伸び悩んでいますが、この会に集まった役員も高齢化が進んでいました。


 会議の内容は伝道に関係する項目が盛りだくさんでした。@70周年記念宣言の文案について A神戸改革派神学校の定款改正 B聖恵会(聖恵授産所)の歴史と展望 C伝道者養成について、神学校と改革派神学研修所からの発題 D日本宣教について E大会伝道委員会の改組 F信徒が求めている伝道者像(長老8人による発題!) G証しとしての伝道 H青年伝道 I雀のお宿キリスト教会館(5000坪、改革派教会の財産)について、今後の使用法と維持修繕費 J集団的自衛権閣議決定に対して改革派教会はどう対処するか。


 これだけ並べたのですから、突っ込んだ話し合いの時間とはなりませんでした。しかし改革派教会にはこれだけの問題が山積しているということです。ホテルの私の宿舎は大会教師共済会委員会のメンバーと一緒でしたので、休憩時間にはこちらの会議も行ないました。


 パウロは弟子のテモテに「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい」(Uテモテ4:2)と命じましたが、「折が良い」時代などというものがあっただろうかと思います。パウロはアテネの路傍で説教しますが、その結果は、ほとんどの聴衆はあざ笑ったり「いずれまた聞かせてもらう」という反応で、「信仰に入った者も何人かいた」という程度です(使徒言行録17:32-34)。ペンテコステでペトロが説教した時には、一挙に3000人が洗礼を受けたことを考えると、伝道は結局聖霊の導き次第だということです。


 そう言えば昔、故榊原康夫先生が口癖のように言っていたことを思い出します。「教会はキリストの体ですから、成長するのが当たり前です。教会は聖霊の働きを邪魔さえしなければ成長するのです。」私たちが聖霊の示すとおりに喜んで礼拝に集うことが伝道になるのです。


 それならば「聖霊の働きを邪魔する」とはどういうことでしょうか。それは牧師が説教で人間の言葉を語り、御言葉を正しく説き明かさないこと、小さな声で讃美歌を歌うことなど、喜びのない礼拝ということがまず考えられます。またそれ以上に、教会の中での人間関係のもつれが大きく影響しているかもしれません。「へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考える」(フィリピ2:3)ことが今こそ重要です。

posted by 横浜中央教会 at 16:50| ◇論壇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月07日

東部中会一日信徒修養会

論壇       東部中会一日信徒修養会       6/7/2015


 9月21日、川崎市の麻生文化センター(小田急線新百合ヶ丘駅下車)で、東部中会一日信徒修養会が行われます。今から予定に入れて参加しましょう。昨年末、中会の教育委員会から私に、修養会の講師をするようにと依頼され、さらに講演題も「希望に満ちた福音宣教」と指定されました。まだ先のことだとのんびり構えていましが『修養会ニュース』を発行するので、6月14日までに講師の挨拶を書くように要請されました。もう残り3カ月です。当日のプログラムは、午前中は開会礼拝と私の講演、午後は賛美グループ「息吹」による賛美と芸術の集会です。今週火曜日に当教会で「息吹」実演グループの打ち合わせ会が行なわれました。今回の修養会は伝道がメインテーマなので、当日の準備を兼ねて、これから論壇で何回か伝道について思いつくところを書いていこうと思います。


 実は今週開かれる「大会役員修養会」の大きなテーマの一つも伝道です。私たちの教派全体の教勢は、ここ10年ほど、右肩下がりで伸び悩んでいますので、大会でも中会でも伝道について協議をしてきました。東部中会の伝道委員会は、中会の新規開拓伝道について計画を立てるのが本来の仕事ですが、今はそんな力はなく、伝道所に対する援助金を計算し、諸教会に負担金を振り分けることが主な仕事になっています。その上、首都圏でも伸び悩んでいる小さな教会が増えてきて、それをどう支援するかが大きな問題になっています。近距離にある二つ三つの教会を合併させて一つの教会にしようという具体策も出ているのですが、当事者の信徒たちにすれば、通い慣れた教会から離れてよその教会へ通うのは心理的にも負担が大きいようです。


 さて改革派教会では伝道、宣教についての神学的・理論的裏付けはもう十分に協議され尽くしたと思います。大会20周年宣言は「教会の生命は礼拝にある」と言い、「伝道」の項では「教会の生命は伝道の実践となって躍動する。…わが教会は…全日本、否、地の果てにいたるまで伝道を推進することを誓う」と大上段に宣言しました。また40周年宣言では「福音の宣教」、50周年宣言では「伝道の宣言」を発表しました。後は実行するだけです。


 しかし2006年〜2009年頃をピークに、改革派教会全体が伸び悩み始めました。その原因は高齢化と青年層の減少ですが、解決のための具体策を提案することが、今回私に与えられた任務の一つです。皆さんも私と一緒に考えていただき、改めるべきは改め、積極的なアイデイアを募り、皆さんが新しい勇気を持てるような「希望に満ちた福音宣教」のお話をしたいと思います。横浜中央教会と共に、東部中会の活動全体に目を向けて、どうしたら教会が成長できるかを考えましょう。とりあえずは私たちの教会で、どうすれば魅力ある礼拝となるか、自由に話し合いましょう。

posted by 横浜中央教会 at 09:17| ◇論壇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月23日

ペンテコステ

論壇           ペンテコステ         5/242015


 申命記は年に三度の祝祭日、すなわち除酵祭(過越祭=宗教暦の正月=現代の春)、七週祭(五旬祭、旬=10)、仮庵祭を祝うよう規定しています(16:16)。新約聖書では、過越祭はイエスによって最後の晩餐となり、十字架後の復活によってイースターの行事となりました。


 七週祭(シャブオット=7週の祭り)は、過越祭から49日経た翌日の50日目に祝われました。この祭りの最中に、エルサレムで弟子たちの上に聖霊が降る「聖霊降臨」事件が起きました(使徒言行録2章)。ペンテコステとは、ギリシア語で「50番目」を意味します。それで聖霊降臨記念日をペンテコステと呼ぶようになり、復活祭から(その日を第一日と)数えて50日後に祝われるのです。復活祭が移動祭日ですから、ペンテコステの日も毎年、五月初旬から六月上旬の間で移動します。レビ記には除酵祭の安息日に初穂と雄羊をささげ、「安息日の翌日から数え始め…50日を数えたならば、主に新穀の献げ物をささげる」(23章)と規定されています。つまり除酵祭には初穂をささげ、50日後には収穫感謝の献げ物をささげました。


 仮庵祭は7月15日から始まる7日間の祭りです。秋の収穫のための農作業で、畑に仮庵を作って寝泊まりしたことに由来します(レビ記23:3442)

以上、三つの祝祭日はどれも収穫感謝祭(春、初夏、秋)です。


 聖霊降臨日の出来事は「激しい風の音」、「炎のような舌」です。その結果「一同は聖霊に満たされ、ほかの国々の言葉で話し出した」のです。風は神の息、つまり聖霊で、あらゆる命の元です。「主なる神は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた」(創世記2:7)

 炎は神の臨在を表します。「柴の間に燃え上がっている炎の中に主の御使いが現れた。…柴は火に燃えているのに、柴は燃え尽きない」(出エジプト3:2)。イスラエルが荒野に旅立った時、「昼は雲の柱が、夜は火の柱が、民の先頭を離れることはなかった」(同1322)


 舌は言葉を表します。弟子たちが習ったことのない外国語を話したということは、これから、福音がすべての言葉で語られるということです。バベルの塔事件によって地上に散らされたすべての民が、あらゆる言語に翻訳された聖書によって一つの教会の民となるのです。


 最後の過越祭で、イエスは最後の犠牲、罪のない完全な羊としてささげられました(ヘブライ72627911142228)が、復活しました。これは教会の初穂です。そしてペンテコステの日に弟子たち、そして3000人の受洗者(使徒言行録241)が「新穀」としてささげられ、教会が爆発的に誕生しました。そしてイエスが再臨されるまで、すべての穀物(クリスチャン)が神の蔵に取り込まれるのです。

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2015年05月17日

フィリピ書梗概

論壇         フィリピ書梗概         5/172015

 

   先週のフィリピ書緒論要約に引き続いて、梗概を提供します。アズサ・

パシフィック大学神学部、新約聖書学教授ラルフ・マーティンによる分析です


1、手紙の宛先とあいさつ(1:1−2)


2、パウロの感謝と確信(1:3−7)


3、パウロの祈り(1:8−11)


4、パウロの遠大な志と喜び(1:12−26)

  A パウロの投獄の予期せぬ結果(1:12−14)

  B 動機−純真さと党派心(1:15−18)

  C 生と死の間のジレンマと確信(1:19−26)


5、フィリピ教会への勧告(1:27−2:18)

  A 外部からの影響力に直面しても、一致と勇気を持つように

    との勧告(1:27−30)

  B 分派に直面している教会へ、調和と謙遜の勧告(2:1−4)

  C キリストの「道」(2:5−11) 

    「キリストの謙卑と高挙」 当時の讃美歌の引用(立石補足)

  D 勧告の適応とパウロの模範(2:12−18)


6、将来の計画(2:19−30)

  A テモテの推薦(2:19−24)

  B エパフロデトの推薦(2:25−30)


7、警告と励まし(3:1−21)

  A パウロの警告と主張(3:1−3)

    突然の感情の乱れ(口述速記中、パウロにニュースが届いた?立石補足)

  B パウロの自伝(3:4−14)

   (1)パウロがユダヤ人として受け継いだもの(3:4−6)

   (2)過去の放棄、現在の目標と未来の希望(3:7−14)

  C 確信と行ないによる一致の呼びかけ(3:15−17)

  D 分派の教師を遠ざけよ(3:18−19)

  E クリスチャンの真の相続財産(3:20−21)


8、励まし、感謝、あいさつ(4:1−23)

  A しっかりと立つことと一致の勧告、奉仕への感謝(4:1−3)

  B 祈りと高貴な心への勧告(4:4−9)

  C フィリピからの贈り物への感謝(4:10−20)

  D あいさつ(4:21−22)

  E 祝祷(4:23)

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2015年05月09日

フィリピ書緒論

論壇         フィリピ書緒論         5/102015


 先週からフィリピ書の講解説教を始めましたので緒論を要約します。この教会はパウロの第2次伝道旅行(AD50年頃、使徒言行録15:3618:22)のヨーロッパにおける初穂でした。フィリピは「マケドニア州第1区の都市」で、ローマの植民地でした。この名前はマケドニア王フィリポスU(アレキサンダーの父)に因んでつけられました。この都市はローマ帝国でのシーザー暗殺(BC44)後、アゥグストゥスが最初の皇帝になるまでの2回の戦争(BC42、フィリピの戦い、31:アクティウムの海戦)での退役軍人を入植させるために開発された都市で、誇り高い町でした。人口構成はローマ人40%、マケドニア人40%、残りが奴隷と少数の異民族、そして離散のユダヤ人だったようです。


 教会の最初の会員は「ティアティラ市出身の紫布を商う」リディア(使16:14)ですが、フィリピにはユダヤ人は少なく、シナゴグがなかったので「川岸の祈り場」が集会場所でした。この教会が大きくなると、パウロとは特別懇意な教会になりました。パウロは「私がマケドニア州を出たとき、もののやり取りで私の働きに参加した教会は、あなたがたのほかに一つもありませんでした」(4:15)と書いています。


 フィリピの教会はパウロが入獄したと聞くと、エパフロディトを派遣しましたが、ひん死の病気になって、教会員たちは心配しました。それでエパフロディトを帰すと共に、パウロのそばに仕えていたテモテを遣わしてフィリピ教会の問題にあたらせることにしました(2:19-30)。


 パウロが入獄していた場所と年代は学説が分かれていますが、ローマなら60年頃、カイザリアなら57-59年頃、エフェソなら55年頃です。ローマ説が有力なのですが、ローマとフィリピの間は距離が有り過ぎること、パウロの監禁が「兵営全体に知れ渡った」(1:13)とあるが、これは「親衛隊全員」(新改訳)という意味であるから、ローマの親衛隊9000人全員が知るはずがない、などの反対もあります。


 フィリピ教会の問題とは、本文から想像すると、パウロに敵対する人たちがいたようです。3:2からは様子がガラッと変わって「あの犬どもに注意しなさい」という激しい言葉が出てきます。それは「切り傷にすぎない割礼を持つ」ユダヤ人たち、また「何か別の考え方」(3:15)をする人たちです。また信者同士の争いもあり(1:272:24:2)、思い煩う人もいて(4:6)、パウロは「人を見ずにキリストを模範にせよ」と説いています。


 パウロの監禁されている場所では「ねたみと争いの念にかられて、キリストを宣べ伝える」者、「不純な動機からキリストを告げ知らせる」者たちもいた(1:1517)という複雑な背景があります。

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2015年05月04日

憲法記念日に思う

論壇        憲法記念日に思う        5/3/2015


 1947年5月3日、日本国憲法が施行され、翌年からこの日が憲法記念日となりました。それまで日本を支配していた「大日本帝国憲法」では「天皇は陸海軍を統帥する」最高指揮官、元首でした。また個人の良心、思想、宗教の自由などの権利は制限され、男女同権ではありませんでした。この旧憲法は中央集権政治体制を構成する天皇主権の要でした。


 敗戦後に作られた新憲法では、戦争放棄が9条において明確にうたわれ、個人の基本的人権、信教の自由が保障され、国家はいかなる宗教にも加担してはいけないと定められました。


 この憲法の下で諸法律は作られるのですが、法律と憲法の違いは何か。それは法律は、国家が国民に対して、権利や自由を制限するものですが、社会の秩序を守るためのルールであり、私たちの権利、自由を守るためのものでもあります。しかし憲法は、国家権力が好き勝手な法律を作らないように歯止めをかけ、国民の自由を国家権力の暴走から守ることを根底としています。このように憲法で国家権力を制限して人権を保障することを立憲主義といいます。


 従って国家権力から見ると、憲法は目の上のたんこぶのようなわずらわしいものです。自民党が提出している改正憲法草案を見ますと、憲法が国家権力を縛るという根底を逆転させ、立憲主義を崩し、国民を縛るものとしようとしていることが明白です。


 具体的には、前文で天皇を元首と位置付け、「国防軍を保持する」ことを明記しました。国会で社民党の議員が叫んだように、政府は「戦争法案」を作り、戦争ができない国から戦争をできる国に変貌させようとしています。また現憲法13条では国民は「個人」として尊重されるとありますが、自民党草案では「人として尊重される」と後退させました。これは集合体としての「人」であり、個人がなくなり、「家族」そして天皇を頂点とする「家族国家」へと価値観を移させたいのです。「皆一緒」として、画一性の中に閉じ込め、異質性を排除し、個人の価値観を認めない戦前の国家体制を復活させ、国民主権を後退させています。


 また現憲法20条の「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、または政治上の権力を行使してはならない」は、自民党草案では「ただし、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超えないものについては、この限りではない」と加え、戦前の「神社は宗教にあらず」が復活することになります。公共の建物の地鎮祭などでは神道行事が大手を奮うことになります。戦前の国家神道はもうそこまで復活しようとしています。

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2015年04月25日

「日本基督改革派教会創立宣言」解説

論壇    「日本基督改革派教会創立宣言」解説   4262015


 1939年「宗教団体法」が成立し、文部省宗教局長は、教会数50以上、信徒数5000人以上でなければ教団として認可しないこと。それ以下の教団は結社扱いとし、文部省ではなく警察の直接統治下に置くことを発表しました。これにより日本のプロテスタント教会は「日本基督教団」に加盟せざるを得ない状況に追い込まれました。敗戦後1945年、アメリカ占領軍GHQは「治安維持法」と「宗教団体法」の廃止を命じました。


 1946年、日本基督改革派教会は日本基督教団から最初に脱退して新しい教会を創立し「創立宣言」によって内外にその意義を表明しましたが、それは内部に向かってというよりも、外に向かっての「趣旨説明」という目的の宣言でした。しかし時がたつにつれこの宣言は教会内部での自己確認と方向性確認のための宣言という要素が大きくなりました。


 創立宣言には二つの主張があると言われます。それは@有神的人生観・世界観を、教会と個人の信仰の基礎として確立すること。これは戦前の教会が、十戒の第1戒「汝、我の外に何者をも神とするべからず」を守れず、国家の強制による神社参拝に屈したことの反省によります。この「戦責告白」を明確に表明して出発した戦後のプロテスタント教会は少ないのですが、その最初の教派は日本キリスト改革派教会でした。


 A具体的な教会形成は「信仰告白」「教会政治」「善き生活」の三者によって具現される。そのため改革派教会は「教会憲法」の作成に全力を傾けてきました。具体的には信仰の中身確定のための「信仰規準」、これは前文つきの「ウェストミンスター信仰基準」を採用しました。また教会政治のための「教会規定」を作成しました。これには「政治規準」「礼拝指針」「訓練規定」の三つがあります。私達の教会憲法は「信仰規準」と「教会規定」の二つから成り立っています。これを図示すると下記のようになります。


教会憲法=信仰規準(ウェストミンスター信仰基準=告白、大小教理問答)


     教会規定(政治規準、礼拝指針、訓練規定)


 創立宣言の主張点をさらにあげるなら、宗教改革者カルヴィンの改革運動を現在に継承するということです。カルヴィンは宗教改革を個人の回心にとどめず、教会の礼拝と政治と、組織の改革を徹底させました。当事のジュネーブ教会はジュネーブ市議会の支配下にありましたが、カルヴィンはそれを独立した組織とし、教会行事、人事を教会の手に取り戻しました。また教育を重んじ、毎日聖書の講解をし、教理問答を作ることによって会員を教育しました。   

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2015年04月18日

日本プロテスタント教会史

論壇       日本プロテスタント教会史     4192015


 次週の礼拝で「日本基督改革派教会創立宣言」を朗読しますので、本日と次週、2回の礼拝説教でこの宣言を学びます。私たちの教会のルーツを学びましょう。日本には2回キリスト教宣教が行なわれました。第1回はローマカトリック教会の宣教で、1549年にザビエルが鹿児島に到着し、最初の教会が1555年府内に建てられますが、豊臣、徳川幕府と続くキリシタン禁教令で、1619年には長崎にあった最後の教会が取り壊され、第1次宣教は終わります。以下は第2次宣教史のダイジェストです。


1853:ペリー浦賀に入港  1858:日米修好通商条約調印(安政の大獄)

1859:リギンズ、ウィリアムズ、ヘボン、ブラウン、シモンズ、フルベッキ来日(安政6年)

1870:メアリー・キダー宣教師、ヘボン診療所で授業開始(→フェリス和英女学校)

1872:最初のプロテスタント教会「日本基督公会」設立(明治5年)

1873:キリシタン禁制高札撤去   1875:横浜海岸教会大会堂建設

1877:日本基督公会、日本長老教会、スコットランド一致長老教会、合同し、

    日本基督一致教会成立(→1890=日本基督教会と改称)

1880:横浜山手にブリテン女学校創立(→1886:横浜英和女学校)

    新約聖書(明治元訳)完成(1887:旧約聖書完成)

1884:東洋英和女学校創立  1886:英和女学校(捜真女学校)開校

1891:内村鑑三不敬事件(教育勅語奉読式で最敬礼せず)

1893:田村直臣牧師の「日本の花嫁」事件(日本基督教会、田村を除名)

1894:日清戦争   1904:日露戦争

1905:講和条約不満とする群衆騒動による教会堂破壊焼却事件

1914:第1次世界大戦、 1923:関東大震災、 1931:満州事変

1938:日本基督教会大会議長富田満、朝鮮で神社参拝を命令。朝鮮耶蘇

    教老会総会で強行採決、反対した者2000名投獄

1939:宗教団体法可決成立。プロテスタント教会合同の圧力。日本基督教会第

    54回大会で田中剛二、岡田稔、常葉隆興、春名寿章、川島専助、

    松田輝一ら(改革派教会創立メンバー)反対

19416/24=日本基督教団創立総会  12/8=日本軍の真珠湾攻撃

1942:統理の富田満伊勢神宮参拝。礼拝時の「国民儀礼」を教会に通達

19455/8=ドイツ降伏、8/15=日本敗戦、8/1713人の投獄牧師出所

      (朝鮮で50人以上の牧師が獄死) 10/19=ドイツ・シュツットガルト宣言

19464/28=日本キリスト改革派教会創立。創立宣言

1951:横浜海岸教会、改革派教会へ加入。1952:脱退(負担金が原因)

1967:「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」

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2015年04月11日

書評『日本史教科書の中のファンタジー』

論壇   書評『日本史教科書の中のファンタジー』  4122015


 表題の本の副題は「美しい国の歴史は学校で作られる」です。私たちが学校で教わってきた日本史が、いかに事実とかけ離れたファンタジー(幻想、虚構、おとぎ話)であったかを痛烈に暴き立てています。著者の岡田明さんは都立高校教諭で、日本史を長く教えてこられた経験から、日本史教会書がいかに虚構を教えてきたかを告発しておられます。


 今までの、古墳、飛鳥、奈良、平安、鎌倉、室町、安土桃山、江戸、明治、大正、昭和という時代区分は、思い込みを養う時代区分であった。それは「日本という国は4、5世紀の大和に成立してからずっと一本の流れのように続いてきた。幕府はいくつか滅んだけれど、天皇家だけは途切れずに続いてきた」という思い込みを涵養してきたのです。


 事実「万世一系」の天皇家などというのは幻想で、実際には4回もの断絶があった(770年:天武系天皇家断絶、1392年:南朝系天皇家断絶など)。特に安徳天皇が壇ノ浦で源氏に殺された(1185年)ことは誰でも知っています。また天皇家のルーツに関しては、教科書の記述は実にあいまいであった。今では天皇家のルーツは、朝鮮から来たことは周知の事実なのに、宮内庁はこれを隠して古墳の調査を拒否している。大和朝廷は、文明と技術がすぐれていた朝鮮から渡来してきた民族が日本を支配したか融合してできたのですが、教科書はこれを隠してきた。


 明治政府は「天皇制」を作るにあたり、記・紀神話(古事記、日本書記)にもとづいて神武から始まる人たちに天皇ナンバーを振っていったが、2〜9代では極端に長すぎる寿命となってしまった(5代=113歳、6代=137歳、7代=128歳、8代=116歳、9代=111歳など)。従って天皇家の歴史は科学の領域ではなく信仰の領域である。


 明治時代に作られた天皇のイメージを誰が作ったかでは、西欧に留学してキリスト教に触れた岩倉具視、伊藤博文、井上毅、森有礼らの合作で、特に天皇にちょんまげ断髪を勧めたのは岩倉であり、明治天皇の写真(御真影)を和装ではなく、西洋の軍服姿で撮らせたが、明治天皇は大の写真嫌いで写真を拒否したため、イタリアから招かれた写真技師が軍服姿で撮った自分の写真の顔部分に、天皇の顔をスケッチしたものをはめ込んだというのです。従って写真ではなく肖像画でした。この顔は西洋と日本の融合として、キリストの顔をイメージさせました。かくして「新興宗教、天皇教」は、「御真影」と「教育勅語」によって日本に植え付けられていきました。

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2015年03月30日

イエスが十字架を自覚したのはいつからか

論壇:イエスが十字架を自覚したのはいつからか(家庭集会メッセージ要約) /29/2015


「十字架」(σταυροs)は、新約聖書に名詞で27回登場。動詞では46回。内、福音書で50回。イエスの十字架刑の場面以外で使われるのは6回のみ。@「自分の十字架を担って私に従わない者は、私にふさわしくない」(マタイ1038) A「私について来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、私に従いなさい」(マタイ1624)B「人の子は…引き渡される。…十字架につけるため… そして…三日目に復活する」(マタイ2019)C「私の後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、私に従いなさい」(マルコ834) D「私について来たい者は、…日々、自分の十字架を背負って、私に従いなさい」(ルカ923) E「自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、…私の弟子ではありえない」(ルカ1427


イエスが5つのパンと2匹の魚を5000人にふるまった奇跡は、4つの福音書すべてに記載

   マタイ141321、 マルコ63044、 ルカ91017、 ヨハネ6115


ペトロの信仰告白は3つの福音書に記載: マタイ1616、 マルコ829、 ルカ920


イエスはペトロの信仰告白後に三度、自分の死と復活を予告する:3つの福音書に記載

マタイ162117222018  マルコ8319311032  ルカ9229431831

以上を整理すると:イエスが十字架という言葉を初めて使う背景は、マタイ1038を除けば(ほのめかした?) 5000人の給食 → ペトロの信仰告白 → 死と復活の予告 →「十字架を負うべし」という命令の順になる。


イエスにとって5000人給食事件は何であったか

 イエスの奇跡中、4福音書の共通記事は復活を除くとこの事件だけ。イエスは群衆の「飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ」霊の食べ物(説教)を与えた後に、肉の食べ物をも与えた。しかしその結果は「弟子たちを強いて船に乗せ」群衆から隔離せねばならないほどのパニックが生じた。


従って、マルコ64445は連続して読まねばならない

 根拠=「強いて」(αναγκαζω)は新約聖書で9回登場。それぞれの日本語訳は「強いて」「無理にでも」「無理にそうさせた」「強制」「強要」「無理やり」「やむをえず」。

 従ってこの事件は、「自分の弁当をイエスに差し出した少年」に触発された群衆が、「自分の弁当を隣人と分け合って食べた」という麗しい話ではない。本当にパンが増えるという奇跡を群衆は目撃した。腹をすかせた群衆のために「良かれ」と思ってなされたイエスの奇跡の結果、群衆はイエスを自分たちの「王にするためにつれて行こう」とした(ヨハネ6:15)。人々を救うのはイエスの奇跡の力ではなかった。人々を不幸な環境から救うのではなく、罪から救うためには、すべての人類のための身代わりの罰(死)が必要。このことをイエスがいつから自覚したかは分からないが、給食事件、ペトロの信仰告白、その後のペトロへの叱責「サタン、引き下がれ」(マタイ1623)を経て、これは深い確信となったのではないか。イエスは、人類の罪を背負うためには、自分が「木にかけられた者」(申命記2123)として神の呪いを引き受けねばならないという最終的覚悟を、この後持つに至ったのではないだろうか。

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2015年03月26日

エフェソ書講解説教の終わりに

論壇:     エフェソ書講解説教の終わりに     3/222015


 昨年11月9日から始まったエフェソ書連続講解説教は、本日を入れて全17回で終了します。この間緒論めいた解説を論壇で4回しましたので(201411/9162320152/15)もう一度読み返して、理解を深めてください。


 エフェソ書はパウロの遺言説教で、パウロ神学(福音教理の骨子)のエッセンスが凝縮されています。キリスト教を最も熱心に迫害したユダヤ教のラビ(教師)サウロが、復活のキリストに出会い、キリスト教の宣教者へと180度変えられた劇的な回心を遂げたのは、およそ紀元33年頃です。それからおよそ30年間、生涯宣教旅行を続けたパウロは紀元65年頃、おそらくネロ帝の迫害の中で殉教しました。


 この宣教旅行の間に、パウロの思想と福音理解(神学)は発展していきましたが、最初の復活のキリストとの出会いが決定的なものでした。パウロは、自分が復活のキリストと出会った最後の人物であると自覚しています(Tコリント15:8)。コリント書の執筆は55年頃ですから、それまでの20年間を振り返り、自分の体験がキリスト教会にとって独特なものであると自覚したのでしょう。この時のパウロの体験を列挙すると、


@、復活のキリストは、「なぜ教会を迫害するのか」とパウロに言ったのではなく、「なぜ私を迫害するのか」と言われた(使徒9:4)。すなわちキリスト者共同体がキリストの体である。


A、十字架で死んだイエスが、神の力によって復活しているのだから、イエスは「神の子」「メシア(キリスト)」である。


B、イエスはしばしば安息日律法を破って病人を癒された。クリスチャンたちも、ファリサイ派的な意味で律法を守っていない。従って救いは律法を守ることによるのではなく、キリストを信じる信仰による。


C、従って、救いは割礼の有無、ユダヤ人、異邦人の区別によらない。


D、ユダヤ人たちが切望していたメシアは、ナザレのイエスによって現われた。そのイエスが復活したのであるから、歴史は最終段階に入った。すなわち今は終末時代である。従って神の国完成に向かって一人一人が心備えをしなければならない。


 以上のパウロ神学の骨子は、エフェソ書にすべて網羅されていると言えます。「時は満ち、頭であるキリストのもとに一つにまとめられ」(1:10)、私たちも「キリストと共に復活させられ」(2:6)、すべての人類は「新しい人に造り上げられる」(2:15)。従って私たちは神の国の住民としてふさわしい「新しい生き方」をしなければならない(4:22)

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2015年03月15日

ジュネーブ教会信仰問答と聖餐式

論壇:    ジュネーブ教会信仰問答と聖餐式     3/152015


 夕礼拝では2012年5月20日から『ジュネーブ教会信仰問答』の連続講解説教を続けてきました。いよいよ本日と次回で終了します。この問答書は55聖日で構成されていますので、55回に分けて説教しました。


 ジャン・カルヴァンはルターに26年遅れて生まれ(1509)26歳の時に『キリスト教綱要』を書きました。同年カトリックの迫害を逃れ、フランスからイタリアへの亡命旅行途中、ジュネーブに立ち寄ったところ、ファレルに請われてジュネーブの教会改革のために働くことになりました(1535)。カルヴァンは子どもの教理教育の重要さを感じ、1541年から教理問答をいくつか書きます。『ジュネーブ教会信仰問答』をフランス語で出版したのは1545年で、同年にラテン語版も出版しました。多くの病で苦しんでいたカルヴァンは、55歳で召されました(1564)


 『ジュネーブ教会信仰問答』は全部で373問から出来ていますが、309問から最後までは聖礼典を取り扱っています。実に全体の17%にあたる64問が洗礼と聖餐式に関する問答です。つまりこの問題が宗教改革運動の中で最重要問題だったわけです。ジュネーブ教会で、不信仰な生活をしている人々が聖餐式に平気であずかっている姿を見て、また逆に礼拝に来ない者たちを見て、カルヴァンは憤りを感じたのでしょう。


 363問では「聖礼典にあずかることを少しも欲しない人を、どう判断すべきか」と問うて、「キリスト者と見なすべきではない。なぜならその人は、キリスト者であることを告白しようとせず、暗黙のうちにイエス・キリストを否定しているからです」とストレートに答えています。

 しかし同じことを私が発言したら、どういうことになるでしょうか。おそらくこの教会のみならず、中会・大会でも大変な問題となるでしょう。「聖餐式を守ろうとしない者は、キリストを否定する者だ。」そんなことを私は決して言いません。ここはジュネーブではありませんし、宗教改革時代でもありません。しかし聖餐式を守ることの重要さは、声を大にして叫ばねばならないのです。


 礼拝を長く休んでいる会員たちに対して、小会では涙をもって祈り続けています。どうしたら礼拝に戻って来てくれるだろうかと、長老さんたちはため息をつきながら、指導の困難さを嘆いています。カルヴァンは非常に強い調子で、聖餐式を守ることの重要性を教えました。それは聖晩餐が「主を所有する」(342)こと、「我々の信仰告白の印」(362問)であるからです。聖晩餐をいただこうとしない者の信仰は育たない。このことをもう一度真剣に考えましょう。

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2015年03月07日

神奈川伝道協議会

論壇:         神奈川伝道協議会        3/8/2015


 東部中会は「50周年記念宣言」(2001年)で「3月第2主日に各地区で伝道協議会を開催する」と定め、各県や地域ごとの研鑽と学びを奨励しました。神奈川地区ではこれ以前から、合同ペンテコステ集会が行なわれていました。記録に残っているのは2003年からですが、2005年からはずっと私が企画運営してきました。2008年に関東学院グレセット・チャペルで行った時は最高の166人が参加しました。これは皆様の記憶にも新しいところでしょう。2009年からは、合同ペンテコステ集会をやめて伝道協議会に集中することになり、下記のような活動を行ってきました。


2009年:講演「伝道−改革派教会はこれからが出番である」(潮田純一)

     第2部:横浜中央教会の賛美演奏     関東学院小学校礼拝堂

     第3部:各教会代表長老によるパネル・ディスカッション

          「伝道をさらに深く考える−今、具体的にどうするのか−」


2010年:講演:「教師の引退と牧師の招聘」(川杉安美)

     発題:「首都圏の開拓伝道−いずみ伝道の場合」(小宮隆長老)

     第3部:座談会(3名の長老と2名の教師)    横浜中央教会


2011年:講演:「幻の65周年記念宣言と神奈川中会の幻」(立石章三)

     第2部:「横浜中央教会の教会学校再建」     横浜中央教会


2012年:講演:「異教社会への改革派的宣教戦略」(ラウア宣教師)

     第2部:長老5名によるパネルディスカッション

        「これからの神奈川伝道をどうするか」     横浜教会


2013年:講演:「目指す教会の姿とは」(林豊彦)

     第2部:各教会毎の讃美演奏            青葉台教会


2014年:講演:「教会形成と伝道」(田中茂樹)

     第2部:全体討議                  横浜教会


2015年:講演:「日本伝道の課題について考える」(山村貴司)

     第2部:全体討議                 青葉台教会


 東部中会諸教会の年報を見ますと、どの教会も高齢化と伝道の不振に苦しんでいますから、互いに知恵を出し合い、神奈川地区の交わりを深め、伝道に励みましょう。本日の協議会に皆で奮って参加しましょう。


 青葉台教会の礼拝堂の作りは、私たちの新会堂の設計図とよく似ている部分がありますので(天井)、会堂見学することによって、私たちの会堂作りのヒントになることもあるでしょう。そういう意味でも興味を持ってご参加ください。なを新会堂が完成しますと、来年の会場は横浜中央教会となるでしょうから、受け入れ側として、準備のための下見という意味もあります。

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2015年03月01日

これからの説教予定

論壇:        これからの説教予定       3/1/2015


 昨年の11月9日から、エフェソ書の連続講解説教を始めましたが、先週で12回行いました。終講に近づきましたので、今後の予定を考えました。特に日本キリスト改革派教会創立(1946年4月29日)記念日礼拝(今年は4月26日)が近づいてきましたので、この日に合わせて、2回の「創立宣言」を解説する説教をしたいと思っています。具体的には下記のようなスケジュールを小会に諮り、許可を得たいと考えています。


3月/8:エフェソ6:10−17

   15:  〃 6:18−20

   22:  〃 6:21−24(終了)

   29:受難週礼拝

4月/5:イースター礼拝

   12:「神の歴史」詩編106編など(自省的歴史観と聖書)

   19:「日本キリスト教史」(創立宣言の背景)

   26:「私たちの教会の原点」

     (日本キリスト改革派教会創立宣言が目指すもの)

5月/3〜:新しい連続講解説教開始


 昨年創立宣言を礼拝で朗読しましたが、わけの分らない古文をなんで長時間かけて読むのか、という疑問が出されましたので、私たち改革派教会のアイデンティティ(自分が何者であるか)を確認するためにも、一度宣言そのものを解説する説教が必要だと感じました。


 さて神の民イスラエルの信仰の原点は出エジプトの事件でした。イスラエルは奴隷の地エジプトから「鷲の翼」に乗せられて、神様のもとへ連れて来られたのです(出エジプト記194)。しかし砂漠を流浪する間に、紅海渡りの奇跡を体験しなかった世代が起こってきました。それで神様はモーセに「過越祭」を毎年行うよう命じたのです(12章)。それは出エジプト体験を持たない今後の世代に「信仰による出エジプト体験」をさせるためでした。だから子供に「この儀式にはどういう意味があるのですか」と問わせ、「これが主の過越の犠牲である」と答える「信仰問答教育」を子々孫々繰り返したのです(122627)


 「神の翼の陰に身を寄せる」という表現は、旧約聖書、特に詩編に繰り返し登場します(36:857:261:563:891:4)。どれも出エジプト事件がイスラエルの原点であることを思い出させるためでした。私たちも、改革派教会の原点が創立宣言にあることを、繰り返し次世代に語り伝え続けねばなりません。

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2015年02月22日

『信徒の手引き』を読みましょう

論壇:     『信徒の手引き』を読みましょう     2/222015


 本日の全員懇談会で取り上げるテキスト『信徒の手引き』は、大会教育委員会が昨年発行したものですが、1969年に発行された同名の書の拡大改訂版です。私が憲法委員会第3分科会委員であった時は、69年版改訂作業の話は流れてしまいました。その時の委員会の雰囲気では、キリスト教はマニュアル宗教ではないから、具体的な諸問題についてあれこれとマニュアルめいた教え方をしない方が良い。信仰の原理原則をしっかりと教育すれば、信徒は自分で応用問題を解けるはずだ、というものでした。


 今回出版されたこの書を見ますと、考え方の筋道が分るように書かれていますので、マニュアル本にはなっていません。信徒一人一人はこの本を読んで、教会生活とこの世の生活がダブルスタンダードにならないよう、自らの信仰のあり方を確認していただきたいと思います。とは言え、個々の具体的な問題も結構取り上げられていますので、頭から最後まで読み通すのがしんどい方は、百科事典的に用いても良いでしょう。しかし具体的諸問題の名称は目次には書かれてありませんので、項目だけ取り上げてみました(私の解釈と命名もあります)。皆さんは下記の部分をはさみで切り取って、表紙の裏にでも張り付けて活用してください。数字は頁数です。なお、財の管理や献金についての項目は、まだ抽象的で具体性が不十分ですので、『知恵ある生活』(榊原康夫著)で補ってください。教会図書に数冊あります。


 信仰生活の中心としての教会(20)、安息日(22)、主の日の礼拝(27)、説教(30)、聖礼典(33)、洗礼(35)、幼児洗礼(36)、聖餐(37)、感謝の応答(43)、賛美(43)、祈り(46)、祈祷会(51)、教会学校(53)、奉仕(54)、献金(5788)、伝道(59)、証し(6197)、教会政治(63)、小会(66)、人生の意味(69)、召命(70)、ディボーション(神との交わり、73)、命(77)、時の管理(81)、召しとしての職業(82)、財の管理(85)、貯蓄(89)、交わり(92)、証人(94)、レジャー(98)、家庭(103)、家庭礼拝(105)、結婚(108)、夫婦(109)、独身(111)、結婚準備(112)、婚約式・結婚式(113)、夫婦生活(114)、離婚(116)、出産(118)、養子縁組(120)、妊娠中絶(121)子供の教育(123)、子供の独立(127)、定年退職(129)、老い(129)、家族の死(131)、葬式・記念会(132)、再婚(135)、もてなし(136)、家庭集会(137)、異教行事との関わり(138)、創立宣言に見る善き生活(141)、善き生活(145)、教会と社会(151)、地の塩・世の光(156)、労働の祝福(158)、職業選択(160)、他宗教・習俗(162)、愛のディアコニア(執事的奉仕、164)、教会と国家(170)、平和(176)、ヤスクニ問題(179)、世界観(185)、生命の尊厳(191)、倫理(192)、人工妊娠中絶と死刑問題(196)、環境問題(197)、核問題(200)、終末観(202)、日本キリスト改革派教会小史(205)

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2015年02月14日

エフェソ書瞑想

論壇:          エフェソ書瞑想        2/152015


 エフェソはパウロが3回にわたる伝道旅行の中で、最も長く滞在した(紀元5255年)場所です(使徒言行録19章)。それなら、パウロには親しい友人がたくさんできたと思われますが、その割には、エフェソ書は他のパウロの手紙に比べて個人的挨拶がないので、パウロの真性書簡ではないと言う学者もいます。


 故榊原康夫先生は「彼自身が生んだ教会に宛てる場合は、むしろ先方の特定個人を名指ししないのが普通である。それは、今日の牧師が旅先から自分の仕える教会に手紙を書く場合を想像すれば、当然の配慮であるといえよう。だから、本書に個人的挨拶がないのは、パウロ著作否定の理由でもなくエフェソ宛てを疑う理由でもない」と言われます『信徒のための神学通信講座、新約聖書』。私は旅先から教会へ手紙を書いたことはありませんので何とも言えません。


 パウロの手紙とはパウロが自筆で書いたものではなく、口述速記者の聞き取りによって書かれました。ですから、コーヒーブレイクやトイレタイムには()しばしば脱線がありました。手紙の最後の挨拶の場面になると、筆記者が勝手に「この手紙を筆記したわたしテルティオが、…挨拶いたします」などと書き込むこともありました(ローマ書16:22)。


 エフェソ書はパウロ晩年の遺言説教とも言うべき「獄中書簡」で、パウロはこの時、おそらく手元にノートも本も持っていず、記憶力だけで「演説」したのでしょう。それを口述速記者が必死で書き取りました。従ってエフェソ書には、神学論文的な文章もありますが、神賛美の頌栄、祈り、具体的勧告が多彩に登場します。また「わたし」、「わたしたち」、「あなたがた」が混在しています。


 この手紙が演説的であるのは「こういうわけで」「さて」「だから」「そこで」という接続詞が多用されていることからも分ります。パウロは力を込めて語っているのです。翻訳では省かれている部分が多いのが残念です。手紙の中には実に多く旧約聖書が引用されています。パウロは聖書をほとんど暗記していますから、日常の会話の中に、聖書の言葉がポンポン飛び出して来るのです。私たちは日常会話の中にどれほど御言葉が出てくるでしょうか。


 これほどパウロが力をこめて伝道したエフェソ教会ですが、今は跡形もありません。私は2007年に訪問しましたが、ローマの遺跡ばかりで(アルテミス神殿、図書館、野外円形劇場など)、教会の遺跡はほとんどありませんでした。そのかわり山の上に「マリアの家」と称される、横浜中央教会の半分ほどの大きさの石造りの平屋建がありました。




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2015年01月31日

書評『聖書の教える教会教育』

論壇:      書評『聖書の教える教会教育』    2/1/2015


 東部中会教育委員会が、昨年秋に開かれた「教会教育研修会」での講演「聖書の教える教会教育」(川杉安美教師)をパンフレットにして、無料で配付してくださいました。大変良い内容ですのでお読みください。


 講演はまず、イエスの「大伝道命令」の目的は、洗礼と「教える」という「教育」によって人々を弟子にすることであり、洗礼後も継続した教会教育が必要であるという点から始めます。

 次に、教会教育とは聖書を教えることだと述べます。しかし聖書を教えると言っても、そこにはこの世の考え方が入り込んで来るから、聖書そのものに聞く姿勢が必要である。そのためには聖書の解釈が重要であり、聖書の全体、そして聖書の教理全体を教えねばならない。これはすべてのクリスチャンが生涯かけて学ばねばならないことです。


 これは私の持論ですが、日本のキリスト教界では旧約聖書を説教する教会ガ少ない。これでは「神を畏れる」ことが分らず、自分にとって都合の良い「神」理解と、甘えられるイエス像になってしまいます。


 次に著者は、教会役員の重要性と責任について述べます。教会の群れ全体に目を配り、狼や偽教師が入り込んできて群れを荒らすことが起こるし、内部からも間違った教えが生じてくるから、それらを見抜く力と信仰が役員に要求される。従って御言葉の学びに基づく教会教育は、「教会形成的」な教育でなければならない。


 著者はこの御言葉の学びについて具体的に「釈義」の方法を明示することによって、聖書を正しく解釈する方法について強調します。それは一言で言うと聖書の「文法的解釈」の重要性です。聖書の文章を文脈にそって、一つ一つの言葉を解釈しなければなりません。主語、述語を明確にし、形容詞、副詞、挿入語などが、どの言葉にかかっているかを確定するのです。著者はコンコーダンス(語句辞典)を用いて、その語が他の個所ではどういう意味で、どのように用いられているかという、説教者の日常の仕事を紹介しながら、御言葉を正しく理解することに基づく教会教育は、「成熟した人間」造りを目指すと述べています。


 最後に著者は、このごろの「駆け出しの先生方は、お話しがとても上手だが、聖書がその個所で教えていないことを語る場合もある」。つまり聖書をじっくり読んでいないと苦言を述べています。また学びは個人の趣味や好き嫌いなどというレベルではなく、教会が形成されるかどうかにかかわる重要な問題だから、教会全体として取り組まねばならない。「御言葉の学びが教会を建てる」と結んでおられます。

posted by 横浜中央教会 at 16:59| ◇論壇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月24日

大会教師共済会が起こした裁判について

論壇:    大会教師共済会が起こした裁判について    1252015


 201110月6日、日本キリスト改革派教会は、みずほ証券株式会社を被告として、東京地方裁判所に訴えを提起しました。内容は、大会教師共済会資金運用担当者であった元委員(故人、任期19872007年)が、みずほ証券営業マンに勧誘されるまま、過当取引を行い、合計27377万円の損失を蒙ったことに対する損害賠償請求です。原告である我々の訴え理由は、@適合性原則違反:危険な取引を証券知識を持たない者に積極的に勧誘した。A営業担当者に任せっ放しの一任取引であった。B過当取引であった(1年間に281回もの売買取引を行った)。C説明義務違反、などです。


 元委員は会社を引退後、長年にわたって教師共済会の面倒な仕事を無償で引き受け、事務仕事を献身的に奉仕してこられました。教師たちは病気になったり、子弟の就学資金借入時などに、その都度委員のお世話になっていました。現役の長老たちはこの世の仕事が忙しく、共済会のような事務仕事は出来ませんから、この元委員に長年まかせっぱなしになっていました。


 教師共済会では引退教師の年金を賄うため、20年ほど前から「3億円募金」を行っていましたが(累計22千万円)、それまではおよそ年利4%の利息があった銀行の定期預金は0.数%台になりました。元委員はこれでは引退教師の年金が危ういと心配され、証券マンの勧誘に引かれて、次第に危険な商品(ハイリスク・ハイリターン)に手を出すようになり、今まで投資信託に預けていた元本保証の預金(約2億円)まで解約して、この商品につぎ込んだのです。会計監査委員会は残高証明書に基づいて毎年監査をするはずですが、大先輩にあたるこの老人が証明書を出し渋っても強く言えず、口頭説明でパスさせていました。致命的なガバナンス(組織が自らを健全に統治する能力)の欠如です。


 1月20日の裁判を私は委員として傍聴しました。常任書記長と元委員長が証言しましたが、被告側は4人の弁護士が連なり、改革派教会がいかにずさんな組織であるかということをアピールする戦術であったようです。証人の二人の教師は、貸借対照表の内容を質問されても明確に答えることができませんでした。また元委員がなぜ資金運用責任者として選ばれたのか、会計のチェック機能が無かったのかと質問し、「こんな組織だから不祥事が起こっても当然だ」という「過失相殺」をねらっているようでした。


 私は裁かれているのは改革派教会だと感じました。イエス様は、私たちは狼の群れの中に送り込まれた羊だから「蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい」と言われました(マタイ10:16)。私たちは後半ばかり気にしていましたが、蛇のように賢くなければなりません。大会・中会の財産に目を光らせること。教師たちも最低限「貸借対照表」を理解できなければ、教会の会計を指導できません。次回の裁判は127日ですが、私は沈黙を強いられた4時間で体調を崩しましたので、傍聴できるかどうか分りません。結審は今年4月の予定です。

posted by 横浜中央教会 at 18:10| ◇論壇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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