2016年06月05日

チェーンブロック

論壇           チェーンブロック        652016


 ヨハネ78章では、仮庵祭でのイエスを、様々な人々が取り巻いて登場します。これらの人々とイエスとの異なった会話を、ヨハネは時系列で書いたというのではなく、イエスが語った様々な議論、説教の記憶を全部総合して、自分の構想によって口述速記させているのです。ヨハネにとってはもう70年以上前の出来事です。一つのきっかけから、様々なことを、風景、セリフ、匂いなどと共に、一気に思い出すこともあったでしょう。イエスが言われた「私は命のパンである」「世の光である」「良い羊飼いである」「門である」「道である」「復活であり命である」。これらのキーワードを思い出すたびに、ヨハネは在りし日のイエスの姿を生き生きと思い出し、究極のイエスの言葉、「わたしはある」を読者に伝えようとしました。


 私も過去60年間を一気に思い出すということを先週経験しました。それは新会堂建築の棟上げの時、屋根の巨大な梁を、大工さんたちが電動式のチェーンブロックを使って持ち上げていたのを見たことがきっかけです。


 60年ほど前、ある農家が畑一面に植えてあった、高さ2mほどの桑の木を取り囲んで三脚を立て、頂点から手動式のチェーンブロックを吊るして抜いていました。当時は蚕によるシルク生産がナイロン全盛によって衰退し、桑畑からさつまいも畑に転用するために桑の木を撤去していたのです。私の家も農家で、納屋で「おかいこ様」を飼っていました。何段にも仕切られたかいこ棚に、毎朝新鮮な桑の葉を与えます。その時のシャリシャリと食べる音、蚕の臭い、葉の匂い、桑いちごが一気によみがえってきます。また当事流行った反戦歌「桑畑」も思い出しました。この歌は195610月の米軍基地拡張に反対し断念させた砂川闘争から生まれ、歌声喫茶で盛んに歌われました。


  桑畑の しげる葉は 亡き母の 背に負われ

   苗植えた 昔から とぶ鳥さえ なじんでたが

  桑畑は 今荒れて 爆音は ワラ屋根に

   裂ける程 たたきつけ 桑畑は 吹きさらし

  桑畑は 握りこぶし 振り上げて ならび起ち

   畑守る この私と 芽ぐむ春を もとめうたう

  春になったら 枝を伐り かおる葉を カゴにつもう

   むく鳥よ 高く舞い このよろこび 告げてくれ(作詞 門倉訣)


 そして私にとっては、60年安保闘争、ベトナム戦争、上京して受けた洗礼、

70年安保闘争時代の青春、横浜港で長く続いた沖仲仕、就職、倒産、起業、結婚、異臭のタイ・カンボジア国境の難民キャンプでのボランティアの苦い思い出、献身、所沢での牧師就職、横浜西口教会転任と続きます。

posted by 横浜中央教会 at 09:48| ◇論壇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月30日

東部中会の伝道

論壇            東部中会の伝道        5292016


 本日午後開かれる連合長老会・執事会合同会のテーマは若者伝道です。日本中の教会で高齢化、若者の減少に悩んでいますので、このテーマになりました。6月1416日に開かれる大会役員修養会の表題は2014年からずっと「伝道会議」で、今年で第3回目です


 私たちの教会も青年層が薄いですが、地方の伝道所はもっと高齢化しており、無牧の群れも多くなってきました。そのような教会では引退教師をフルに活用して、主の日の説教のローテーションを計っています。そんな中、新潟伝道所で一挙に会員が4名増えたという嬉しいニュースが届きました(掲示板)。その内実は、新潟市にあった他教派の教会が閉鎖され、残った群れの方々が加入してこられたという実態をお聞きしました。ここにも地方伝道の困難さがうかがえます。新潟伝道所は坂戸教会を中心に、東部中会の自由募金によって支えられている伝道所で、片岡牧師と引退教師のローテーションによって説教が守られています。また秩父伝道所は、花小金井教会が中心になって支えていますが、最近、新潟伝道所と同じような事情で、少し会員が増えたとお聞きしました。


 地方伝道の灯を消したくないですが、長野や北東北の諸伝道所については、代理牧師制度や兼牧の状態が相当きつい状況にあると聞いています。何といっても北東北は教会間の距離がとても遠いからです。


 先月、東部中会定期会の速報を掲示しておきましたが、中会は無牧の草加松原伝道所を全面的に再建することを決議しました。この詳細は『まじわり』6月号に「草加伝道プロジェクト」として報告されています。来年、綱島教会の川杉安美牧師が草加松原に派遣されることになり、中会は今後10年間の経済援助を約束しました。


 しかし首都圏でも、牧師が引退された後、後任を招聘する経済力が厳しい状況にある教会が散見されてきました。また無牧の宇都宮、田無、横浜、長野、北沼津、せんげん台をどうするのか、これらも頭の痛い問題です。長野と佐久の両伝道所は合併することになりましたが、その具体策についてはまだ進んでいません。


 中会の伝道も私たちの教会の伝道も、そのように困難の中にありますが、首都圏諸教会が頑張らないと地方伝道はおぼつきません。横浜中央教会は幸いにも新会堂増築という大きな喜びを与えられています。しかし建物が大きくなったら伝道できるというわけではありません。結局は私たち一人一人の礼拝を守る信仰の姿勢にかかっています。祈りと賛美と学びと、礼拝厳守によって教会を魅力あるものにしましょう。

posted by 横浜中央教会 at 05:51| ◇論壇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月14日

ペンテコステ

論壇            ペンテコステ          5152016


 本日はキリスト教会の誕生日をお祝いするペンテコステ礼拝です。イエス・キリストの十字架から50日後、昇天後から10日後、イエスの予告した聖霊降臨が起こりました。それはユダヤ人たちの年中行事である三大祭の一つ「五旬祭」の最中でした。ペンテコステとは50日目という意味で、過越祭から7週を数えた翌日50日目という意味です。


 キリスト教会の中にはペンテコステ教会という教派があります。これはクリスチャン個人における聖霊の働きを強調し、異言など神がかり的な体験を強調します。聖霊降臨の時に起こったような大掛かりな奇跡が今も存在すると考え(または希望し)、自らの教会にペンテコステという名称を冠しています。これはキリスト教会2000年の歴史の中に繰り返し登場してくる団体で、霊的体験、感情の高揚を追求し、そこに信仰の意味と喜びを追い求めるのです。


 またこれとは別に、英国のジョン・ウェスレーの系統を受け継ぐホーリネス系、メソジスト系などの教会でも、個人個人における聖霊の働きを強調し、これらの教派は「聖潔(きよめ)派」と呼ばれます。


 聖霊なる神様の働きはそのようなものに限定されるのか。改革派教会は今から30年前、当時の日本の教会の中にあった、混乱した聖霊理解を正すために「40周年記念宣言、1聖書について、2聖霊について」を発表しました。本日の礼拝説教において皆様と共に学ぶのはこの「聖霊について」の宣言です。


 この宣言の強調点は、神の第三位格であられる聖霊は、旧約・新約両時代を通して、それぞれの時代にふさわしい働きをしておられますが、新約の時代においては教会と信者個人の中において、特別に御国完成のために働いておられます。しかしペンテコステ教会や、きよめ派教会の理解と違って、聖霊はまず教会という組織に働かれるのです。


 聖霊は信者を一本釣りで釣り上げて、これを教会という養魚場に入れるのではありません。なぜなら教会の頭であるキリストは「教会を集め、守り、教会の敵を征服し、役員と民に賜物を与えられる」。また「聖霊は、教職者たちをその聖なる職務に召し、任職し、他のすべての教会役員にその特別な働きのために能力を与え」「み言葉と礼典…に効力を与え」「教会を教え導き、保持し、増し加え、潔め、遂に神のみ前に完全に聖くされる」からです。ウェストミンスター信仰告白が「教会の外には救いの通例の可能性はない」(252)と断言したのはこの意味においてです。私たちも大・中会の活動や行事に関心を持ちましょう。

posted by 横浜中央教会 at 20:59| ◇論壇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月08日

仮庵の祭り

論壇              仮庵の祭り          582016


 本日の説教個所「祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、イエスは立ち上がって大声で言われた」(737)背景を理解するためには、この祭りが当時どのように行なわれたかを知ることが非常に重要です。私はRaymond Brown のヨハネ福音書注解書を使っていますが、この祭りについて詳しい説明がありますので翻訳してご紹介します。

       

 仮庵祭は秋の収穫感謝祭で、現在の暦の9月下旬から10月上旬に行なわれた一週間続く行事。これは雨ごいの祈祷の要素もある。もしこの祭りの期間中に雨が降れば、それは次に来る雨季に雨が豊富であることになり、豊かな春の収穫が期待できる。しかしこの時に雨が降らなければ干ばつを招く恐れがある。


 ヨルダン川の対岸に住むアラブ人たちも、イスラエルと敵対して住んでいるが、ユダヤ人たちが行なうこの祭りの時に雨が降るかどうか、注意深く見守っていた。彼らも豊かな雨を期待したからである。


 祭りではゼカリヤ書が朗読された。「春の雨の季節には、主に雨を求めよ。主は稲妻を放ち、彼らに豊かな雨を降らせ、すべての人に野の草を与えられる」(101)「その日、エルサレムから命の泉が湧き出で、半分は東の海へ、半分は西の海に向かい、夏も冬も流れ続ける」(148)「地上の諸族の中で、エルサレムに上って万軍の主なる王を礼拝しようとしない者には、雨が与えられない」(1417)


 この祭りでは厳かなドラマが毎日演じられる。一週間の毎朝、神殿の丘の南西にあるギホンの泉(それはシロアムの池に注がれる)へ、祭司たちが黄金の水差しを持って行進し降りて行く。聖歌隊はイザヤ書12:3を合唱する。「あなたたちは喜びのうちに救いの泉から水を汲む」。 泉で水を汲んだ後、行進はエルサレム神殿に向かって上り、水の門をくぐって入場する。群衆はこの祭りのシンボルであるルーラーブ(仮庵の材料のマートル(ギンバイカ)と柳の小枝を棕櫚で束ねた房)を右手に持ち、左手には収穫を象徴するエスログ(レモン)を持って行進し、ハレルヤ詩編(113118)を歌う。行進が神殿の前の祭壇に到着すると群衆はルーラーブを振りながら一周し、詩編のホサナを歌う。「どうか主よ、わたしたちに救いを。どうか主よ、わたしたちに栄えを」(11825)。祭司は銀のじょうごで祭壇に水を注ぎ、水は祭壇からあふれて地に流れる。7日目には祭壇の回りを7回行進する(326327頁)。

  

 メシアが来る「主の日」はこの祭りの期間中であるとユダヤ人たちは信じていましたので、仮庵祭は盛大な祭りでした。

posted by 横浜中央教会 at 09:12| ◇論壇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月02日

東日本伝道協議会

論壇           東日本伝道協議会          512016


 今週は下記の3つの大きな行事が仙台で行われます。掲示板参照。

★日本キリスト改革派教会創立70周年信徒大会(53、東北学院中・高等学校)。因みに過去の信徒大会は10周年毎に行われました。20周年:東京(豊島公会堂)、30周年:大阪(中ノ島公会堂)、40周年:東京(読売ホール)、50周年:名古屋(金城学院大学)、60周年:大阪(グランキューブ大阪国際会議場)。


★全国青年リトリ−ト(535、仙台茂庭荘)23才〜49才の青年及び既婚者が対象の修養会。信徒大会終了後に貸しきりバスでホテルへ移動。

託児もあります。


★東日本伝道協議会(54、情報・産業プラザ)

 これは東部中会・東関東中会、東北中会が5年に一度開く協議会ですが、2015年開催予定を1年延期して今年行われます。内容は札幌伝道についてと、盛岡伝道についてです。


 旧東部中会は1983年に東北中会を、2006年に東関東中会を誕生させました。盛岡伝道所は1976年に開拓伝道所として出発し、1979年に会堂を建てましたが、地の利が悪く伸び悩んでいましたので、2009年に盛岡駅の近くに移転して新会堂を建てました。この事業は土地代2500万円、建物4000万円、合計約7000万円の大変な事業でしたが、東部中会が中心になって遂行しました。この伝道事業は旧東部中会が始めたものですので、今も年間300万円の維持費を3中会で負担しています。今年3月、盛岡伝道所で10年間働かれた久保田証一牧師が中部中会へ転任され、新しい伝道者として花見川伝道所の潮田祐牧師が赴任されることになりました(522日)。今回の東日本伝道協議会はこの人選を受けて、今後三中会がどのように経済援助するかを話し合います。


 東日本伝道協議会のもう一つのテーマは札幌伝道です。札幌伝道所は1986年に伝道開始しましたが、経済的には大会国内伝道委員会の管轄です。東部中会は大会伝道委員会に一定の負担金を納めることによって、この札幌伝道を支援しています。札幌伝道所は政治的には東北中会の伝道所ですが、東京恩寵教会出身者を中心にして始められた伝道であり、旧東部中会の理念であった北海道伝道の灯火を守り続けるために、今回の東日本伝道協議会では、この札幌伝道所の行く末を話し合うわけです。どのような協議会になるか分かりませんが、東部中会自体が高齢化と右肩下がりの中ですから、支援をし続けるのは大変な負担ですが、札幌も盛岡も厳しい現状の中でなんとか良い方向に向かうなら幸いです。

posted by 横浜中央教会 at 05:41| ◇論壇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「救いへの選び」

論壇          「救いへの選び」          4242016


 イエスの言葉「父が引き寄せてくださらなければ、誰も私のもとへ来ることはできない」(ヨハネ62937394465)は、救いに関する「神の絶対的主権性」を表わしていますが、これは「人間の自由意思と責任」とどう調和するのか。この問題を410日の論壇から取り扱っています。これはキリスト教2000年の歴史の中で繰り返し議論されている難問です。人間の合理的理性では矛盾するように見えても、神様の目にはどちらも真実なのです。私が信仰をいただいたのは全く神の一方的恵みによるのであり、私に何らかの功績があったわけではありません。しかし一方では、私は自分の意思でキリストに従う決心をしたのであり、全力を傾けてこの信仰を維持するのです。「あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」(申命記65)。


 アメリカでは宗教改革500年を来年に控えて、Calvinist vs Arminian(カルヴィン主義 対 アルミニウス主義)という論争がインターネットをにぎわしています。また宗教改革の古典的宗教改革者、ルター、カルヴィンなどに対する批判的研究が盛んになっていますし、幼児洗礼是非の大議論が戦わされています。このような議論は宗教改革の精神をもう一度学ぶことになりますから良い傾向です。


 さてカルヴィンは神の絶対的主権を、神の選びという予定論の教理によって説明しましたが、イギリス国教会のジョン・ウェスレー(17031791)はキリストの贖罪の普遍性にその解決を求め、アダムの「全的堕落」後に与えられた「先行的恩寵」により、人は福音の召しに応ずることができると考えました。従ってウェスレーは「限定的贖罪」教理を否定し、十字架は全人類のためになされた。これを拒否するのは人の自由意志の行使によるのであって、神の聖定によるのではないと考えました。また自由意志によって信仰から落ちてしまう可能性を示唆しました。


 改革派信仰では「先行的恩寵」を否定し、これを「一般恩寵」(世界がこれ以上悪くならないように、神が自然とすべての人に与えている、救いに関係しない恩寵)と、「特別恩寵」(選びの恩寵=神が救いに選んだ特定の人を救う恩寵)に分けて考えます。イエスは「あなたがたは世に属していない。わたしがあなたがたを世から選び出した」(ヨハネ1519)と言われました。これが特別恩寵です。キリストが何の功績もない私を一方的に救いへと、無条件で選んでくださったのです。だから感謝の生活が自然に出てきますし、神による選びが人間の意志の弱さによって無効になることはありません(聖徒の堅忍)。    続く

posted by 横浜中央教会 at 05:39| ◇論壇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月16日

「カルヴィニズムの5特質」

論壇        「カルヴィニズムの5特質」       4172016


 オランダ改革派教会の神学者ヤコブス・アルミニウス(15601609)はカルヴィンの予定説を批判し、「神は万人に救いを提供し、神の恩寵を受け容れるかどうかは各人の自由意志に任されている」と主張しました。彼がライデン大学神学部教授に招聘されましたので、オランダでは大神学論争になりました。彼の死後、彼の弟子たち(アルミニアン)が1610年に建白書(レモンストランティェ)を発表しました。彼らの主張は


1、自由意志:人は全的に堕落したが、神の救いへの招きに対し、人は自由意志を働かせて、応答する力が残されている。(Free Will


2、条件的選び:神は誰がキリストを信じるかを予知によってご存じであり、その者を救う。(Conditinal Election


3、普遍的贖罪:イエスの十字架は、善人悪人を問わず、すべての人のためにあった。(Universal Atonement or Redemption


4、可抗的恩恵:神が救おうとする手を、人は自由意志によって拒むこともできる。(Resistible Grace


5、相対的保証:人は努力し続けなければ、神の救いから落ちる可能性がある。(Fall from Grace


 これに対しオランダのドルトレヒトで16181619年、改革派教会会議が開かれ、アルミニアン説が聖書に照らして検討された結果否定され、「ドルト信仰基準」として発表されました。これはカルヴィンの名前に因んで、表題の「カルヴィニズムの5特質」と呼ばれます。


1、全的堕落:人は全的に堕落し罪の奴隷となった。救いへの招きに応じることも、霊的なことを考える能力も失った。ただ聖霊が私達を造り変えることによってのみ、応答する。(Total Depravity


2、無条件的選び:神は人の内にある何らかの救われる資質(条件)を見たから救うのではなく無条件である。(Unconditinal Election


3、限定的贖罪:イエス贖いは選民のためだけ。イエスの血は悔い改めない罪人のために無駄に流れたのではない(Limited Atonement)


4、不可抗的恩恵:神が救おうと意図されたなら、その人は抗うことはできず、必ず救われる。(Iresistible Grace


5、聖徒の堅忍:神は一度救った者の信仰を、彼が死ぬまで守り抜かれる。その生涯において、その人が神から離れたように見えることもるが、最終的には信仰は個人の努力ではなく、神の恵みによる。Perseverance of the Saints


この5条項は頭文字を取ってTULIPと呼ばれます。(続く)  

posted by 横浜中央教会 at 19:35| ◇論壇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月11日

神がイエスに与えた人

論壇          神がイエスに与えた人        4102016


 ヨハネ福音書は12章までが「しるしの書」、13章以下が「受難と栄光の書」と二つに別れますが、本日の説教個所で、前半のさらに半分の第1部が終わります。この部分ではイエスの宣教活動によって、多くの人が次々とイエスのもとに押し寄せて来ます。しかし民衆の人気がどんどん上がるにつれ、イエスの方では、その民衆から身を引くという皮肉な行動を取られます。


★「そのなさったしるしを見て、多くの人がイエスの名を信じた。しかし、イエス御自身は彼らを信用されなかった」(22324)


★「イエスがヨハネよりも多くの弟子をつくり、…イエスはそれを知ると、…ユダヤを去り」(413


★「…更に多くの人々が、イエスの言葉を聞いて信じた。…二日後、イエスをそこを出発して」(44143


5000人の給食の奇跡では「人々が来て、自分を王にするために連れて行こうとしているのを知り、ひとりでまた山に退かれた」(615)。


 そしてイエスが「私は天から降ってきた生きたパン」というお話をされると、12弟子たちを残して誰もが去って行ってしまったという記事で、この第1部は終わります。なぜこんなことになってしまったのでしょうか。その答として、6章には、イエスを信じてついて行く者は「父がイエスに与えた者だけ」という言葉が3回も繰り返されます。


★「父がわたしにお与えになる人は皆、わたしのところに来る」(37)


★「わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとへ来ることはできない」(44) 


★「父からお許しがなければ、だれも私のもとに来ることはできない」(65)


 改革派信仰には「カルヴィニズムの5特質」という有名な教理があります。「全的堕落」「無条件的選び」「限定的贖罪」「不可抗的恩恵」「聖徒の堅忍」。これらはアルミニアン(次週の論壇で解説)が主張する「人は神が与える救いの恩恵を自由意志によって受け取る」「従って人は救われるように努力し続けなければ、恩恵からこぼれ落ちる」などの教理を否定したものですが、6章に繰り返される言葉は、重要な証拠聖句になるでしょう。


 これを改革派教会は、「神の予定の教理」とか「選びの教理」とか呼んできました。私が救われたのは、私に何かの功績があったからではなく、神がそのように選んでくださったからです。しかし教会から去って行く人がいれば、それは神がイエスに与えた人ではなかったということです。その人は自己責任で去って行くのです。「神の選びと人の責任」という予定論の問題は、人間には解くことのできない神秘ですが、6章にその鍵があるでしょう。

posted by 横浜中央教会 at 05:20| ◇論壇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月03日

サムエル記

論壇           サムエル記          432016


 本日の夕礼拝から、サムエル記の連続説教を始めます。どなたも奮ってご出席ください。サムエル記は上下巻計55章もありますから、一節ずつを詳細に講解する説教方法では数年かかってしまいます。私の説教では一回に一章程度をテキストにして、ストーリーの展開を追い、登場人物たちの、その時その時の信仰的判断を評価できたらと思います。


 旧約聖書の歴史書は、歴史の中で起こった出来事を信仰の目で解釈して綴った物語です。サムエル記上下巻と列王記上下巻は合わせて「王国の書」1、2、3、4と呼ばれ、ラテン語訳聖書にもこの名前が受け継がれました。内容はカナンの土地取得から捕囚に至る歴史をつらぬく神の導きを語ったものです。


 サムエル記の成立は、ダビデ・ソロモン時代から物語群にまとめられていた材料を収集して、誰かの手によって編集されたのでしょう。その材料にはサムエルの誕生・召命物語、サウル伝、ダビデ伝、ダビデ王位継承史、神の箱物語などであったでしょう。しかしそれらは、単なる記録や伝承ではありません。様々な評価が含まれています。王国に好意的な記録(上9−11章、1314章)と、批判的な記録(上7812章など)の違いがあります。形骸化した祭儀への鋭い批判もあります。


 サムエル記を編集した者の意図は、冒頭にハンナの歌(上2章)を、締めくくりの部分にダビデの歌(下22章)を額縁のように配置することによって、神によって油注がれた王たちの究極に、メシアを指し示しているようです。以下に全体の簡単な梗概を述べます。 

       

1、預言者・士師サムエル:(上1〜6章)

    エリとサムエル(13章)、契約の箱(46章)

2、サムエルとサウル王(7〜15章)

    王国を望む民(78章)、サウル王即位と遺棄(915章)

3、サウル王とダビデ(16〜下1章)

    王の婿ダビデの登場(1620章)、逃避行(21〜下1章)

4、ダビデ王国(下2〜8章)

    旧勢力の一掃(24章)、王国確立(58章)

5、ダビデ王位継承争い(9〜20章)

    ヨナタンの遺児(9章)、ソロモン誕生(1012章)、アムノ

    ンの死(13章)、王子アブサロム反逆と死(1419章)

6、補遺(21〜24章)

   サウルの子孫処刑、ペリシテ戦の英雄、ダビデの歌、人口調査

posted by 横浜中央教会 at 06:02| ◇論壇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月20日

矢内昭二先生

論壇           矢内昭二先生         3202016


 引退教師矢内昭二先生が316日(水)夜845分に召されました(88才)。入浴中の突然死だったそうです。葬儀は故人の遺言によって、家族葬で行い誰にも知らせないということでした。昨日家族のみで火葬を終え、本日午後1時半、国立教会で記念会が行われます。家族と国立教会員のみの会ということで、私も呼ばれなかったのは残念ですが・・


 矢内先生は日本基督改革派教会創立宣言執筆者の一人である、北浦和教会牧師松尾武(1908-1967)から受洗、神戸改革派神学校卒業。1953年第8回定期大会で東部中会の教師試補登録、1954年第9回定期大会では正議員(東京教会牧師)として出席。日本基督改革派教会の第2世代に属します。


 東京教会は伝道開始日と教会設立日が同日の19541017日です。この日、新教出版社の一室を借りて最初の礼拝が行なわれました。これは東京恩寵教会の会員の一部が「東京伝道」を合言葉に、当時27才の矢内先生を中心に株分けして始めた教会です。この東京教会で先生は1998年の引退まで奉仕され、その後は羽生栄光教会で代理牧師を2003年まで務めてから引退されましたが、改革派神学研修所では健康が支えられている限りご奉仕されました。


 また先生は青年時代、東京教会牧師業の傍ら、東京大学大学院宗教学歴史学科に通われ卒業されました。私は19688月に矢内先生から受洗、1974年、先生の司式で結婚しました。私たちの教会が現在地を購入し、会堂を建てた時は、多額の献金と融資をして下さいました。先生の多くの業績の中で特筆すべきは多くありますが、字数の関係でごく一部を下記に紹介します。日本キリスト改革派教会の一つの時代が終わったのを感じます。       


1964年:第1次横浜開拓伝道開始。これは現在の横浜教会となって結実。

1975年:改革派神学研修所設立:神戸改革派神学校改革の行き詰まりを覚え

    た東部中会の有志(矢内昭二、榊原康夫、岩永隆至など)が始めた、

    牧師の相互研修機関及び牧師養成機関。

1976年:日本基督改革派教会30周年記念宣言(教会と国家に関する信仰の宣

    言)を、故榊原康夫教師と共同で執筆。

1978年:第2次横浜伝道開始。1217日横浜駅ビルの一室を借りてクリスマ

    ス集会開催。1988年横浜西口教会設立。

1986年:日本基督改革派教会40周年記念宣言(聖書について)を故榊原康夫

    教師と共同執筆。上記両宣言によって、その後の改革派教会の神学

    と教会の方向性が定まりました。

主な著書:『ウェストミンスター信仰告白講解』『ウェストミンスター信仰

    基準の研究』『改革派教会の霊的戦い』など。

posted by 横浜中央教会 at 15:54| ◇論壇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月12日

命のパンとエデンの木の実

論壇       命のパンとエデンの木の実       3132016


 ヨハネ福音書6:2259でイエスは「私は命のパンである」(3548)、「天からのパン」(3132)、「まことのパン」(38)、「神のパン」(39)、「天から降って来たパン」(415158)と言われます。この言葉について大昔から、旧約聖書の言葉や出来事と比較する研究が多くありました。古くはニュッサのグレゴリウス(335年頃−394年頃、カッパドキア三教父のひとり)が、イエスのパンとエデンの園の木の実を比較した下記のような研究があります。


     創世記              ヨハネ6章     

「善悪の知識の木からは、決して  「これは天から降って来たパンで

食べてはならない。食べると必ず  あり、これを食べる者は死なない」

死んでしまう」  (2:17)            (6:50)


「人は…善悪を知る者となった。  「わたしは、天から降って来た生

今は、手を伸ばして命の木からも  きたパンである。このパンを食べ

取って食べ、永遠に生きる者とな  るならば、その人は永遠に生きる」

るおそれがある」 (3:22)            (6:51)


「こうしてアダムを追放し」    「私のもとに来る人を、私は決し

         (3:24)   て追い出さない」  (6:37)


 また本日の説教で取り上げますように、ヨハネはイエスという方を「神の言葉」として読者に紹介するために、旧約聖書の様々な表現を思い起こしながら説教したのでしょう。「主は…あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった」(申命記889)。「わたしは大地に飢えを送る。それはパンに飢えることでもなく、水に渇くことでもなく、主の言葉を聞くことのできぬ飢えと渇きだ。人々は…主の言葉を探し求めるが、見いだすことはできない」(アモス8:1112)。


 本日の私の説教の結論は、「雨も雪も、ひとたび天から降れば、むなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ、種蒔く人には種を与え、食べる人には糧を与える。そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も、むなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ、わたしが与えた使命を必ず果たす」(イザヤ551011)。このイザヤ書の「言葉」を「イエス」と読み替えると、イエスが神から遣わされて来て、地上でなさねばならなかった使命が何であったかが分かります。

posted by 横浜中央教会 at 17:35| ◇論壇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月07日

起工式

論壇:          起工式             362016


 次週の礼拝後ただちに、裏庭で新会堂建築のための起工式を行います(雨の場合は会堂内で)。長い間祈り求めてきた建築がいよいよ始まります。建築着工は3月中旬、完成は9月中旬と予定されています。会堂裏の隣接地25坪を取得したのは2012年9月10日、登記を完了したのは12月でした。それから今日まで3年以上が過ぎました。土地取得後の、プレハブでも建てようかという話から、会堂新築計画まで、紆余曲折がありましたが、皆様の献身的な努力とお祈りで、この起工式の日を迎えることができますことを感謝致します。


 起工式は日本でよく行われる地鎮祭とは違います。地鎮祭とはその名のとおり、地の神を鎮(しず)める祭りです。地面を掘ったり、地面の上に人工物である建物を建てることに神の怒りが触れやしないかと、神々を鎮めたてまつる祈願をするというわけです。ですから地鎮祭のプログラムでは供え物が必須になります。酒とお米のほかに、海の幸・山の幸・野の幸として、鯛、果物、野菜などを備えます。式のやり方は神式と仏式では少し違いがありますが、中心点は祈祷、酒を地面に注ぐこと、鍬やスコップで土盛りを崩すという象徴的な行為です。


 定礎式というものもあります。これは石造り建築が主なギリシャ、ローマの建築からヨーロッパに伝わった西洋建築で corner stone layingceremony(隅の親石を置く儀式)が日本に輸入されたものです。石や煉瓦を積んでいく場合に、建物の隅に、基準となる礎石がまず据えられますが、このコーナーストーンを基準に、左右および上方に壁が積み上って建物が出来ていきますから、この石が非常に大事なわけです。この隅の親石には年月日や施主の名前、有名な言葉などが書かれます。


 教会の建築では定礎式の時、基礎の柱の下などに聖書を箱に入れて埋める場合もあります。「聖書の上に立つ教会」を象徴的に表わしたのでしょう。私たちの現在の教会堂にはそのような礎石はありませんし、地中に何かを埋めるということもしていません。


 私たちの信仰では、大地は神の被造物ですから、これに人格性を持たせるような儀式は行いません。今回の私たちの起工式は地鎮祭でも定礎式でもなく、神様をほめたたえ、感謝し、これからの工事の安全を祈る儀式です。プログラムは讃美歌、聖書朗読、祈祷、祝祷というきわめてシンプルなもので、時間も数分しかかかりません。儀式の中心点は神様をほめたたえる神礼拝です。皆で喜んで神様をほめたたえましょう。

posted by 横浜中央教会 at 05:09| ◇論壇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月28日

エゴー・エイミ

論壇:         エゴー・エイミ          2282016


 ヨハネ福音書6:20で、湖上を歩いて来たイエスは「わたしだ。恐れることはない」と言われます。この「わたしだ」は、原文のギリシャ語ではEγω ειμι(エゴー・エイミ)ですが、英語では“It is I”と翻訳されます。ヨハネ福音書ではこの言葉がくりかえし登場しますが『わたしはある』と、わざわざ『』付きで書かれています(8242858131918568など)。


 特にイエスがこの言葉を言うと、イエスを逮捕しようとした兵たちがバタッと倒れてしまいます(186)。これは神様の自己紹介の言葉だからです。神様はご自分の名前をモーセに「わたしはある。わたしはあるという者だ」と知らされます(出エジプト記31314)。これを英語では“I am who I am”または“I am what I am”と訳しますが、ギリシャ語訳では「エゴーエイミ」なのです。無から有を生じさせる神様の名前は、存在する者の根源であり、神様はなろうとするものになれる方であることを意味しています。「わたしはある」と言える方は、「わたしは〜である」とも言える方です。


 イエスは「わたしは〜である」と何度も言われます。「わたしは命のパンである」(63548)、「わたしは、天から降って来た生きたパンである」(651)、「わたしは世の光である」(812)、「わたしは門である」(109)、「わたしは良い羊飼いである」(1011)、「わたしは復活であり、命である」(1125)、「わたしは道であり、真理であり、命である」(146)、「わたしはまことのぶどうの木」(151)、「わたしはアルファであり、オメガである」(黙示録18)、「わたしはダビデのひこばえ、…輝く明けの明星である」(黙示録2216)。


 これを私達の自己紹介の言葉と比較すると、ことの重大性が分かります。「私は日本人である」「私は男である」などとは言えても、「私は道である」、「私は光である」などとは決して言えません。イエスだけが「私は〜である」。この「〜」のところに、イエスが望まれるすべての名称が入るのです。従って「私はある」という言葉が、私たちの思考力に合わせた神様の自称であると分かります。


 真っ暗闇の嵐の中、荒れ狂う湖、小舟の中で恐怖に震えている弟子たちにとって、どんな言葉が慰めになったのでしょうか。それは「わたしである」という神の声を聞くことだけでした。湖を作り、嵐を作り、命を造る方、神様が側にいてくださる。この方を私の人生というボートに迎え入れるならば、私の人生が直ちに「目指す地に着く」のです。

posted by 横浜中央教会 at 07:52| ◇論壇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月22日

五千人給食の奇跡

論壇:          五千人給食の奇跡         2212016


 イエスがなさった奇跡で、イエス復活の奇跡を除くと、4つの福音書が共通に記録するのは、本日の説教個所、イエスが男だけでも五千人の群衆に、5つのパンと2匹の魚で満腹させたという奇跡だけです。


 4つの福音書はそれぞれ強調点が違い、ある福音書だけに書かれたもの、また省かれた詳細もありますから、これらを総合して、この奇跡はどんな出来事だったかを、全体から再構成する必要があります。以下、マタイ=Mt、マルコ=Mk、ルカ=Lk、ヨハネ=Jと略します。


 事件が起きたのは「過越祭が近づいていた」早春(J)の「日が傾きかけた」(Lk)夕方。場所は「ベトサイダ」(Lk)の「人里離れた」(MtMkLk)「山」(J)。事件の当事者は「大勢の群衆」(4福音書共通)で、「女と子供を別にして」(Mt)、「男が五千人」(4福音書共通)。


 事件のきっかけは弟子たちが「群衆を解散させてください」(MtMkLk)とイエスに言ったのですが、イエスの方からフィリポに「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」と、わざと質問しておられます(J)。弟子たちは「確かめた」(Mk)結果、「五つのパンと二匹の魚」(4福音書共通)を、「少年が」(J)お弁当として持っていたと報告します。しかしアンデレは「こんなに大勢の人では何の役にも立たない」(J)と否定的です。


 奇跡の内容はパンと魚が増えたことですが、どのようにして増えたかは分かりません。イエスは「賛美の祈り」(MtMkLk)と、「感謝の祈りを唱え」(J)、まず弟子たちに渡し(MtMkLk)、弟子たちはそれを群衆に配り、群衆は満腹になりました。イエスは「少しも無駄にならないように、残ったパンの屑を集めなさい」(J)と言われ、パンの屑は12の籠にいっぱいになりました(4福音書共通)。


 「それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて船に乗せ、向こう岸に先に行かせた」(MtMk)のですが、その行き先は「ベトサイダ」(Mk)です。奇跡がなされた現場もベトサイダ(漁の町)でした。ガリラヤ湖の周りには多くの「漁の町」があったのでしょう。イエスが弟子たちを強いて群衆から隔離したのは「人々がイエスを王にするために連れて行こうとした」(J)からです。この奇跡の後、イエスが湖の上を歩いた(MtMkJ)とか、ゲネサレトで病人を癒す(MtMk)、大勢の病人癒し(Mt)ろうあ者を癒す(Mk)、四千人に食べ物を与える(MtMk)、盲人を癒す(Mk)など多くの奇跡を、ルカは全部省いて、ペトロの信仰告白へと直結させています。

posted by 横浜中央教会 at 19:58| ◇論壇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月13日

東部中会連合執事会

論壇:         東部中会連合執事会         2142016


 本日午後2時半から東部中会諸教会の執事さんが集まり、連合執事会総会が開催されます。この会は連合長老会と同様、年に4回の会合を第5主日に行なっています(内1回は連合長老会との合同会)。


 本日はまず、昨年の当番教会であった花小金井教会が1年間の活動報告をされます。その後今年の当番教会となった横浜中央教会が新しい活動方針と予算案を提示します。私は開会礼拝説教をしますが、説教というよりは講演めいたものをします。


 東部中会の中に執事活動委員会が設置されたのは1983年で、この前身は退職教師住宅問題研究委員会でした。これ以前に、各教会の執事たちを横につなげる連合執事会のようなものはあったでしょうが、首都圏の中だけの活動だったようで、中会記録には出てきません。


 1983年は東北中会設立という大きな出来事があった年です。1984年の中会記録の執事活動委員会の報告を見ますと「連合執事会が新しい組織をもって出発する」とありますから、1983年の東北中会設立によって中会のすべての組織が大きく組み替えられた年に、執事活動の充実という面に中会の目が注がれたのです。ついでですが、私が教師候補者として登録されたのは198473日でした。


 さて、今まで東部中会の連合執事会はどんな活動をしてきたのでしょうか。過去の中会記録の中から、連合執事会のテーマ、講演題を拾い出してみましたので興味ある方はご覧ください(別紙)。それらの中からいくつかのテーマを列挙してみました。


 大会・中会との関係、CRCの執事活動、愛の執事的奉仕のわざ、対外援助、交わり、経済生活、献金の喜び、献金の管理、政治規準、韓国救ライ、フィリピン飢餓援助、教師共済会、執事職の起源・任務・資格、葬儀、伝道、病者への訪問、地域と教会、牧師謝儀、宗教法人法、高齢者問題、新来会者、若者への伝道、奉仕、霊的成長、教会の活性化、女性役員、大・中会の負担金、社会奉仕、東日本大震災、社会と文化。


 これらを見ますと、執事という職務が持つ仕事の役目、範囲、広がり、課題、将来などの問題が見えてきます。教会の職務は十戒に示されるように、礼拝と倫理、言いかえると神への献身と隣人に対する愛の奉仕です。前者(礼拝、神への献身)をどちらかと言えば、牧師と長老に固有の働きとするなら、後者(倫理、愛の奉仕)に加えて、会堂管理と財の管理は執事に固有の働きと理解できます。

posted by 横浜中央教会 at 21:24| ◇論壇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月06日

ヨハネ福音書5:19−30のキアスマス構造

論壇:ヨハネ福音書51930のキアスマス構造     272016


 私が用いるヨハネ福音書の注解書は、英書ではRaymond Brownですが、本日の説教個所について、下記のような平行句があると言います。


  2630節                      1925

   26  父と子が共に持つ、命を与える権能       21

   27     〃     裁きを行なう権能      22

   28 「驚くことになる」 「驚いてはならない」    20

   28  「時が来ると」、死人が子の声を聞く           25

   29 「善人は復活して」「その声を聞いた者は生きる」 25

   30  子は自分では何もできない。父の御心を行なう  19

  

 私はむしろ、下記のようなキアスマス構造を発見しました。キアスマスとは古代から存在する文章記憶術の一種で、ピラミッドの底辺から順に上に上って行き、頂点で重要な文章を強調して、またピラミッドの反対側を順に降りてくるかのように、似た文章を逆に並べるという文章構造です。詳しくは拙著『聖書随想、エデンの園のラピスラズリ』を御覧ください。受付で販売しています(700円)。本日の該当個所で強調されている文章は ee’で表示した、2425で繰り返されている「はっきり言っておく」原文では「アーメン、アーメン、私は言う」です。

24 はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。25 はっきり言っておく。死んだ者が神の子の声を聞く時が来る。今やその時である。その声を聞いた者は生きる。」


a  子は、父のなさることを見なければ、自分からは何事もできない。(19)

 b  父が死者を復活させて命をお与えになるように、(21)

 c  父はだれをも裁かず、裁きは一切子に任せておられる。 (22)

   d  子を敬わない者は、子をお遣わしになった父をも敬わない。 (23)

   e  はっきり言っておく。…わたしをお遣わしになった方を信じる者は、

     永遠の命を得、…死から命へと移っている。(24)

   e' はっきり言っておく。死んだ者が神の子の声を聞く時が来る。今や

    その時である。その声を聞いた者は生きる。(25)

   d'  父は、子にも自分の内に命を持つようにしてくださった。(26)

 c'  また、裁きを行う権能を子にお与えになった。(27)

 b'  善を行った者は復活して…、悪を行った者は復活して…(29)

a'  わたしは自分では何もできない。(30)

posted by 横浜中央教会 at 19:42| ◇論壇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月31日

会員総会略報

論壇:           会員総会略報           1312016


 先週行われた会員総会の決議事項の中で、会堂建築が決められたことは大きな進展です。建築会社と契約を締結し、建築確認取得という次のステップに進むことができるようになりました。建築総額(本体工事)29,832,680円の内、着手金150万円はすでに支払済みです。これによって皆様が持っておられる2種類の献金袋の内、水色の封筒裏面の項目「新会堂献金」はなくなります(すでに印刷されていない封筒をお持ちの方もおられます)。予約献金を2016年にしておられる方は指定献金の欄に記入してください。


 次の重要項目は、CRJM(旧CRCミッションから中会伝道委員会へ管轄委譲)への返済金(当初2000万円、残高1500万円)を、年間50万円×30年から、300万円×5年に変更し、残金1200万円を2019年までに返済することにしたことです。これは伝道委員会と私たちの間に立って、返済計画が有利になるようにと画策してくださった方に、迷惑をおかけすることになりますので、私たちの教会はこの返済方法を選択したのです。つきましては、今まで新会堂献金を献げてくださった方は、今後はぜひ「融資金返済献金」の方へ、今までの半額程度を、これから4年間ほど献げてくださると感謝です。


 次の重要項目は執事の増員を決め、N.Kさんが候補者として選出されたことです。今後小会での試問にパスされますと任職式となるでしょう。私たちの採用する教会政治は長老制政治であり、会衆政治ではありませんから、会衆による選挙結果がそのまま決定になるわけではありません。会衆政治においては、役員は会衆の代表者ですが、長老政治における長老は、キリストの代理人なのです。


 執事の増員は立石牧師の引退(2019年)に向かって教会内部の体制を固めていくための第1歩です。C.K長老の任期は2017年までですが、2018年までには新役員を誕生させ、牧師交替に備えねばなりません。


 次に、オルガンの購入が決められました。最近のニュースですが、I.Kさんがご奉仕くださり、オルガンの値段をさらに値引き交渉してくださいました。その結果現在の残高939,000円で購入出来ることになりました。古いオルガンは会堂増築後、新しい会堂の階下のホールに設置されますから、これを現在の階下に置く場所さえ決まれば、すぐにでも新しいオルガンを購入できることになりました。2004年から今まで、奏楽者を中心にオルガン献金を献げてくださった方々に感謝します。

posted by 横浜中央教会 at 07:00| ◇論壇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月23日

「信じる」とは

論壇:          「信じる」とは           1242016


 ヨハネはイエスの多くの奇跡の中で7つだけを紹介し、その最初の二つだけを「最初のしるし」(2:11)、「二回目のしるし」(4:54)と呼びます。この2回のしるしの間に「信じる」という言葉が繰り返し使われています。「弟子たちはイエスを信じた」(2:11)、「弟子たちは…聖書とイエスの語られた言葉とを信じた」(2:22)、「女の言葉によって、イエスを信じた」(4:39)「イエスの言葉を聞いて信じた」(4:41)、「イエスの言われた言葉を信じて帰って行った」(4:50)、「彼もその家族もこぞって信じた」(4:53)。それぞれどう違うのでしょうか。どうやらヨハネは、信じるという信仰には三つの段階があると言っているように思えます。


 第1段階は「イエスは普通の人間ではない。特別な神の力を持っている」ということを、しるしを見て、またうわさを聞いて信じる段階です。サマリアの人々は女の証言によってイエスを信じましたが、イエスという預言者が存在することを承認したという段階でしょう。ヨハネ4章の役人は、瀕死の息子をかかえていましたが、イエスのうわさを聞き付け、藁にもすがる思いでイエスを信じ(すがり)、30Kmも離れたカファルナウムからカナへやって来ました。これだけでもかなりの信仰と言えるでしょう。しかし彼の信仰では、イエスが足を運んで、直接息子にふれて癒さなければ助からないと思っていますから「子供が死なないうちにおいでください」と頼んでいます。イエスの神通力は死人にはきかないと思っています。


 第2段階はイエスの言葉を信じるという信仰です。役人は「あなたの息子は生きる」と保証したイエスの言葉を信じました。つまりイエスの言葉には、リモート・コントロールによって癒す力があると信じて帰って行きました。


 第3段階は、イエスの言葉が真実であったことを確認して、今までのイエスへの信仰が固まり、命を与えることのできる方、つまり神としてイエスを信じる段階です。役人は家族に伝道し、彼の確信に満ちた証しを聞いた家族も信じました。つまり彼の信仰は家族の心も変える力を持ったのです。家族はイエスを見たわけでもないし、イエスの言葉を聞いたわけでもありません。役人は心も性格も表情も変わってしまったのでしょう。それを見た家族は、このように彼を変えた力を見てイエスを信じました。


 イエスが地上におられない現代の私たちには、第1・第2段階による信仰はありません。役人の家族と同じ立場です。信じるとは単なる知的承認ではありません。信じるとは、イエスと私の間に「依り頼む」人格関係が、聖霊の働きによってできることです。私たちは聖書の証言によって、私に新しい命を与え、私を罪から救ってくださるイエスを、救い主として信じるのです。

posted by 横浜中央教会 at 13:45| ◇論壇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月18日

会員総会に備えて

論壇:           会員総会に備えて          1172016


 教会員は洗礼を受ける時、またこの教会に加入する時、6項目の誓約をされました。その5と6は下記のとおりです。5、「あなたは最善をつくして、教会の礼拝を守り、その活動に奉仕し、教会を維持することを約束しますか」6、「あなたは、日本キリスト改革派教会の政治と戒規とに服し、その純潔と平和のために努めることを約束しますか」。これを会員の方は神様の前で誓約されたのです。次週に開かれる会員総会は、会員の義務の中でも最高のものの一つであると言えるでしょう。昨年1年間の教会活動を総括し、新しい1年間の活動について皆で合意を作るための大切な会議だからです。ぜひご出席ください。


 今年の総会の大きな議題はいくつかあります。執事を1名増員すること、新しい建築計画にゴーサインを出すこと、オルガン購入の提案などですが、もう一つは、昨年の融資金返済計画が白紙になってしまったことです。年報の巻頭言でも書きましたが、中会のCRJMファンドへの返済金(1500万円)は30年×50万で考えていたのですが、これは中会へ融資金返済猶予の手続きをしていなかったと追求されたのです。私たちには別の言い訳があるのですが、好意で私たちの願いを認めようとしてくださった方の進退問題に発展してしまうので、中会への猶予願い再提出はあきらめました。そんなわけでこれから4年間、毎年300万円ずつ中会に返済する道を選びました。


 昨年の新会堂増築献金は474万円ありました。大口献金を除きますと、コンスタントに献金してくださった方々の献金合計額は年額200万円ほどでした。今年は会堂建築献金の項目は、予約アンケートの2016年分に記入された方々がおられますので、項目自体はなくしませんが、今までの融資金返済献金の項目と、新会堂建築融資金(800万円)の項目は合体させて、一つの「融資金返済献金」の項目(計2200万円)だけにします。


 従って、昨年まで会堂建築献金を定期的にされた方々が、今年は「融資金返済献金」に、今までの半額程度以上を、4年間励んでくだされば何とか賄えると考えています。また今まで会堂建築献金に参加していなかった方々や、「礼拝人数は増えていないのに、会堂を増築する必要はない」と表明しておられた方々も、事ここに至っては、神様の祝福がこのような献金によって表れているのですから、少しでも新しく参加していただきたいと思います。


 しかしいずれにしても、一昨年「中会への返済は長期返済にしてもらいましたので、皆さんはこれから2年間に限って会堂献金に特別に励んでくだされば、更なる融資金を募集することはありません」と言明したことは撤回せざるを得ませんことをおわびします。

posted by 横浜中央教会 at 05:39| ◇論壇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月03日

「地の上に御心を」(元旦礼拝説教要旨)

論壇:      「地の上に御心を」(元旦礼拝説教要旨)    132016

 20世紀は戦争の世紀だったが、21世紀は無差別テロによって新しい世紀を迎え、歴史の新しい時代に突入した。戦争は敵味方の顔がまだ見えていた戦いから、相手の顔の見えない、また非戦闘員への被害が拡大した、より悲惨な戦いとなった。イエスは「主の祈り」で「天におけるように、地の上にも御心が行なわれるように」と祈るよう教えられた。地の上に平和がない現状の中で「御心」を求める祈りは空しいのだろうか。御心とは何だろうか。

 エレミヤは神の言葉をこう伝えた。「私は、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている。…それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである」(エレミヤ29:11)。神の計画すなわち御心とは、人類の未来に関する、そして私に関する、神の祝福の平和のご計画のことである。私たちは、地上の今の生活において神の御心が行なわれることを祈る。しかし一方で、クリスマスの夜、羊飼いたちに伝えられた救い主誕生のメッセージに引き続いて、天使の歌った神賛美は「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」であった(ルカ214)。平和にはこの世的な物理的平和と、神との関係における心の平和があるが、御心に適わない人には、真の平和は来ないのである。

 イエスは「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい」(マタイ5:48)と命令されたが、これは私たちにとって実行不可能な、無理を承知の上での命令ではないか。従って祈りは出来る出来ないではなく、そう祈らずにはおれないから祈るものである。この主の祈りを、私たちは自分のために祈るのではなく、神のために祈る。「それが適えられなければ、神様、あなたご自身がお困りになるのですよ」。そのような祈りとして我々は、地の上に御心を行なわれる方に向かって祈る。現状に満足している人はこのようには祈らない。 

 イエスはらい病人に「私の心だ、きよくなれ」と言われた(マルコ141、新改訳)。イエスはその生涯を通して神の御心を私達に見せてくださった。弱い者、傷ついた者、病める者が癒され、イエスに出会った人は変えられた。イエスは十字架で人の罪を除き去り、私を造られた造物主との関係における真の平和を再構築された。この恵みにより、罪ある私たちの人生の方向性が大きく変えられ、「御国」建設のための働き人として、私たちに新しい使命が与えられた。御心を地に求めるということは、私達がイエスのように生き、祈るように変えられることである。十字架で成し遂げられた救いこそ神の御心。この福音を今年も一生懸命宣べ伝えよう。そして「主よ、あなたの御心を早く地の上に行なってください」と祈ろう。

posted by 横浜中央教会 at 09:39| ◇論壇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。