2008年05月14日

CRC感謝献金について

論壇:      CRC感謝献金について      5/11/2008
 199810月、神戸で開かれた第53回定期大会でのある夜、CRCのスパーリンク宣教師が、私とC長老をロビーに呼び出してこう言いました。「私たちも横浜西口教会の横浜開拓伝道に協力させてください。2000万円を無利息で融資します。返せる時に返してくだされば結構です」。
 この時私たちの会堂建築費用は、東京教会からの献金2000万円を含めて5100万円で(論壇集1997-2001178)、この範囲内で会堂を探すというのが当時の財政事情でした。CRCのお申し出により、この上限金額は一挙に7100万円になりました。その後2000年までに、教会内献金に加えて、東京教会や他の教会からの献金が650万円、M姉の融資金が2000万円、その他の献金・融資金を含めて、結局横浜中央教会の土地・建物総額は約1億2000万円となりました。この内融資金は6660万円でした。
 この借金は2007年までに2940万円返済し、3720万円までに減ったのですが、昨年牧師館購入と会堂リフォームのため、新たに940万円の融資金が加わり、現在の借金総額は4660万円です(08年年報19)。皆さんの献身的な努力と主の祝福に支えられて、ここまで導かれてきましたことを感謝し、教会設立20周年(713日)の喜びの日を迎えたいと思います。
 さてCRCの融資金2000万円ですが、私たちは2010年からこれを分割返済する予定です。1999年に借りた2000万円を世の中の普通の利息、年利3〜4%で計算するなら、今までの利息だけで540720万円になります。このことを考え、先週の小会では教会設立20周年のこの年、CRCに感謝を表すため、感謝献金をしようということになりました。しかし現在は皆さんの献金状況は精一杯ですから高額な募金はできません。それで目標額を10万円とし、これに20周年献金残金から5万円を加えて計15万円を送金することにします。募金期間は7月13日までとします。
 このお金の使い道ですが、先日CRCの海外宣教委員会の代表者たちが来日して、東部中会の主だったメンバーと協議会をしました。その理由はCRC会員の日本伝道離れをくい止めるための対策でした。それで私が関係者に尋ねた結果、CRCでは月刊誌『Banner』(旗印)という雑誌をすべての会員宅に配布していますので、その1頁に横浜中央教会の集合写真を掲載するという方法にします。コメントの文章は「CRCありがとう、あなたたちの融資金で会堂が建ちました。今年20周年を迎えました」というような文面になるでしょう。
 つきましては、皆様の指定献金の袋(水色)に目的を「CRC」と記入して献金してください。また受付に封筒も用意する予定です。よろしくお願い致します。
posted by 横浜中央教会 at 15:39| ◇論壇

2008年05月04日

東日本伝道協議会のこと

論壇:        東日本伝道協議会のこと       4/27/2008
 5月6日に標記の会議が東京恩寵教会で開かれ、私とC長老が出席します。この会議は東北・東関東・東部の三中会が5年に1回開く会議で、三中会の教師・長老が集まり、共通の課題である「東日本」の伝道について話し合います。前回の会議は2005年に開かれましたので、今回の会議は臨時会になります。
 1946年、日本キリスト改革派教会の創立は、東部中会と西部中会という二つの中会から構成される「大会」によってなされました。この時から、日本の東半分は東部中会の伝道圏、西半分は西部中会の伝道圏と、それぞれの役割を分担しました。その後1983年、東部中会から東北中会が独立、2006年、東関東中会が東部中会から独立しました。
 東部中会は三つの中会に分れましたが、「東日本伝道」という共通の働きを持っています。それは東北の伝道と北海道の伝道です。もっと具体的に言うと、盛岡伝道所の経済援助と、札幌伝道所の移管です。
 盛岡伝道所は、東部中会25周年記念事業として(実際には5年遅れて)始められました。現在三中会が毎年300万円援助しています。また区画整理に伴って移転することが決まりましたので、用地購入と会堂建設のために約7500万円が必要になりましたが、東部中会はこの内5600万円を負担します。
 さて昨年、大会の伝道所(沖縄、熊本、小倉、札幌)をすべて所属中会に移管することが決まり、札幌伝道所は東北中会所属となりました。しかし東北中会では荷が重すぎますので、これを東日本伝道協議会で引き受けようというのが今回の会議の一つの議題です。
 このように、今までの東部中会の歴史を知っていないと、なぜ私たちが盛岡や札幌のために負担金を払ったり、献金をするのかということが分からなくなってきます。残念ながら新しく教師になったり、他中会から転入してきた教師にもこのことが当てはまります。それで、今回の会議ではもう一度、「東日本」伝道に献身する「旧」東部中会の伝統と使命を確認する必要があります。
 三中会は3年毎に、夏の信徒修養会を合同で行うことが決められており、今年の夏これが行われます。しかし今回、東関東中会から、この合同修養会を2011年にはやめたい、という提案が出ます。理由は「各中会の独自性、アイデンティティを高めるため」というのですが、自分たちの夏の行事で手が一杯というのが実情でしょう。ここにもすでに三中会一致のほころびが出て来ています。北海道伝道が成功するためには、まず三中会の一致が先決になります。
posted by 横浜中央教会 at 17:58| ◇論壇

2008年04月27日

『創立宣言』に見る「教会とは何か」

論壇:   『創立宣言』に見る「教会とは何か」   4/27/2008
 創立宣言は、世界には「見えざる教会」と呼ばれる唯一の教会があると言います。「神のみ明らかに知り給ふ所謂“見えざる教会”は全世界に亘り、過去、現在、未来なる全歴史を通し地上と天上とを貫きて聖なる唯一の公同教会として存在す」。地上にある現実の教会は「見えざる教会」が見える教会として、時間と場所の中に表れて来たものです。しかしそれは人間的弱さと罪を内に持つ不完全な姿の教会です。教会は不完全であるばかりか、悪魔の会堂に堕落していたこともありました。
 戦争中、日本の教会では、讃美歌を歌う前に君が代を歌い、宮城遥拝をし、会堂の玄関に大麻を掲げていたのです。クリスチャン個人は、学校でも職場でも神社参拝に強制的に連れて行かれ、拒否できませんでした。
 この罪の歴史の反省から、創立宣言は、教会が本当の教会であるためには三つの条件が必要だと言いました。それらは、@信仰告白による一致:教会員が同じ信仰告白をすること。それも使徒信条のような簡易信条を共有するだけでは、この世の具体的な問題に対処できないから、できるだけ詳細な信条を持つことが必要。日本キリスト改革派教会がウェストミンスター信仰基準を採用する理由は、それが当時の最高度のものだからでした。しかし創立宣言は、自分たちの手で作成した信仰告白を、いつの日にか持つべきであると主張しました。A教会政治による一致:聖書の教えは、監督政治でも会衆政治でもなく、長老政治で、これには三つの原理があります。教職の平等性、複数の長老による会議、上位の会議に下位の会議が管理されること(一つの会議が過ちを犯しても、上位の会議によってチェックできる)。これが私達の教会が小会・中会・大会という段階的会議構成を設けている理由です。
 小会の役割は聖礼典の管理と伝道(誰に洗礼を授けるか、誰に聖餐式を授けるか)。中会の役割は教師の任職と罷免、教会設立と解散、中会単位の伝道。大会の役割は教理と憲法の管理、教派を代表する対外的交際、神学校の経営などです。B善き生活の追求:教会政治には戒規が必要です。教会の中に罪が入り込んで来た時、これを裁くシステムがあり、皆が周知していることが大事です。戒規の目的は、キリストの栄誉の擁護、違反者の霊的利益、違反の懲治、つまづきの除去、教会の純潔および繁栄の増進(訓練規定3条)です。
 また罰則が明記されることによって、いきなりの除名、分裂などという悲劇を防がねばなりません。私たちの教会の戒規規則では罪に対する罰則は、口頭注意、陪餐停止、職務の停止、除名、と段階を設けています。
posted by 横浜中央教会 at 20:04| ◇論壇

2008年04月13日

4月からの教会活動、その2

論壇     4月からの教会活動、その2   4/132008
 来週の礼拝で『使徒言行録』の連続講解説教が終わります。その後の連続講解説教のテキストをどれにしようかと考えました。使徒言行録を始めたのは2006年9月からでしたが、その前の『コリント書T』を終えるにあたって、そのまま『コリント書U』に進むのではなく、一旦中止して、パウロの手紙の背景を知るために、パウロの伝道旅行の記録である使徒言行録を先に学びましょうということでした。
 それで次は『コリント書U』、『ガラテヤ書』、『エフェソ書』と続けていこうと思います。しかししばらくの間は「キリスト教の重大教理」をいくつかお話したいと思います。4月27日はちょうど大会創立日献金ということで、私たちの改革派教会創立(1946年4月29日)を記念する礼拝日です。例年のようにこの日も「日本キリスト改革派教会創立宣言」を朗読しますから、この日の説教は「教会とは何か」という題で教会論をお話しします。今から62年前、改革派教会がなぜ、何のために、どんなヴィジョンを掲げて設立されたのか、また正しい教会のあり方、教会の本質は何なのかを学びたいと思います。
 その後は「〇〇とは何か、または「〇〇について」というシリーズで、「神」「罪」「キリスト」「十字架」「救い」「律法と福音」「祈り」「洗礼」「聖餐式」「教会政治」などを学びます。5月11日は「ペンテコステ」、7月13日は「横浜中央教会設立20周年」で、予定では7月20日からコリント前書の講解に入ることになるでしょう。   というわけで、皆さんには今からぜひ「改革派教会創立宣言」を予習していただき、創立者たちの信仰と希望がどこにあったのか、特に創立者たちは「何を反省して」新しい教会を設立したのかという点に注意を払っていただきたいと思います。この点を私たちがしっかりと継承しているかどうかによって、改革派教会は立ちも倒れもするからです。
 1941年、日本のすべてのキリスト教会は政府の命令によって「日本キリスト教団」に合同させられ、戦争協力体制への総仕上げをしていきました。それまで個々の教会で散発的に行われていた抵抗はすべてプライベートなものとなり、教団発足からは、宮城遥拝、君が代斉唱、神社参拝、戦争協力、アジアの隣人に対する虐げを、組織として行う「キリストへの反逆罪」の中に巻き込まれていったのです。それは不十分な神学から来る「正しいキリスト教教理を現実社会に適応する」能力の欠如のゆえでした。そこから、改革派教会は「神中心的世界観」を確立するための具体的教会生活、すなわち「正しく詳細な信仰告白(信条)」「正しい教会政治」、「信徒の善き生活」具現化のための「教会戒規」必須を掲げたのです。
posted by 横浜中央教会 at 16:13| ◇論壇

2008年04月05日

4月からの教会活動

論壇:        4月からの教会活動       4/6/2008
 3月14日、牧師家族は転居先のマンションに引っ越しましたが、荷物はまだまだ片付いていません。4月4日、県税事務所に不動産取得税免税の申請をしましたが、結果は4月の終わりごろになります。教会と牧師館が離れていますので、庫裡(くり)として認められるのは難しいようです。 教会堂2階のリフォームと後片付けはようやく終わり、1階がフルに利用出来るようになりました。先週は祈祷会を1階で行いましたが、とても寒い部屋でした。これからは昼食も1階で取ることになりますが、その都度椅子を運ばねばなりません。どんな椅子を購入するのか、執事会で早急に考えていただきます。
 牧師館のリフォーム代と引越代は約210万円、会堂のリフォーム代は約70万円で、合計280万円でした。20周年事業の当該予算は320万円ですから40万円残る計算にはなりますが、もし免税の申請が却下されれば不動産取得税は約25万円ですから、残りの15万円が椅子の購入費などに使えることになります。もちろんこれは昨年行った、20周年事業の献金予約アンケートによる、今年の収入を見込んでの計算です。
 2月の懇談会では、会堂の床をフローリングにする希望が出ていましたが、工務店による見積もりでは約86万円でした。今年の年末の会計の様子を見てから考えることですが、来年実行できたら幸いです。
 建物の問題は一段落しましたので、私たちにとってもっと重要な教会活動について考えたいと思います。朝の礼拝説教では、2006年9月から続いていた使徒言行録の連続講解説教が、もう2回ほどで終わります。今後の説教テキストについてご希望がある方は、年報の10頁「立石牧師赴任後の連続講解説教」を読んでから、牧師にお知らせください。
 教会学校では新しいスタッフを募集しています。活動の一部だけでも分担していただけるなら大歓迎です。中條校長や他のスタッフにお知らせ下さい。この春から新しい生徒も入ってきますので分級を充実させましょう。
 家庭集会のために家庭を提供してくださる方を募集しています。時間は午前、午後、夜でもかまいません。またこれとは別に、しばらく前に行っていた「訪問祈祷会」を再開できないだろうかと考えています。たとえば毎月第〇水曜日を「訪問祈祷会の日」と決めて、午後7時〜8時頃開始、その家庭と、近隣の方に集まっていただき、1時間ほどの集会をします。年に1回、家庭を提供してくださる方があれば、牧師や長老たちが訪問します。 
posted by 横浜中央教会 at 18:36| ◇論壇

2008年03月22日

 「十字架は我がためなり」 受難日礼拝説教要旨

論壇: 「十字架は我がためなり」 受難日礼拝説教要旨  3232008
 ルター(1483-1546)、カルヴァン(1509-1564)と続いたヨーロッパ
宗教改革運動の後に登場する、オランダの神学教授ヘルマン・ヤコブ
(ラテン名アルミニウス
1560-1609)の弟子たちは、改革派教会の聖書
観に反対し、「アルミニウス主義の5特質」という教理をオランダ州議
会に提出して訴えました。
@:自由意志(Free will):人間は堕落した
とはいえ、救いのためにキリストを受け入れようと自由に意志すること
ができる、十分な良い資質が残されている。
A:条件的選び
Conditional Election):救いへの選びは、誰が信仰を持つかという
ことをあらかじめ知っておられる神の予知に依拠している。
B:普遍的
贖罪(
Universal Atonement):キリストの死は、神がすべての人を救
うための土台を提供した。各個人は自由意志を働かせて、キリストを受
け入れる。
C:可抗的恩恵(Obstructable Grace):人間は「自由意
志」を持っているので、すべての人を救おうとされる、神の恩恵と決定
に逆らうこともできる。
D:恩恵からの失墜(Fall from grace):人は
救われたいと意志し続け、努力し続けなければ、救いの内に留まる事が
できず、神の恩恵から脱落することもある。
 この主張を聖書の光に照
らして調べるため、ドルト神学者会議
(1618年)が開かれました。会議
はアルミニウスの見解は異端的であると宣言し、アルミニウス主義の5
特質について一つ一つ反駁し、「カルヴィニズムの5特質」を形成しま
した。これはTULIPという名前で知られていきます。
@全的堕落
Total Depravity):堕落は人の人格、能力の全体(total)に及んで
いて、人には自分の力で救いを勝ち取るような能力や自由意志はない。
A無条件的選び(Unconditional Election):選びはその人が将来信仰
を持つと神が予知したという条件に基づくのではない。人間には選ばれ
る条件は何もない。
B限定的贖罪(Limited Atonement):キリストの
十字架は、神が選んでおられる選民のための贖罪の死であり、すべての
人類のためではない。(ヨハネ
3:18
C不可抗的恩恵(Irresistible
Grace
):神がこの人を救うと決めた、神の意思の決定による恩恵は、
人間によって拒まれることはない。       
D聖徒の堅忍
Perseverence of the Saints):選民は地上において忍耐が必要だが必
ず救われる。しかし誰が選ばれているかは、人間には知らされていな
い。
 キリストは永遠の昔から父によってキリストに与えられた、特定
の人を救うために死んだのです。ここには神中心の信仰があります。キ
リストの十字架は私のためだと言えるのは、神が私の意志より先に、私
を救いに予定されたからです。 アルミニアン神学は人間中心の「業の
神学」と言えます。人類全体のための十字架ということは、結局十把一
からげの中の私ということになります。予定論とは「救われる引き換え
条件として善行をなす」という偽善の否定です。私たちは自分こそ救済
され選ばれた人間であると信じ、感謝と証しの人生を生きるのです。
posted by 横浜中央教会 at 19:25| ◇論壇

2008年03月01日

「聖絶」について

論壇:       「聖絶」について         322008

 夕礼拝では『ヨシュア記』の連続講解説教が、エリコの戦いの場面になりました。本日の夕拝説教では、旧約聖書で最も解釈が困難な個所の一つ、「聖絶」、すなわち「皆殺し」を命じる聖書の記述(6:21)の意味について考えます。キリスト教は現代のジェノサイド、民族浄化を認めません。それなら、聖書のこの個所をどう理解すべきでしょうか。イスラム教とキリスト教がますます対立を深め、民族紛争が多発する現代、私たちは聖書が教える「聖絶」の思想を、正しく理解しなければなりません。

 ヨルダン川を渡ったイスラエルは、割礼を命ぜられ、神との再契約をすることにより、もう一度契約の民として神の前に捧げられます(5章)。いよいよエリコへ攻め入る前、ヨシュアの前に「主の軍の将軍」が現れ、ヨシュアに「あなたの立っている場所は聖なる所である」(5:13-15)と注意を促します。また祭司が軍隊を先導すること、7日間エリコの城壁を回ること、角笛を吹くこと、これらの命令はすべて、この戦いが神様自らが戦われる「聖戦」であることを教えています。

 世界のすべてのものは神様の所有物です。その神様が「これを滅ぼせ」と言われる時、その命令は私たちの感情をすべて超えて正しい、聖なる行為です。私たちのヒューマニズムの感情が入り込むことは許されません。しかし「神の命令という大義名分をかかげて民族浄化するのは、自分だけが正しいとする宗教の傲慢さの表れであり、聖書の聖絶思想は、原理主義宗教や、オウムのポアと同じだ」とキリスト教は攻撃されます。

 解釈のカギは、「災いだ。私は滅ぼされる」(イザヤ6:5)と叫んだイザヤの告白にあります。神の顕現に出会ったイザヤは自分の罪のゆえに、当然滅ぼされる存在だと自覚しました。またペトロもイエスの奇跡を見て、「主よ、わたしから離れてください」(ルカ5:8)と恐怖に震えました。これが神の「聖」を自覚するということです。私たちは神様の「聖」の前に焼き尽くされて当然の罪人です。この自覚はどのようにして生じるのでしょうか。それを教えるのが「聖絶」です。神様の前に真剣に正しく生きようとしない者はすべて滅ぼされます。神様は何を嫌われるか、それはどれほど恐ろしいことか。これが分かって初めて神様という方が分かるのです。そして私たちの罪をすべて背負って、神様に聖絶されたイエスの十字架が、私にとって本当に必要だったと分かるのです。

 「聖絶のものは最も聖なるものであり、主のものである。人であって、聖絶されるべきものは、贖われることはできない。その者は必ず殺されなければならない」(レビ記27:28 新改訳)。一見矛盾しているこの聖句は、イエスという方を通して分かるのです。夕礼拝にご出席ください。
posted by 横浜中央教会 at 16:05| ◇論壇

2008年02月23日

ι(イオタ)一文字の論争

論壇:    ι(イオタ)一文字の論争        2/24/2008

 先週の教理説教では、ウェストミンスター小教理問答21問を学びました。「…主イエス・キリストは、神の永遠の御子でありつつ人となられました。それで、当時も今もいつまでも、二つの区別された性質、一つの人格をもつ、神また人であり続けられます」。この「神また人である」キリスト、キリスト教最大の教理の一つである二性一人格という教理が確立するまでには、長い論争の歴史がありました。

 325年に開かれたニカイア教会会議では、キリストは「真の神より出でたる真の神、造られずして生まれ、御父と同質(ホモウシオス)」と定義されました。これは当時アレイオス(250-336頃)が主張していた「キリストは半神であり、天使の長、最高の被造物、居ない時があり、生れる前は居なかった」と言う異端説に対して、アタナシオス(295-373)が論争して勝ち取ったものです。

 彼はアレイオスの、キリストは神と同類(Homoiousios、ホモイウシオス)であると言う主張を反駁し、キリストは本質において神と同質(Homoousios、ホモウシオス)であると主張しました。この小さなi、ギリシャ語ではι(イオタ)と言う文字があるかないか、これにイエスの神性がかかっていました。これをイオタ論争と呼びます。

 キリストが神・人であるという真理は神秘ですから、人間の言葉で合理的に説明できるものではありません。しかし人間はこれを理性で納得し理解しようとしますから、キリスト教史においては様々な異端説が現れました。325年のニカイア信条の後も、この論争は終わりませんでした。

 父なる神と子なるキリストが本質において同質であるということは、父と子の区別が存在していないようにも受け取ることができます。これはサベリウス(−260頃)の古い異端説、「天父受難説」と同一視される恐れがありました。サベリウスは、神は単一なる実体で、父・子・聖霊はこの単一の神の三つの顕現様式である。三者は別個の人格ではなく、一人格によって取られた三つの役割である。キリストの受難は天父ご自身の受難であった。天父自身が生まれ、受難し、死んだ。と説いたのです。

 その後ローまでは、アレイオスを指示する勢力とアタナシオスを指示する勢力が、ローマ皇帝コンスタンティヌスを巻き込んで争い、アタナシオスは皇帝の命令により追放されます。その後宮廷の勢力が変わるたびに、両者の関係は浮き沈みを繰り返します。二性一人格の教理が教会で定着するには、次の時代を待たねばなりませんでした。
posted by 横浜中央教会 at 19:15| ◇論壇

2008年02月18日

北沼津伝道所のこと

論壇:       北沼津伝道所のこと        2/17/2008

 本日午後3時、北沼津伝道所でスチューワート・ラウワ宣教師の協力宣教師就職式があります。この伝道所は1976年、CRCのR.D.サイツマ宣教師によって宣教が開始され、会堂がすぐに建てられました。この伝道所は静岡県にありますので中部中会の管轄でしたが、1991年に東部中会に移管されました。現在までのこの伝道所の歴史は下記のとおりです。

1976-1983年:R.D.サイツマ宣教師

1983-1986年:スパーリンク宣教師、中根汎信協力教師

1987-1991年:    〃     川瀬勝次協力教師

1991-2002年:    〃     神山 通協力教師

      (中部中会管轄から東部中会管轄のCRC伝道所になる)

2001年:CRCから東部中会に移管(代理宣教教師:潮田純一教師)

2002年:東部中会・CRC・韓国高神宣教部、三者による協力委員会発足

    羅達植宣教師、協力宣教師として赴任 20068月辞任

2008217日:opc(正統長老教会)ラウワ宣教師の協力宣教師就職式

 以上のように、この伝道所は30年以上の歴史がありますが、成長には時間がかかっています。その理由はいくつか考えられますが、大きな理由は、中部中会からも東部中会からも離れた地であったので、中会的交わりから遠かった点があげられます。中会とは日頃から、教師間の交わりと研鑽が物理的に可能な地域において力を発揮するシステムです。

 また私たちの教会全体に言えることですが、大都市圏の教会が地方の牧師を引き抜いて招聘することが多いため、優秀な教師は都市部に集中し易く、新卒者が地方に赴任することが多い。また都市部で行き詰まりを感じている牧師が地方に出向して行く傾向があるかもしれません。

 北沼津伝道所は、2001年に東部中会に移管されましたが、中会では日本人教師を雇う力がありませんでしたので、給料については韓国高神派教会が責任を持つ宣教師を雇ったのです。今回でもOPCが給料の責任を持つ宣教師が遣わされました。とは言え、アメリカのOPC教会の熱心な日本伝道の祈りがあって、今日の日を迎えることができたのです。

 ラウワ宣教師招聘状に署名したのは私ですが、この伝道所ができるだけ早く成長し、日本人牧師を雇う日が来ますよう祈ります。東部中会は私と林豊彦教師(横浜教会)と小山邦介長老(厚木教会)を就職式の特命委員に選びました。それは将来の北沼津教会設立が、神奈川中会建設を目指そうとする、神奈川にある教会全体の祈りの課題でもあるからです。

posted by 横浜中央教会 at 20:31| ◇論壇

2008年02月10日

2.11 信教の自由を守る日

論壇:    2.11 信教の自由を守る日        2/10/2008

 明日は2.11集会の日です。日本国憲法の基本精神である政教分離の原則が次第に骨抜きになってきている昨今です。今年1月11日には「新憲法制定議員連盟」(会長中曽根元首相)が、衆参両院議長に「憲法審査会の始動を求める決議」を提出しました。今週は「自民党新憲法草案」の20条3項の規定を、現行憲法と比較して考えたいと思います。

 現行憲法:「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」

 自民党新憲法草案:「国及び公共団体は、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超える宗教教育その他の宗教的活動であって、宗教的意義を有し、特定の宗教に対する援助、助長若しくは干渉となるようなものを行ってはならない。」  

 憲法20条(信教の自由の保証)と89条(公金を宗教活動に支出することの禁止)は、戦争遂行の精神的原動力であった国家神道を払拭するために新たに設けられた、政教分離の画期的な条項です。自民党新憲法草案は、20条第1項(信教の自由と、宗教団体が国から特権を受けることの禁止)と、第2項(宗教儀式参加強制の禁止)については手を出すことができませんでしたが、第3項を骨抜きにしようと画策したのです。

 現行憲法の20条3項は誰が読んでも明白な文章です。国は「いかなる」宗教的活動もしてはならないのです。しかし自民党新憲法草案を見ますと、「社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超える」と、明白な宗教活動と薄められた宗教活動とでも言えるような、宗教活動を二種類に分け、ことさらに宗教活動をあいまいなものにしようとする作為があります。

 「又は」という言葉は、国または公共団体が行う儀式が、社会的儀礼でも習俗的行為でもどちらか一つに該当すれば合憲となるという意味です。たとえ神主を招いて地鎮祭を行い、公金を支出しても、これは単なる社会的儀礼だと言うでしょう(津地鎮祭違憲訴訟ではすでにこの論理で敗訴している)。町の神社がご祭礼の時に町内会費で寄付金を徴収しても、年中行事の習俗的行為だと言うでしょう。

 もう一つの問題は、その行為を誰が「宗教的意義を有し」ていると判断するのでしょうか。こんな憲法が通ってしまったら、日本はまた戦前の国に逆戻りしてしまいます。私たちは一市民として、また地の塩として、この国が再び神道国家になるのを防がねばなりません。
posted by 横浜中央教会 at 17:45| ◇論壇

2008年02月03日

『教会の政治とは?』

論壇:      『教会の政治とは?』        2/3/2008

 本日皆さんの週報ボックスに表題の小冊子を入れておきました。これは吉岡繁引退教師が、昨年中部中会の月刊誌『改革派中部』に1年間、12回掲載されたものをまとめたものです。吉岡繁先生は1923年誕生、仙台教会の牧師と神戸改革派神学校の校長を努められました。現在は改革派神学研修所の実践神学部門の内、伝道学、礼拝学、牧会学、教会政治の講師を努めておられます。先生は今年85才、まだまだお元気ですが、私が先生の授業をこれから引き継がねばなりませんので、私は現在教えている説教学に加えて、今年から吉岡先生の伝道学の授業を聴講しています。

 吉岡先生の著書に『教会の政治』(小峰書店)というすでに絶版となった本がありますが、今回の『教会の政治とは?』は、これを一般信徒のために分かりやすくダイジェストしたものです。これだけの分量でありながら「教会政治の長老主義制度が聖書に基づくものであるという根本のこと」が、分かり易く解説されています。一つだけ紹介しますと、『長老主義の三原則』は、教師試験で毎年出される問題です。それは、

 @長老議会による教会政治:これは教会の問題は会議で決めるということです。誰に洗礼を授けるかという小会に固有な問題から、教会の年間予算という会員総会での決議事項など多種に及びますが、最後は小会が責任を持つということです。現実には、たとえば婦人会活動や青年会の活動などは独自に行われるにしても、その活動報告が年報に記載され、会員総会で報告されるわけですから、最終的には小会の責任範囲になるわけです。

 A教師の平等:これは現実的には、年齢の違い、実力の違いがある教師たちの中で、法的な上下関係を認めないということです。しかしこれは、個々の教師が自覚的に自己研鑽しないと、道理の分かった教師も分かっていない教師も会議で一票を行使するわけですから、衆愚政治に陥り易い。

 B会議の段階的構成:各個教会(小会)は独立した権能を持つが、上級会議(中会、大会)の権能に服すということです。中会で盛岡伝道所の負担金を決めたが、うちの教会は東北伝道には関心がないから負担金を支払わないというわけにはいきません。また戒規の問題などで不服がある場合は、上級会議に提訴できます。

 これから第4主日午後の懇談会などを用いて、この小冊子を学びたいと思います。一人一人が、聖書が教える正しい教会のあり方と、それを現実の問題に適用できる応用力を備えていただきたいと思います。この小冊子制作は時間のかかった作業でしたので、大事に保存して読んでください。 

posted by 横浜中央教会 at 08:48| ◇論壇

2008年01月26日

信条の証拠(引用)聖句

論壇:     信条の証拠(引用)聖句       1/27/2008

 『まじわり』誌の最後の頁は、「私の好きな聖句」という題で、信徒の証しが毎回紹介されています。2008年2月号でも、藤井牧子さんという方のすばらしい証しが掲載されています。この方はハイデルベルグ信仰問答書の引用聖句を、すべてノートに書き写す作業をなさったのです。

 私たちの教会の朝礼拝では、ウェストミンスター小教理問答書の朗読と教理説教をしています。一つ一つの問いの答には聖書の引用箇所が書いてあります。つまり「この答は、聖書のこの聖句によって確証されます」という証拠聖句をあげてあるわけです。榊原康夫訳の『ウェストミンスター小教理問答書』では、聖句そのものも印刷されています。

 さて信条の引用聖句を調べることがなぜ重要なのでしょうか。それは信条とは、聖書の様々な聖句を「体系的に」読むことによって、自然にある信仰告白へ導かれ、それが信条や教理問答に結晶したものだからです。

 たとえば聖書では「教会」をどのように教えているだろうかと考えた時、「わたしはこの岩の上にわたしの教会を立てる」(マタイ16:18)と言われたイエスの言葉や、「キリストの体なる教会」(コロサイ1:24)という言葉が自然に浮かんできます。しかし教会がどういう性質や役割を持つのか、教会にはなぜ役員が必要なのか、その根拠はどの聖句から導き出されるのかという点になると、とたんに口が重くなってしまいます。同様に、救い、神の国、摂理、終末などの教理用語を、聖書からバランス良く、過不足なく説明するのはとても難しいことが分かります。

 ですから、先人の神学者たちが何年もかけて聖書を調べ、それらを総合して作り上げた信条や教理問答書を学ぶことは、私たちの信仰生活にとって大変重要なのです。今自分が読んでいるこの信条や教理は、聖書のどの聖句から出来てきたのか、ということを確認する作業、すなわち証拠(引用)聖句を調べることはとても大切です。これによって教理と聖書の両方を、いっそう深く理解できるようになります。

 なお引用聖句が、その教理とは一見関係なさそうに見えることもあります。その時は聖句の前後の文脈をよく読んだり、英語の聖書(特に欽定訳)を参照すると分かることもあります。英語圏の信条はもちろん英語の聖書を使って書かれたからです。『まじわり』誌に証しを書いた藤井牧子さんは、「証拠聖句書き写し」作業を丹念にすることにより、聖書を深く読むことができました。あなたもぜひ今月号の『まじわり』誌をお読み下さい。

posted by 横浜中央教会 at 20:54| ◇論壇

2008年01月19日

アディアホラ

論壇:        アディアホラ            1/20/2008

 「アディアホラ」とはギリシャ倫理学の用語で「善でも悪でもないこと(どちらでもよいこと)」という意味です。キリスト教会は聖書が命じてもいないし禁止してもいないことを、この用語で言い表してきました。

 コリントの市場では「偶像に供えられた肉」が普通の肉より「霊験新たかな」「病気に効く」高級な肉として売られていて(その逆にお下がりの肉で新鮮ではないから安く売られていたこともあったらしい)、これを食べることはクリスチャンにとって許されるかどうかという議論がありました。パウロは「世の中に偶像の神などはない」から、食べても食べなくても良い。しかし「あなたがのこの自由な態度が、弱い人々を罪に誘うことにならないように、気をつけなさい」と言いました(Tコリント8:49)。

これはアディアホラであるが、人をつまづかせる恐れがある時にはその人の前で食べてはいけないのです。

 教会史の中では、宗教改革時にカトリック教会が主張する7つの秘跡、結婚、終油、告解、叙階、堅信、洗礼、聖餐の内、最初の5つを、プロテスタント教会は聖書に根拠のないこととして退け、教会のサクラメントは洗礼と聖餐式だけであるとしました。しかし信者が今までの「つきあい」として、これにあずかる人と共に参列することはアディアホラだとしました。17世紀後半になりますと、敬虔主義信仰者たちとルター派との間でスポーツや観劇は罪であるかどうかが争われました。近年になりますと、礼拝における楽器の使用、祭服、鐘を鳴らすこと、講壇に十字架を掲げること、クリスチャン生活での酒とタバコなどが論争になりました。

 私たちの原則的な態度は「自由」が基本です。一人一人がその時その場で考えねばなりません。パウロは「わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷となりました」と言います(Tコリント9:1923)。 パウロはエルサレムで、なぜユダヤ教の誓願儀式に協力したのでしょうか(使徒言行録21:20-26)。それはパウロは「救いは律法の行いを要求しない」という原則を、エルサレム教会との間ですでに確認していますから、神殿礼拝や請願儀式という枝葉末節の問題では、「幾万人もの」ユダヤ人クリスチャンたちをつまづかせない為でした。クリスチャンの自由は、福音を伝えるという積極的目的がある時に発揮されます。福音の真理に抵触しなければ、パウロは「ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました」。それは「ユダヤ人を得るため」でした。

posted by 横浜中央教会 at 16:40| ◇論壇

2008年01月06日

今年の教会活動

論壇:       今年の教会活動          1/6/2008

 新年のお喜びを申し上げます。昨年の主の恵みと導きに感謝し、今年も主のわざに励みましょう。今年は教会設立20周年です。昨年からこのために行事計画が進められ、皆様の献金と融資金がささげられてきました。この献金は今年いっぱい続きますが、おかげで牧師館の購入契約を終え、牧師家族は今年2〜3月に引っ越す予定です。

 今年は教会堂の階下が、教会活動のために全面的に使用でき、教会学校の分級がさらに充実します。4月になると新しい生徒も入って来るでしょう。そのためにはどうしても教会学校のスタッフを増員しなければなりません。ご奉仕いただける方が与えられますよう祈ります。

 限られた予算で二階をどのように改装するのか、階下の各部屋をどのように使うか、これから皆さんで楽しく考えていただきたいと思います。今分かっている具体的な作業は、2階の礼拝室の台所を撤去し、また後方の書架を階下に移します。昨年のクリスマス祝会は100人を超える集会で混乱もありましたので、何とかイースター(3月23日)までには、牧師の引っ越しと二階の改装を終えたいと願っています。

 神奈川教師会ではいつのまにか、夏の合同夏季学校が綱島教会、富士霊園管理が青葉台教会、ペンテコステ集会(5月11日)が横浜中央教会という役割になっています。そんなわけで今年のお世話係もまた当教会です。昨年から公的な会場を探して申し込んだのですが、すべて抽選に外れましたので、どうしたら良いのか思案しています。この仕事は今年限りですから(青葉台教会が年内に150人規模の新会堂建築の予定)、最後のご奉仕ということで皆様によろしくお願い致します。

 7月13日は教会設立20周年記念礼拝、午後は記念講演会またはコンサートなどの集会で、現在企画委員会が計画中です。この日までには記念文集もできているでしょう。皆様の原稿提出も今月が第2次締め切りです。

 今年の夏の修養会は8月5〜7日、東北・東関東・東部、三中会合同の修養会で、福島市の飯坂ホテル聚楽で開催されます。中会の集まりとはどんなものか、ぜひご参加いただき、中会あっての横浜中央教会なのだということを実感していただきたいと思います。今から予定を立てて参加しましょう。そのほか、今年は役員研修のための半日修養会を、早いうちに、礼拝後から夕食後まで開きたいと思います。教理と教会政治に対する正しい基礎的理解があってこそ教会は正しく築き上げられるからです。
posted by 横浜中央教会 at 08:50| ◇論壇

2007年12月16日

アドヴェント、3

論壇:       アドヴェント、3       12/16/2007 祈祷会では3回にわたって旧約聖書のメシア預言を学んでいます。過去2回の学びでは、創世記3:1549:10、民数記24:17、申命記18:15、サムエル記下7:12、ヨブ記16:192019:25、詩編2:116:1022:1969:22110編、118:2225を取り上げて学びました。今週の祈祷会ではイザヤ書7:148:239:15611:1-1042:1-452:13b-53:12。その他の預言書ではエレミヤ23:5631:15、エゼキエル34:2324、ダニエル7:1314、ホセア6:211:1、ミカ5:1、ゼカリヤ6:129:9、マラキ3:20などを学びます。 マラキ3:20の「見よ、その日が来る。炉のように燃える日が。…しかし、わが名を畏れ敬うあなたたちには義の太陽が昇る。」という預言は、メシアの来臨に先立って起こることと考えられていました。だからイエスがペトロに「人々は人の子のことを何者だと言っているか」と尋ねられた時、答えの一つに「エリヤだ」という答えもあったのです(マタイ16:1314)。 このマラキの預言は、クリスマスがなぜ1225日に決められたのかということと密接な関係があります。実はイエス・キリストの誕生日について、聖書には全く言及がありません。さてヨーロッパでは12月に冬至の祭り(別名:太陽の祭り)が行われていました(1222日頃から数日間)。1年で最も太陽が短くなる1222日から3日たつと、確かに日が長くなっていくことを実感できます。それで「死んでいく太陽を蘇らせる」という祭りがヨーロッパ各地にありました。キリスト教会は当時すでにあった冬至の祭りに、「義の太陽が昇る」すなわちキリストの誕生という新しい意味付けを加えて、キリスト教の祭りとしたのです。これはキリスト教の思想と価値概念が土着の宗教を飲み込んで、新しい意味付けをしたことで、換骨奪胎(かんこつだったい)とは違うものです。 旧約聖書には、キリストの生涯、その働き、人格、十字架についてのメシア預言は多くありますが、誕生そのものについての預言は多くありません。イスラエルでは人の誕生日を祝うということが、庶民のレベルではありませんでした。聖書に登場する誕生日のパーティーの場面は二つだけ、創世記40:20の、エジプトのファラオの誕生祝い、もう一つはマルコ6:21で、洗礼者ヨハネが首を切られるという背景になったヘロデの誕生祝いです。逆に、生まれた日を呪うという仕方で自分の人生の苦しみを訴える文学手法の方が聖書では目立ちます(ヨブ3:1、エレミヤ20:14など)。 私たちは「人となった来られた」メシアが今も生きて働いておられるから、この方の誕生日を今年も祝うのです。
posted by 横浜中央教会 at 08:02| ◇論壇

2007年12月09日

アドヴェント、2

論壇:       アドヴェント、2       12/9/2007

 アドヴェントとは誰かが「来る」ことを意味します。ここからキリスト教会では、クリスマス前の4週間を、やがて「降誕」されるイエスを「待ち」望む「待降節」としました。待降節とはキリストが来るのを待つ季節です。しかしこの「待つ」には二つの意味があります。

 一つは、2000年前に来られたイエス・キリストの誕生日を祝うことを待つのです。さて誕生日とは、その人が生きているからお祝いするのです。死んだ人の誕生日を祝う人はありません。歴史上の有名人の誕生日や没年を「記念」することはあります。昨年1月27日にはモーツアルト誕生250年祭が開かれました。来年3月26日にはベートーベン没180年祭が開かれるでしょう。しかしこれは記念日にすぎませんし、毎年開かれるわけではありません。イエス・キリストの誕生日は、国境を越え、人種・民族を越えて、毎年毎年、世界中で祝われるのです。そんな人物はキリストのほかには人類史上誰もいません。なぜでしょうか。それは今、イエス・キリストが生きておられるからです。私たちクリスチャンは、私の救い主であり、今も私を守り導いてくださる、生ける真の神であるキリストの誕生日を心から祝うのです。

 二つ目は、やがて来られるキリストを待つのです。2000年前に来られたキリストの来臨を「初臨」とも呼ぶのに対して、こちらの来臨を「再臨」と呼びます。これは聖書の中でイエスが繰り返し「もう一度来る」と発言されたことによっています。「稲妻が東から西へひらめき渡るように、人の子も来る」(マタイ24:2730)、「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来る」(マタイ16:2725:31)、「戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える」(ヨハネ14:3)。パウロも言います。「神のラッパが鳴り響くと、主御自身が天から降って来られます」(Tテサロニケ4:165:23)、「主イエスが力強い天使たちを率いて天から来られるとき」(Uテサロニケ1:7)

 聖書では3回繰り返される言明は、間違いない発言として特別に重要視されます。聖書の最後を飾るにふさわしい言葉もこれです。「見よ、わたしはすぐに来る」(黙示録22:712)、「然り、わたしはすぐに来る」(22:20)

 イエス再臨の時は、誰にも明かされていません。それは主がいつ来られても良いように心備えをするためです。私たちはいつでも「マラナ・タ(主よ、来てください)」と唱えます。この準備ができている心、またこれによって信仰生活を送ること、これを「終末論的生き方」と呼びます。

posted by 横浜中央教会 at 07:03| ◇論壇

2007年12月03日

アドヴェント

論壇:        アドヴェント        11/25/2007

 アドヴェントとはラテン語adventus(来臨)の派生語で、キリストの来臨を意味し、教会暦で用いる時には「待降節」を表し、アドヴェント第1主日から1年の暦が始まります。待降節は1130日に最も近い日曜日から数え始め、4回の日曜日を待降節第1、第2、第3、第4主日と呼び、待降節礼拝を守ります。そして1225日は朝から晩までクリスマス礼拝です。

 しかし日本では1225日は休日ではありませんので、待降節第4主日がクリスマス礼拝になってしまい、25日には教会では何も行事がありません。これは世界的に見ると例外で、クリスマス礼拝とは25日に行うものです。しかし文化の異なる日本では25日は出勤日ですから、クリスチャンでも25日は特別な日にはなりにくいようです。ラジオの極東放送だけが例外で、朝から晩までクリスマスソングを流しています。平均的な日本の家庭では、24日の夜に特別なごちそうとクリスマスケーキを食べ、クリスマスプレゼントを交換するか、子供の枕元に置くだけで終わりです。

 クリスマスとは「キリストのマス」(ミサ=祭り)です。キリストが誕生したことを祝って特別の礼拝をささげる日です。キリストなしのクリスマスが商業主義に躍らされて賑わっていますが、私たちはキリスト中心のクリスマスを祝いましょう。そのために下記のことを心掛けましょう。

@、クリスマスに関連する聖書箇所を読みましょう。特にマタイ1、2章、ルカ1、2章のクリスマス物語。キリスト論としてはヨハネ1:1-18、本日の説教箇所、コロサイ1:15-20、ヘブライ書1:5-144:14-5:109:23-28、Uペトロ3章、Tヨハネの手紙4:7-21。(旧約の箇所は次週に紹介)

A、家族や友人の救いのために祈りましょう。そして礼拝に誘いましょう。

クリスマスのちらしを配布し、学校や職場の友人に手渡ししましょう。

B、祈祷会に出席しましょう。1年に1回(シーズンに1回)は出席すると心に決めれば、おのずと時間は与えられるものです。出席できないときは、水曜日の7〜8時の祈祷会の時間に合わせて、電車の中で、台所で、自室で、教会の祈祷会を覚えて祈りましょう。

C、今年1年間の恵みを、一つ一つ数えて感謝をしましょう。またそれをクリスマス献金としてささげましょう。

D、教会行事に関心を持ちましょう。毎月発行される月間予定表を壁に貼りましょう。また週報をバインドしておきましょう。年が明けたら、1年分の週報を牧師に渡せば製本してくれます。
posted by 横浜中央教会 at 17:07| ◇論壇

2007年11月25日

東部中会2007年度第2回定期会報告

論壇: 東部中会2007年度第2回定期会報告   11/25/2007

 2005年から東部中会は4月に第1回定期会を、11月23日(休日)に第2回定期会を開催するようになっています。今回は東京恩寵教会で行われました。会議の報告は速報が今週送られてきますので、重要項目だけコメントします。

1、来年度の議長は今井献教師(東京教会、継続)、副議長は片岡正雄教師が選挙されました。

2、今まで中会は経常会計と伝道会計を別々に集金していましたが、今回から中会の会計を一本化し、会計年度も4月〜翌年3月となりました。来年は、横浜中央教会の両会計に対する負担金の合計額は587,500円で、今年に比べて95,200円の増加です。これは現住倍餐会員5名と、献金増加に伴う自然増です。

3、昨年山梨栄光教会に、定住伝道者として赴任された石本耕一教師候補者が、大会教師試験と中会の面接に合格し、教師任職式を執行しました。山梨栄光教会では月1回の聖餐式に、長野伝道所の長田秀夫牧師が出張していましたが、これで長田牧師の代理牧師の仕事は終わりました。

4、2011年4月29日(金)に東部中会創立65周年記念信徒大会を都内で開催することが決まり、これに伴って実行委員会のメンバーが選ばれ、4年間で400万円を集めることになりました。その方法は、来年から毎年2月第3主日の礼拝献金をささげる方式となりました。

5、植木商渠教師(69歳)が1年早く引退届けを提出して、引退の挨拶をされ、引退セレモニーが行われました。

6、来年夏の信徒修養会は8月5日(火)〜7日(木)、福島県飯坂温泉ホテル聚楽、講師は牧田吉和(元神戸改革派神学校校長)、参加費は一般大人20,000円と決まりました。今から予定に入れて参加しましょう。

7、「65周年以後の中会の形成を準備する特別委員会」が提言を発表し、私が委員長を努める伝道委員会に5つの宿題を課しました。それによりますと、@、長野伝道所を含めた甲信伝道の具体策を描くこと。A、盛岡伝道所を北東北伝道の拠点とすることを再確認すること。B、2011年までに北海道伝道戦略を発表すること。C、現在の伝道所が教会形成するように強力に指導すること。D、CRJM(北米改革派教会日本伝道会)との協力関係をより強力なものにするための、具体的方法を提案すること。というわけで、私の仕事はますます忙しくなりそうです。

posted by 横浜中央教会 at 08:17| ◇論壇

2007年11月18日

アルテミス神殿

論壇:       アルテミス神殿          11/4/2007

 本日の説教で登場するアルテミス神殿は、紀元前550年ごろ、アケメネス朝ペルシア統治下のエフェソス(現在のトルコ)に完成した、女神アルテミスを奉った神殿です。この神殿は小火災・大火災と何度も焼失し、そのつど再建されました。3回目の大火災後、縦115m、横55m、高さ19m直径1.2mのイオニア式の柱127本によって再建された時が最大規模だったと言われ、古代世界の七不思議(エフェソスのアルテミス神殿、ギザの大ピラミッド、バビロンの空中庭園、オリンピアのゼウス像、ハリカルナッソスのマウソロス霊廟、ロードス島の巨像、アレクサンドリアの大灯台)の一つにかぞえられました。

 隆盛を誇った神殿ですが263年、ゴート人(ゲルマン民族の一派)の侵略によって、エフェソスの町は灰塵に帰し、神殿もこの時破壊されてしまいました。その後ローマ帝国がキリスト教国となりますと、残った石材は各地の建築材料に用いられて流失します。柱の数本は、ユスティヌス帝によって、イスタンブールのアヤ・ソフィア大聖堂(現在は博物館)の建築材料として用いられたそうです。かくして威容を誇った柱も1本を残してすべて消失してしまいました。私が行ったエフェソの古代遺跡でも、隣にあった2万5千人を収容する野外劇場(使徒言行録19:29)は残っていましたが、神殿は原形をとどめていませんでした。エフェソの町自体も、川が運んで来た土砂に埋もれ、1869年に深さ4m半の泥の中から神殿跡が発見されるまで、地中に隠されていたのです。

 アルテミスはギリシアの女神です。アポロンと双子で、清純な女狩人として知られていますが、アジアに輸入されたこの女神は、ギリシアで付与された処女性とは対照的に、豊穣多産を象徴する多数の乳房を持った女神となりました。アルテミス神殿は、小アジアで最も栄えた港町エフェソにあったため(現在は川の体積物により海岸線から離れている)、アジア中の商人や旅人が訪れ、それぞれの宗教が混交し、あらゆる土着宗教共通の象徴的なシンボルとなりました。町の書記官が「天から降って来た御神体」(19:35)と呼んだのは、隕石か何かが神殿の発端となったのでしょう。

 使徒言行録の著者ルカは、パウロの第3次伝道旅行の中心記事として、エフェソでの伝道活動を描きます。それは約3年に及ぶ、パウロとしては異例の長さでした。それはあらゆる土着宗教を代表するアルテミス神殿の門前市で行われたキリスト教の挑戦だったのです。

posted by 横浜中央教会 at 08:31| ◇論壇

2007年11月12日

エステル記解題

論壇:        エステル記解題        11/11/2007

 本日の夕礼拝からエステル記の連続講解説教を始めます。エステル記は全部で10章で短い作品ですから、3カ月ほどで終わるでしょう。

 内容:ペルシャの王クセルクセスの治世下(BC485-465)、捕囚のユダヤ人で、エルサレムに帰還せず異教の地に残った者(ディアスポラ)の上に起こった出来事。ペルシャ王妃となったエステルが、後見人モルデカイと共に、ユダヤ人絶滅を図るハマンと戦って勝利する物語。ハマンがユダヤ人への攻撃の日をくじ(プル)を投げて決めたことから、この物語は後のユダヤ人の祭り「プリム祭」(投げ返されたくじ)の由来を語り伝えるものとなった。

 メッセージ:エステル記には「神」の名が登場しない。しかし随所に隠れた神の関わりが示されている。それは捕囚期以降の、異教の地に住むディアスポラ(離散)ユダヤ人の上にも、神の守りがあることを教え、歴史を支配される神讃美へと読者を駆り立てる。

 エステル記の構造:最近出版された『現代聖書注解』に下記のような興味深い分析研究が発表されました。AからGへの下降線とG´からA´への上昇線に注目。転換点となるのが中心部の6章で、王の不眠症(神のわざ)とモルデカイの栄誉が、物語全体の中心となるように編集されている。

A クセルクセスの偉大さ(1:1-8)       A´クセルクセスとモルデカイの偉大さ(10章)

 B ペルシャ人の二つの酒宴(1:3-9)        B´ユダヤ人の二つの酒宴(9:1718)

  C エステル身分を隠す(2:1020)         C´晴れがましい民族、ユダヤ人(8:17)

   D ハマンの引き立て(3:1)          D´モルデカイの引き立て(8:15)

    E 反ユダヤ人の勅書(3:12-15)      E´親ユダヤ人の勅書(8:9-14)

     F モルデカイとエステルによる   F´クセルクセスとエステルによる

       運命を決するやりとり(4章)       運命を決するやりとり(7:1-6)

      G 三人の一回目の酒宴(5:6-8)   G´三人の2回目の酒宴(7:1-6)

         H 運命の転換点:王命による行進(6章)
posted by 横浜中央教会 at 22:00| ◇論壇