2008年09月13日

2008年9月号

ベガを探して                   K.Y

 今年の夏休み、息子の課題の一つに「こと座のベガの観察」というのがありました。ここ横浜で夜空を見上げる事はほとんどありませんが、いつも夏に高知へ帰省すると、花火を楽しんだ後とか、またわざわざその為に庭へ出て夜空を見上げることが楽しみです。やはり都会に比べ、明かりが少ない田舎ではゾクッとするぐらい星空が美しく、しばらく眺めていると流れ星も見ることができます。ですからこの課題も迷わず、高知でやろう!と息子と決めていました。しかし残念なことに私たちが帰省していたその時期はちょうど満月の前後で、また湿度も高いのか、いつもなら鮮やかに見える星空も月の光に邪魔されてなかなかよく見えません。それでも星座表を何度も確認しながら目を凝らしているとなんとか「ベガ」らしき星を発見でき、課題は無事終えることが出来ましたが、その後も結局月の光と暑さのためもやっとした空気のせいで美しい星空を見ることは叶いませんでした。
 でも田舎であろうが都会であろうが、雲一つない空であろうが重たい雲が広がっていようが、輝く星の光がいつも降り注いでいることには変わりはありません。また、雲に邪魔されることなく美しい星空が広がっていてもそれを見上げないと気づくことはありません。私も田舎に帰ると横浜とは違う風や空気、空を感じたいと意識をしますが、日々忙しい日常生活に流されているとなかなかそういう気持ちは忘れてしまっています。
 この夏、期待外れの夜空を眺めながら、光や雲の下に隠されたキラキラ光る星を想像しながら、神様からのメッセージを受け取った気がしました。神様からの数えきれない恵みを当たり前のように感じ意識することなく、神様に目を向けることなく流れていく時間がどんなに多いことでしょう。これではいけないと思いました。心の目をしっかり開けて常に主を仰ぎ見て、神様からのメッセージに敏感でありたいと思います。
雑念に惑わされることなく、また意識の中心に神様の存在を確認しつつ、純粋に神様の御心に添う者となれるようにといつも祈っていなければ神様から離れてしまいそうな弱い私ですが、神様のお守りとお導きの中にあることを確信します。これからも一つひとつの恵みに感謝しながら、生きることができますようにと今日もお祈りします。




 
 三中会合同夏期信徒修養会に参加して
                              N.S

  8月5日〜7日、福島で「これがわたしたちのスピリチュアル −21世紀を生きる改革派信徒の霊性―」というテーマの修養会が持たれました。
 とっても良かったです!何が良かったかというと・・・信仰に霊性に霊的に生かされるとはどういうことかを学べたこと、そして実際に、霊性に霊的に生きている改革派信徒の方々の姿を目の当たりにすることができたことです。
 それで下手な文章ながら、少しでも神様からいただいた恵みの感動をお分かちしたいと思いました。
 牧田吉和先生の講演の内容を私なりの言葉で要約するなら、「真の霊性はキリストとの結合を抜きにしては有り得ない。キリストとの結合によって新しくされた者が、聖霊によって生活する時、個人も教会も世における教会の働きも変えられて、神様の栄光があらわされ、神様の御心が成され御国が広がる」ということになるかと思います。
 特に心に残ったのは・・・「聖霊の働きは、神学の言語で表しきれないことがある。その表しきれない部分が重要である。たとえば、マグダラのマリヤ(ルカ7:36〜50)が香油を注いで涙で足をぬらし髪の毛でぬぐった行為は大胆不敵である!背後に何があったのか?彼女を動かしたものは何か?それは聖霊である!このように聖霊は全人格に働くものであり、存在そのものを動かすものである。神学はこれをつくり出せない。神学は起こっている事柄を信仰の論理として説明するものである。しかし、霊性は神学や教理や信条と対立的にはならない。教会が教理や信条を告白することは、偽りの霊性から私達を守り真の霊性の育成に益となる。」という内容です。
 また、今回の修養会では子供たちにとっても大変楽しい行き届いたプログラムが用意されていました。賛美や御言葉を教えて下さったり、ダム見学やガラス工芸を経験させて下さったりと、盛り沢山で充実していました。そこにも神様の愛と信仰に生かされている改革派の先生方やスタッフの方の霊的な姿を見ることが出来ました。
 この修養会に参加して、生活の全範囲が「霊性・霊的」であるように!と願わされました。礼拝をする時も、聖書を読む時も、祈る時も、学ぶ時も、人と会話する時も、家族や未信者の方と接する時も、散歩をする時も・・・聖霊に導かれて!キリストに従って!ということを心がけよう、と願わされました。
 講演内容を収めた
CDもあるので、お聴きになりたい方はどうぞお声をかけて下さい。             



 
三中会合同夏期信徒修養会に参加して
T.K
  
 3年ぶりの東北中会と、やはり3年ぶりになる東関東中会(昨年は東部のみ、一昨年は60周年で修養会無し)の合同修養会に参加でき、感謝しました。
夏真っ盛りの8月5日(火)〜7日(木)、場所は福島県の「飯坂ホテル聚楽」、「今までにない五つ星の会場」とのうわさがちらほら…。福島伝道所の近くで、二日目のフリータイムには伝道所の草取りボランティア隊が結成され、奉仕なさったそうです。
 私は二日目6日の午後に到着し、牧田吉和先生の講演、「これがわたしたちのスピリチュアルー21世紀を生きる改革派信徒の霊性―」を伺うことはできませんでした。講演は2回で、三日目には無かったからです(ちなみに「ふくいんのなみキャンプ」では講演は3回)。そのため二日目の午後に帰られた方々もいらっしゃったそうですが、参加者は多いときで子どもを含め274人だったそうです。私は三日目の全体会で、事前に配られたアンケート用紙に基づいた感想(感謝が多かった)、質問、補講などから推測するのみでしたが、いろいろな分野、領域にわたって講演されたように思いました。秋には講演がまとめられるとのことですから、それを待っています。
二日目の午後に帰られる方が多い中、私が敢えて出席したのは、もちろん三中会の方々にお会いしたかったのもさることながら、修養会委員会からCRCメディア・ミニストリーに夜の時間を任されていたからです。子どもたちの賛美(上手に一生懸命賛美してくれましたよ。中でも目立ったのが東京教会の元長老・三浦信長老関係のお子さんたちーお孫さんとかーでした)、新任教師紹介。残りは山下牧師作成の三中会トリビア。パソコンを駆使して10の質問。東北中会設立時の3教会とは?東関東中会の最初の名前の候補は?などなど…。
お部屋は4人で、東北の様子、特に開拓伝道中の仙台恵み教会のことや、懐かしい面々の教会の様子や最近の様子を伺いましたーこれがまた楽しいんですよねー。前の晩、みなさんは夜が更けるのも忘れ遅くまでおしゃべりなさったとかで、さすが二日目は早めに就寝、残念。
キッズプログラムではダム見学などが予定されていて、私はちょっと不安でしたが、ことも無く守られ、キッズプログラムも大人のプログラム(盛岡の土地取得報告含)も無事終了。みなさん、またの再会を楽しみながら家路に。私たちメディア・ミニストリー隊は、その後、山下牧師の車で前任者だった石井正治郎引退教師を宮城蔵王に訪問。翌日、白石伝道所の墓地「復活の丘」、白石伝道所を訪問して帰宅。立石牧師も一緒でした。
東関東の方々との再会が減りましたし、東北中会の方々とはなおさらです。見えない公同の教会の一部が表される一つの場として、この三中会合同修養会は大切だとつくづく思いました。みんな主にあって、遣わされた場所で頑張っているのです…。
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2008年05月20日

月報 2008年5月号

         教会設立
20
周年記念感謝会
                             
  I.N
  私達の教会は今年教会設立20周年を迎えるにあたり、7/13に記念礼拝をささげると共に感謝会を企画しています。当日の記念礼拝では立石先生に、教会設立を記念する内容の説教をしていただく予定です。立石先生が横浜中央教会に赴任されたのが`974月ですから今年で12年目となります。先生は`19に定年を迎えられますからそう考えますと、今年は先生にとって中央教会の牧会の折り返し点と言えるかもしれません。先生の健康が支えられて引き続き教会を牧して頂きたいと願うと共に、先生がみ言葉の宣教に力を注げるように、教会活動の様々な奉仕に兄弟姉妹方の更なる協力が必要だと思います。
 これまでに本当に言い尽くせない霊の糧をいただいた私達が、神様に感謝をささげ、この記念の節目に教会を支える熱意に燃やされ、今、教会の中でどの部分で奉仕の必要が求められているかを考える時となり、具体的な策が見い出せるようにと願っています。
 今、必要が求められている働きの第一は教会学校のスタッフの増員だと思います。新しく教会に来られた方への対応とその後の配慮も心がけて行かなければと思います。年末、年始の年報の作成なども先生のお働きに依るところが大きいのでこれも検討課題の一つだと思います。
 感謝会には自由懇談の時間も取ってありますので良い話し合いの時間になればと思っています。又、感謝会ではこれまでの教会の歴史を写真を用いて振り返り、三人の方に当時の思い出を語っていただくという事を考えています。わずか45分で私達の教会の歴史を覚えられる貴重な時間になるのではないかと期待しています。
 感謝会まであと2ヶ月あまりですが、教会設立20周年の企画委員の奉仕をしていて、私達の横浜中央教会が東京教会の兄弟姉妹方の長年の準備によって生まれ、その後も多くの祈りと献金によって支えられ、教会設立時の教会員の熱意が用いられて、初代牧師鈴木牧雄先生のお働き、無牧の時にも、東京教会の矢内正二先生や代理教師をしてくださいました潮田純一先生、片山弘二先生や長老方のお働きによって群れが守られ、立石先生を招聘する事が許され、先生に教会を牧していただいている現在、これまでに本当に多くの先生方、兄弟姉妹方のお一人お一人の献身のリレーによって建てあげられていったのだという事を教えられました。信仰の先輩方の献身に思いを馳せる時間が与えら感謝しています。取るに足りない者ですが、主の体である教会に仕えていく思いを新たにされました。 


  書評『イスラエルの歴史』『旧約聖書物語』榊原康夫著)
                            立石章三
 書評というのは、新しく出版された本を紹介し、まだその本を購入していない読者のために、内容をかいつまんで紹介するものです。しかし私は本屋さんではありませんので、絶版となった古い本を紹介することもあってよいでしょう。今回は30数年も前に書かれた、榊原康夫引退教師の著作2冊を紹介します。先日本棚の整理をしていましたら、教会の図書棚に『イスラエルの歴史』が2冊、『旧約聖書物語』が7冊も!(教会の印が押してあります)ありましたので、まだ読んでいない方にぜひ読んでいただきたいと思いました。
 今から20数年前、私が神学研修所の1年生で榊原先生の授業を受けていた時、こんな質問をしました。「ソロモン王はエジプトのファラオの娘と結婚し、イスラエルとエジプトとは親戚関係なのに(列王記上3:1)、ソロモンに反逆したヤロブアムがエジプトに亡命した時、なぜエジプトは彼を迎え入れたのですか」
 その時榊原先生はニコニコと顔を崩し、「立石君、そういう疑問を持つことがすべての聖書学の原点ですよ」と言って、書庫からエジプトの王朝誌を取り出し、ソロモンの結婚後、エジプトではクーデターが起こり、新王朝になっていたことを教えてくださいました。

 「聖書の記述を丹念に調べて関連項目を収集し、時代順に並べて、一つのまとまりのある歴史を構築する」という作業は、旧約聖書学の最も基礎ですが、『イスラエルの歴史』は、考古学上の資料を駆使しながら、この作業の結果を、初心者向けに見事に整理して提示しています。
旧約聖書には膨大なイスラエル王国とユダ王国の歴史、諸外国との戦争史が、麻のように入り組んで書かれていて、私たちは人名と地名にあふれたジャングルの中で道に迷ってしまいます。この本では全体の歴史を鳥瞰図的に見ながら、とても分かりやすく書かれています。

 『旧約聖書物語』は創世記からエゼラ・ネヘミヤ記まで、著名な登場人物にスポットライトを当て、簡潔に物語風に描き出します。アブラハム、モーセ、サムエル、ダビデ、ソロモン、エリヤ、エリシャ、イザヤ、ヒゼキヤ、エレミヤ、ダニエル、エステル、エズラを取り上げ、それぞれを短い一巻の絵巻物として書いています。私たちはこれを読むだけで旧約聖書の大きな歴史の流れを把握することができます。
 『イスラエルの歴史』は142頁、『旧約聖書物語』は197頁ですが、大きな活字で行間もゆったりしていますから、通勤の途上で、3日もあれば読破できます。『旧約聖書物語』には見事な切り絵の挿絵が25頁もあり、バブル前の日本の古き良き時代を郷愁させてくれます。それぞれの登場人物についての一話完結話として読むなら、一話は10分ほどで読める分量です。お気軽に読み始めてください。



          ゆりちゃんの日曜日
                          
     K.K

 日曜日です。ゆりちゃんが教会にいく日です。ゆりちゃんは子供のくせにいつも大人の礼拝にでるのです。礼拝がはじまりました。ひとつめの讃美歌です。大きな声で歌う人、恥ずかしそうに歌う人、ちょっとはずれて歌う人、いろいろです。

その時、ゆりちゃんはいつも聞かない声を聞いたのです。やさしくふわふわと歌う声なのです。牧師さんのお話がはじまりました。小さくて牧師さんのお話がわからず騒いでいる子がいます。牧師さんは聞こえないような顔をして一生懸命はなし続けています。ゆりちゃんは、もしかしたら本当に牧師さんは聞こえてないのかな、と思いました。誰か牧師さんのお話に拍手をしている人がいます。いつもそんな事をする人はいないのでゆりちゃんはちょっと、きょろきょろしてしまいました。ふたつめの讃美歌です。またあのやさしくふわふわと、歌う声が聞こえてきました。新しい人がきているのかもしれない、と思いました。献金の時間です。ゆりちゃんは昨日お母さんから200円、おこづかいをもらいました。おいしそうなアイスクリームが頭に浮かんだので、100円だけ献金しました。

ゆりちゃんの次に鈴のような音がして献金袋がゆれました。献金係りのお姉さんは何も気がついていません。やっと礼拝が終わり帰る時間になりました。その時、ゆりちゃんは、見たのです。出口の所で帰る人を見送っている人がいるのです。でも普通の人ではないのです。輝いている人なのです。その人はゆりちゃんが出る時、ゆりちゃんの手をやさしく握りました。ゆりちゃんは、ものすごく、驚きました。急いで外に出てみました。そして教会の屋根の十字架を見ました。輝いている人は、十字架に少しつかれた顔で、寄りかかって立っていました。ゆりちゃんと目が合いました。そしたらその人は、ゆっくりと手をふりながら、舞い上がり、そして見えなくなりました。

  ゆりちゃんは、やっとわかりました。その人が誰か。涙がどんどんで出てきました。泣きながら、昨日のことを思いだしました。お友達にいじわるをされて、とても悲しかったので、イエス様なんていない、イエス様なんていない、イエス様なんていない、と3回も心のなかで叫んでしまったのです。手でごしごし涙をふきました。そして今度からは、早起きをして、みんなのように、教会学校にいこうかな、と思いました。涙のあとをやさしい風がふいていきました。

 その夜、ゆりちゃんの家の上には、とびきり、大きくて、きらきら光るお星様が出ていました。

  時々、早めに教会に着いた日、教会学校の様子をみていましたら、小さいお話ができました。未熟で恥ずかしいのですが、書いてみました。
posted by 横浜中央教会 at 20:55| ◇月報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月19日

月報 2008年4月号

12年ぶりの就職
                            O. 
 去年の9月から、我が家の子供達が通っている教室の幼児クラスで講師として働いています。お話をいただいたのは7月の終わりでした。まだ母が闘病中のため、非常に悩みましたが、自分の年齢を考えるとこんなチャンスはもうないかもしれないと思い、やってみることにしました。
 そして8月に愛する母を天に送りました。母には何も話していなかったのですが、母も背中を押してくれたような気がしました。とはいえ、まったく未経験の仕事ですし、結婚とともに退職してはや12年。大丈夫かなあと不安もかなりありました。9月は母の納骨、子供たちの運動会など慌ただしく過ぎ、とりあえず10月に研修をうけて、11月からレッスンに入ることになりました。研修は3泊4日、テストありのハードな日程でしたが、試験にも無事に合格し、初級講師になることができました。神様の恵みを深く感謝しました。ここまで頑張れたのは神様の導きと家族の協力があったからだと思います。
 いよいよ初レッスン、いままでベテランの講師が行っていたレッスンを引き継ぐので、そのプレッシャーたるや相当のものでした。案の定、初レッスンはボロボロでなにをやったかよ<覚えていません。それでも何とか1ヶ月を乗り切ると、子供達、お母様方とも和やかにお話ができるようになり、少しずつ余裕がでてきました。長かった50分のレッスンも、最近はあっという間に終わってしまうような気がします。子供達はみんな本当にかわいくて素直です。こちらが色々なことを教えてもらっているような気がします。
 4月には幼児クラスから小学生クラスに進級する子や、クラス替えで別の先生が担当される子もいるので、3月のレッスンは涙、涙のレッスンになりそうです。
posted by 横浜中央教会 at 13:34| ◇月報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月08日

月報2008年3月号

AD2008年』の年に思うこと                               K.T 
お恥ずかしい話ですが何年か前、自分の教えるクラスの子供に社会科の授業で、「先生、AD○○年のADってどういう意味ですか?」と問われ、突然の質問に「何だったかな?」「えー!先生なのに。」とシドロモドロに答えて非難を浴びましたことを思い出します。人間は一度事柄を覚えてもしばらくそれが意識から離れてしまうと、記憶が無くなる生き物だと思っています。その日の夜すぐに調べました。NN
O OMINIの頭文字AD。その意味は「主の年の」。 それ以来忘れることはありません。 今年度は教会設立20周年を迎えます。主の年の2008年です。そして主に導かれた20年です。『主の年の・・・』この現実的自覚がとても大切だと思います。以前にも月報に載せましたが、自分が中央教会の前身である横浜西口教会に転会したのは、昭和天皇が逝去した年でありました。そのニュースは新年早々の出来事でありました。その年の春、山梨の田舎から大都会の横浜に転居してから、天職のミッションスクールに奉職させていただいて、かれこれ20年目を迎えております。わが身をここに導いてくださり、御言葉を教えることのできる仕事、聖書が仕事と密接に関わる職場を与えてくださったことは、この20年来変わらぬ感謝の日々であります。西口教会時代に無牧の時代がありました。まさに、今まで一緒にいた牧者を失ったヒツジの群れ。散りぢりになるかもしれません。なにかしら頼り所のないさみしい感覚がありました。牧師という働きの意味がよくわかりました。でも、自分たちははぐれませんでした。なぜなら無牧の間、常に神様の御心をこいねがう改革派の長老たちがおりました。もうすでに天に召された長老もおりますが、その実直な信仰によってこの小さな群れは守られてきたのだと思います。神様の敷かれた道を踏み外さず守られつつ歩んでこられたのだと思います。招聘委員会が発足され、立石牧師家族をお迎えすることができました。立石先生は現場のたたき上げっぽく、当初はすこし戸惑いましたが今は理解しました。御言葉を述べ伝えるために召命を受け働く方、神様がお選びになった先生であることがわかりました。横浜伝道が始まってからこの20年の間、様々な出来事がありました。その時は先行きが見えなくとも、後になって振り返ってみると、「ああ、確かに神様の導きがあった。」と確信し振り返ることができる幸いを感謝いたします。それは、益々信頼につながり主イエスキリストの父なる神を信じる強い信仰へと導かれていくのだと思います。まさに、主の2008年。主に導かれた20年であったと確信します。私たちは、復活の救いに与りながらもなお罪深く弱いものであります。常に主により頼み、兄弟姉妹が主にある交わりを大切にし、礼拝をささげていくことが唯一御心にかなうことです。  主のしもべとして、働く者となれますようにお祈りいたします。      アーメン
   


イースターに思う

                                                             I.K

 次年度用の新しい手帳を使い始める時、予めわかっている予定を書き込むほかに家族の誕生日などの記念日を書き込む方も多いと思いますが、自分の場合、その年のイースターのところには、必ず1980.4.6.信仰告白記念日と書き込んできました。自分にとってイースターはまさに信仰生活の始まりの時と言えます。また、イースターは、毎年3月末〜4月中旬あたりに巡ってくるので、実生活でも年度が改まる区切りの時期ですが、自分の信仰生活の歩みを見ても、この教会に転入したという区切りの時も2006年の35日、イースターを迎える頃の出来事でした。そして、それからさかのぼる事、26年前のイースターに信仰告白に導かれたのですが、その時の事を少し書きたいと思います。

198046日、花小金井教会に於いて、小池三午牧師司式のもと、自分は信仰告白を行いました。高校3年生になったばかりの頃の出来事でした。信仰告白のきっかけは何だったのだろうと考える時、忘れてはならない出来事があります。それは、その頃開催されていた首都圏の高校生会のサマーキャンプに始めて参加したことです。自分は、そういう類の催しはめんどくさいなと感じる方だったのですが、その時は、当時、同じ教会にいた森清さんという方が熱心に誘って下さったので「せっかく誘ってもらったし、じゃあ行ってみるか」という感じで参加したのでした。ところが、行ってみると同じ年頃のメンバーと、涼しい軽井沢で色々な話しが出来て、その事が自分の信仰を考えるきっかけとなり、後々の大きな励ましになったのでした。ちなみにその時、I.Cさんはすでにしっかり役員さんをやっていて、その仕切りぶりに、「年下なのになんてしっかりした人なんだろう!」とすっかり感心したのを覚えています。後年、同じ教会になるなんて夢にも思っていませんでした(笑)。さて、そのような夏の日の得難い経験があって、翌春の信仰告白へと導かれたのでした。その時の写真が残っているのですが、そこには初めて大人の教会員の方々の前で声に出して信仰を告白するという行為への緊張感に包まれている自分が写っていてなつかしい限りです。

それから30年弱の時が流れて、昨年のクリスマスには、兄の長男が高校3年生で信仰告白に導かれました。クリスマスのコンサートでは彼の歌う、「主我を愛す」のバックでドラムを叩きながら、自分と同じ年頃に彼も決心し、信仰のスタートを切ったことを思い、ほんとうに嬉しく思いました。このような自分や自分の身近な人に起こった出来事を見ても、そこには、まぎれも無く復活して今も生きておられる主が働かれたのだという事実が有り、圧倒される思いがします。

自分にとってイースターはまさに信仰生活の始まりの時です。



 
  今日も台所でひとりごと                                   K. 
夕食の買い物に出かけましたら、昨日までバレンタインデーのチョコレートが山盛りになっていた所に、ひなまつりのお菓子が並んでいました。余韻もなにもあったものではありません。この慌ただしさどうにかならないでしょうか。今の世の中のんびりしていたら商売が成り立たない事もわかるのですが、みんなが何かに追い立てられながら生活しているようです。丁寧にものごとを考える事が難しい世の中です。
 輸入品の冷凍餃子のことが話題になっていますが、この事からもいろいろな事が見えてきます。人件費の安い国の人々が私達の食卓を支えている現実。国内においても労働に見合わない収入で働いている人々。 お店で、太くて立派な大根が破格の値段で売っている事があります。私も得した気分で買い求めるひとりです。でも時々、大根とそれを作っている農家の人達に申し訳の無い気持ちになります。どれだけの手間と日数がかかっているのでしょうか。収入が増えないなかで安い物は庶民の味方です。けれど世の中のしわよせは力の無い方へ、無い方へ向かいます。悲しい事です。複雑にからみあった経済の仕組みは簡単には解決できないのでしょう。それならせめて、私達は私達の食卓の為に、安い労働力で働いている人達に感謝を捧げたいものです。 Understandと言う単語があります。理解する、と若い頃習いましたが、Under(下に)、Stand(立つ)が原義だということを遅ればせながら、最近知りました。理解するという事は弱者の方に立って考えるという事なのですね。 これは大変個人的な事で、恐縮なのですが、今年の1月の会員総会の時、立石先生から書記を頼まれたのですが、格好よく「はい」と受けたかったのですが、頭の中に赤信号がともり、「今年は駄目です。来年します」と言ってしまいました。来年どのようにするのかと思いながら見ていたのですが、途中から自信がなくなってしまいました。このままいくと、来年の総会はずる休みしたくなりそうです。引き受けて下さる方が現れますように。小さな、小さな心配事です。寒さの中で、花たちが春の準備を始めています。私はいつも植物たちの季節を感じとる能力に感動してしまいます。そして、その感動は「いと高き方」からの贈り物だと気がつくのです。                     台所より主を見上げて
posted by 横浜中央教会 at 20:10| ◇月報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月26日

月報 2008年1月号

温故知新
             
                            立石章三

 2008年、今年は教会設立20周年の記念すべき年です。ここまで私たちを導いてくださった主に感謝し、さらなる成長が与えられますよう祈りましょう。
 ところで今年の週報の表紙は、Vol.25となっています。これは週報を「毎週」作り始めてから25年目になったということです。記念すべき週報Vol1No.1(第1巻、第1号)は1984年7月1日付けで、この日から鈴木牧雄牧師が毎週説教されています。東京教会が、毎週横浜YWCAの一室を借りて、午後の礼拝をするようになったのは1983年4月1日ですが、その間3カ月間の礼拝プログラムは分かりません。どなたか資料をお持ちの方は教えてください。この間に『横浜だより』が毎月発行されており(第1号は198343日)、これには新井ちぎりさんの楽しいイラストが満載です。教会の図書でお読みください。 YWCAの一室を借りることはほとんどの場合可能でしたが、年末年始や特別な行事の日は借りることができませんでした。それで1985年1月6日の礼拝は神奈川県労働福祉センターで行われています。その後、1985年4月に念願の事務所を賃貸契約し、4月14日から普通の教会活動ができるようになりました。 さてここまでの歴史は「東京教会横浜集会」として位置付けられます。なぜならそれまでの週報を見ますと、1984年から1985年2月10日までの週報表題は「日本キリスト改革派東京教会横浜集会」で、2月17日から3月31日までの表題は「日本キリスト改革派東京教会横浜伝道所」となっているからです。 しかし同年4月7日から「日本キリスト改革派、横浜西口教会」と名乗りを挙げています。この看板の変遷に、当時の会員たちの意気込みをうかがうことができます。それで1985年4月7日を境に、この教会活動は東京教会の横浜集会ではなく、はっきりと横浜西口教会の活動なのだという意識変化がなされたと言えるでしょう。それでこの日が横浜西口教会の開拓伝道開始日として位置付けられ、私たちの教会の公的な「伝道開始日」として、大会名簿などに記録されるようになったのです。 1999年8月に現在地を購入し、教会名を「横浜中央教会」と改名したことにより、全く新しい段階に進みました。2001年に現会堂が完成し、今年1月16日に牧師館購入の最終契約をして引き渡しを受けました。牧師家族は2月末〜3月にかけて引っ越しますので、階下のすべてが教会活動に使えるようになりました。 これからは外的な変化に対応して、内部の充実を図らねばなりません。私たちの教会は、宗教改革の伝統を現代に継承する「最も聖書に忠実な教会」を目指して改革派教会と名付けられました。この改革派信仰を一人一人が受け継ぎ、継承していくためには、絶え間無い聖書と教理の学びが必要です。さらに、キリスト教会は失敗と改革を繰り返してきましたから、その事例に学ぶこと、すなわち教会史の学びが必要です。それによって、私たちがどのような教会を立てるのか、横浜中央教会の「子」教会をどのように生み出すか、大会・中会への奉仕をどのように拡大するか、牧師の後継者をどう育てるか、という問題への回答が出てきます。融資金の返済計画を含めて、今年はそれぞれの課題に対して具体的に考えていきましょう。

 
愛の人とは    
                             K.I
 
 私が通っている中学校では、一年に一回学年ごとに行く2泊3日の修養会があります。この修養会はあらかじめ決めていた聖書に基づいた主題についてクラスのみんなで話し合うことが目的の行事です。選ばれた聖句は「子たちよ、言葉や口先だけでなく、行いをもって誠実に愛し合おう。」ヨハネの手紙T、3章18節でした。
 私の学年は、この聖句をもとに「愛の人となるために」という主題を与えられました。この主題を初めて聞いたとき、愛の人というのはどんな人かなと考えました。その時は、差別や偏見をせずにどんな人でも平等に優しく接するひとのことかなと思いました。でも、修養会に行って、本当の"愛の人"を知りました。もちろん差別をせずにみんな平等に接することも愛の人になりますが、もっと愛の人になる方法はたくさんありました。 礼拝で先生から、白血病という重い病気をかかえたあっこちゃんという女の子のお話を聞きました。あっこちゃんは重い病気をかかえてるにもかかわらず、とっても元気に前向きに生きてきました。しかも自分と同じ病気をかかえてる子供のためにお祈りしたりと、とても人に優しい女の子です。ただでさえ、自分が病気で苦しいのに、人のためにお祈りをするなんて私には絶対できないことだと思いました。けれど、いきなりあっこちゃんのような"愛の人"になるのはとても難しいと思います。 でも、ほんの小さなことから人に喜んでもらえることを自分からすることは愛の人だと思います。例えば、人が探し物をしている時は一緒に探してあげる、因っていたら話しかけてみる、うれしいことは一緒に喜んであげて2倍に、悲しいことは一緒に悲しんであげて半分に、など小さなことでも人に喜んでもらえることはいっぱいあると思います。こういうことを少しずつ始めて少しずつ愛の人に近づけるといいと思いました。でも、この主題聖句のように、口先だけでは意味がありません。思っていても行うことが難しいのです。これを乗り越えて愛の人にならなくてはいけないと、この聖句は言ってるんだと思いました。 この修養会で私はたくさんの大切なことを学びました。これからは愛の人に近づけるように、気がついたことから進んで実行できるようにしたいと思います。  


地域に根差した教会
                             
C.K
 横浜中央教会がこの天王町の地に移転して、今年で10年を越えます(1999年秋に横浜駅近くの鶴屋町から越してきた)。聖書の教えに基づく純正な福音を横浜の人々に一人でも多く宣べ伝え、横浜の地に改革派教会を建てるために、横浜駅西口から近いビルの一室を借りて伝道活動が始められたのが1985年春です。主は私たちの拙い働きを用い、横浜宣教に励む様にと、10年前に伝道の拠点を天王町商店街の一角に定める様に導かれました。そして、前よりも駅に近い所に土地と建物を与えて下さいました。 30年前はおろか、20年前でも幻にも見ない、私達の思いを全く越えた方法でこの土地を与えて下さいました。今年はさらに、兄弟姉妹の思いと信仰を高め、建物全体を教会活動のために用いる様にして下さいました。30年前の天王町商店街は、今と違い活気のある下町風情の漂う商店街でした。映画館もあり、古本屋等も数件ありました。今は10年前と同じく「シャッター商店街」への道から脱却出来ずもがいている様に素人目から見えます。ここ10年、この地に関わってチラシ配りなどの活動を通し、私達は、天王町商店街にキリスト教会が存在する事を知らせてきました。また、教会の駐車場部分を地域に開放し、消防団が催し物を披露したりします。礼拝堂の後ろの壁に貼ってある「保土ヶ谷よい町」と言う版画カレンダーには、教会堂正面図が用いられて居ます。これは保土ヶ谷駅の美術展示コーナーにも横浜中央教会として展示されています。 先ず、第一段階の教会の存在を知らせると言う事は、ほぼ達成されつつあります。しかしまだ完璧ではなく、去年のキャンドル礼拝に来た人が天王町駅で教会の所在を尋ねたら、「保土ヶ谷愛のチャペル」を教えられたと言う話もありますから、これからも存在を知らせ続ける努力が必要です。ところで、パン屋さんも廃業しシャッターが降りていますが、皆さんはこの商店街で積極的に買い物をしていますか。グローバル化がもてはやされ、大きくカツコ好い大型商店に人は足を運び、巨大化を促し、今問題になっている自然環境の破壊を導いてきました。大きく、カツコ好く、ちょつと安い?と言う事に引かれ、大切なものを見失っている様に思います。唯一大切なものは、贖い主キリスト様ですが、私達が遣わされている天王町の町にあっては、地域の人々と好い関係を築かなければなりません。日本の都会の教会は、地域から孤立して存在している教会が多い様に思います。横浜中央散会は、この様な点で、牧師家族の努力により、地域に根を張りつつあります。教会が一団となり、与えられた賜物をそれぞれが用い、地域に貢献していけたら良いと思います。
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2007年12月22日

2007年12月号 月報

クリスマスに思う        立石章三

 「それゆえ、わたしの主が御自らあななたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって男の子を産み。その名をインマヌエルと呼ぶ」(イザヤ書7:14)。これはクリスマス預言として最も有名なものでしょう。マタイはイエスの誕生記事を書くにあたってこの旧約聖書の預言を引用し、この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。と付け加えました(マタイ1:23)。キリスト教会では長く、マタイが引用したのは「おとめが身ごもって男の子を産む」方だと考えてきました。しかしヘブル語の「おとめ」は結婚した女にも使われる言葉ですから、マリアの処女降誕の根拠としてイザヤ書を引用するのはおかしいと言われ続けてきたのです。実はマタイが引用したかったのは「その名はインマヌエルと呼ばれる」という言葉だったのです。

 イザヤ書のインマヌエル預言の背景は、BC733年のシリア・エフライム戦争です。残虐な大帝国アッシリアが西進してくるので、パレスティナの弱小国家群はあわてふためき、反アッシリア軍事同盟を結んで対抗しようとしました。北王国イスラエル(別名エフライム、首都はサマリア)も、北のシリア王国(別名アラム、首都はダマスコ)と軍事同盟を結び、南王国ユダに、この同盟に加わるよう誘いましたが、アハズ王はこれを断りました。それで同盟軍がユダに攻め込もうとしたのです。南王国ユダでは、「王の心も民の心も、森の木々が風に揺れ動くように動揺した」(イザヤ7:2)のです。

 この時、預言者イザヤが王に説教したのが冒頭の預言です。インマヌエル預言には続きがあり、「その子が災いを退け、幸いを選ぶことを知る前に、あなたの恐れる二人の王の領土は必ず捨てられる」。その意味は赤ちゃんが離乳食(凝乳と蜂蜜)を離れ、おいしいものとまずいものの区別ができるほどに成長するまでの、そんな短い間に、アッシリアによって、シリア・エフライム軍事同盟は滅ぼされてしまう。だからアハズ王よ、この軍事同盟を恐れることはない。これが預言の意味です。

 未曾有の危機に瀕したユダ王国では、産まれた赤ちゃんに、神頼みの「インマヌエル」(神、我らと共にいます)というおめでたい名前をつけるのが流行りました。それでまわりの国はユダ王国をインマヌエル国と呼ぶまでになりました。そのようなユダに対してイザヤは「(アッシリアの)広げた翼は、インマヌエルよ、あなたの国土を覆い尽くす」(8:8)と説教したのです。しかし人々は「神が我らと共におられる(インマヌエル)のだから」大丈夫だと高をくくっていたのです(8:910)。 これは形骸化したインマヌエル信仰でした。ユダ王国ではインマヌエルが無条件で履行されると思っていました。ユダヤ人は神の選民だから、決して外国に負けるはずがない。宗教的指導者たちはこのようにインマヌエル・スローガンを連呼して、形骸化した空しい信仰に人々を導いていました。政治的指導者たちや、ものの分かる常識人たちは、外交技術と経済力と軍事力を高めることが国の安泰につながると信じていました(2:7-9)。主の前にへりくだり、正義と公正を求め、貧しい人たちをあわれむ者たちは一人もいませんでした。インマヌエル、インマヌエルと人々が叫べば叫ぶほど、この言葉は安っぽくなってしまいました。

 しかしインマヌエル(神、我らと共にいます)という言葉は主御自身がくりかえし人々に教え、約束してこられたことです(申命記4:786:15など)。それならこの主の約束は、サマリヤ陥落とバビロン捕囚によって、ご破算になってしまったのでしょうか。マタイは、歴史を支配しこれを導いておられる主の大きなみわざが、今、イエスの誕生によってクライマックスに達したことを、ユダヤ人の読者に教えるために、イザヤのインマヌエル預言を引用したのです。人間は恩知らずで、契約を破り、罪に罪を重ね続けています。しかしそのような不誠実な私たちに対しても、主は誠実であり続けてこられました。その最も大きな証拠がインマヌエルと呼ばれる御子の誕生です。



 

自己紹介                          I.R

「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな与えられる」(マタイ633

 私は1986年に二俣川キリスト教会(現在の緑園教会)で洗礼を受けました。私の家族や親族の中にはクリスチャンは一人もいないのになぜ?とよく聞かれますが、なぜか小さな頃から教会に行ってみたいという気持ちがありました。その気持ちはだんだん強くなり、高校に入るとすぐに自分で教会を探して「今年こそは教会に行く!」という強い気持ちになりました。いま考えてもそれは導きとしかいえないくらい他に理由が思いつきませんが、その頃家庭も父の病気や失業などで暗く荒れていましたし、私自身人生の目的もわからずに出口の無い迷路の中にいるようでした。教会に行けば、何かが変わるのではないか?と言う気持ちがあったかも知れません。ちょうどその頃、同級生がクリスチャンであることがわかり、彼女に教会に連れて行ってもらいました。

 その後、神様に自分を用いていただきたいと願い、長い準備の末リーベンゼラミッションからバングラデシュへ、医療宣教師として2000年から3年間遣わされました。本当は生涯をその仕事に捧げようと思っていたのですが思いがけず道が閉じ、この先どうしたら良いのかわからないでいました。結婚のことは長い間祈っていたのですが、医療宣教師と結婚は両立できないと思っていたのであきらめていました。しかし、今後のことを祈る中で、もう一度結婚について真剣に祈りはじめました。結婚したい男性の条件は @神様を愛し、従い、自分を捧げている人 A家族を大切にしている人でした。本当にこのような人が与えられるのか?と不信仰にも思いつつ祈っていましたが、宣道兄を神様が与えてくださり、心から感謝しています。私達の結婚指輪には上記のみことばの箇所を彫りました。今年は恵悟も与えられ、神様の憐れみと祝福を感謝しています。このみことばのように、神様にあって愛情に満ちた温かい家庭を作っていけたらと願っています。どうぞお祈りください。

posted by 横浜中央教会 at 21:24| ◇月報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月18日

2007年11月号 月報

今年度の教会会計の見通し

                             C.Y

  10月が終わった時点で、今年度の教会会計の見通しを、ということで月報委員の方から原稿依頼がきたので、今時点での見通しと、来年の事をお知らせしたいと思います。 経常会計におきましては、順調に経過しています。収入におきましても予算1,000万円が1,100万円になると予測され、収支70万円位の黒字となる予定です。 融資金返済会計におきましては、少し足りてません。というのは、予算240万円のところ220万円の予定です(指定献金500万円と融資金返済献金500万円は除いています) 来年は350万円返済しなければならないので、この数字で終わったとしたら、来年への繰越が63万円くらいになるので、290万円の予算を組まなければ返済出来なくなるということになります(昨年の見込みでは、達成すれば2008年、2009年、両年とも270万の予算ででいけると思っていました)。ちなみに2009年の返済予定額は270万円です。 今年は階段防水工事(約30万、10月計上)と、少し大きな営繕事業も行ないました。また20周年記念事業も、牧師館がまだ良い物件が見つかっていないので、教会会計もまだ先が不透明なところもありますが、献金額は数年前より確実に増えています、今年の実りを感謝しつつ、20周年記念事業と、来年の融資返済が滞りなく済みますように主に祈りたいと思います。



秋の一泊修養会報告U                  I.C

 前号に続いて、一泊修養会で話し合われたことを報告します。

 

C分団

・アットホームな中にもめりはりが必要

・子どもたちには、特に始まりと終わりの緊張感を見せたい

・朝は会釈だけにとどめ、まず出会うのは神さまであることを覚えたい

 

全体会  (話題ごとに順番を入れ替えて編集している点はご了承ください。)

他教会から来て…

・前いた教会には「罪の告白と祈り」はなく、司会長老が公同の祈りの準備をすると いうことも、夫を通して初めて知った。

・前いた教会では、礼拝の中に、周りの人との3分間の挨拶というのがあった。

礼拝の諸要素

・前奏は礼拝の要素として考えるべき。

 (→1030から司会の開会合図後に前奏を始めるように変更)

・聖書朗読は「神の声」であることを覚えたい。

・ウ告白は難しいので、解説があると良い(→小教理問答が始まってから早速実行)。

・牧師の話はわかりやすい。CSの分級でも、その日の全体礼拝の話をとてもわかりや すく解説してもらった。

・報告も礼拝の要素だと思う。

・礼拝は神さまが招いてくださっているということ、祝祷をもって派遣されていると いう意味を深く心にとめたい。

讃美について

・甘い教会になってはいけない。マラナタは喜びの面が強調されているので、他の聖 餐式の讃美歌も必要(→マラナタ以外の讃美歌もバランスよく使用するよう改善)。

・マラナタにも十字架を覚える部分はある。

1938年という戦争に向かう暗い時代に、主にある希望を歌った意義は大きい。

・バラエティに富んだ選曲で良い。「きれいめ」な曲を増やしてほしい。

愛餐会・新来者の目線・子どもの参加

・クリスマスやイースターなど、特別な時の愛餐会では、テーブルクロスを使いたい。

 (→後日、子どもが引っ張っては大変という心配の声。裏をガムテープ固定すれば  大丈夫ではないか。)

・慣れて来ると隅のゴミなどにも気をとめなくなるので、初めて来会した人の目線を 忘れないようにしたい。

・子どもの礼拝参加は大事。保護者の方たちはできるだけ気にしないで、みんな一緒 に礼拝できる恵みを覚えたい。

 以上、簡単な報告ですが、すでに実行に移されていることもあり、話し合いが生かされていることを嬉しく思います。

 

 修養会から帰ってきてから、さらに聖日の過ごし方を考えることがあります。

 教会学校の働きに携わっていて思うことは、子どもが増えた今は特に、聖日朝にする用意は最低限のことにしなければということです。前週の聖日までにできることをしておくと、神さまの前に心を静めて礼拝に臨むことができます。一旦その週が始まってしまうと、6日間ずっと教会に関することが何もできずに過ぎてしまうことも少なくありません。だからこそ、聖日の過ごし方がとても重要です。

 これまでも教会学校のスタッフ以外の助けを得てやってこられたことを感謝しています。クリスマスに向けて、プレゼント包装など楽しい奉仕がありますのでよろしくお願いいたします。また、来春また確実に子どもが増えることが予想されます。CSの奉仕に加わってくださることを祈りの課題としてください。そしてぜひ中條校長や、CSスタッフ(立石言・みほ・中條佐知子・新井ちぎり)まで申し出てください。お待ちしています。

  



幼児洗礼を受けるにあたって

                             T.Y

 

 私は子供たちは自分のものではなく、神様からお預かりしているのだと思っています。神様の大切な存在がひとときを過ごす場所として、私を選んで下さったのだと思うととても光栄で、子育てを通して神様のお役に立てるのだと、うれしく感じています。

 同時に、子供たちもまた私を成長させるという使命を、生まれながらに神様から任されて私のもとにやってきたのではないかと感じています。

 子育てをしていると、以前の自分だったらすぐに逃げ出してしまっただろうと思える困難に度々ぶつかり、正面から向き合わなくてはなりません。しかしその度に自分の無力さ、未熟さを知り、周囲の人々のあたたかさ、大切さを知り、そして主にゆだねることを学びます。

 私と子供たちとは共に神様に仕え、主の栄光を現すよう努める同志なのだと思います。

posted by 横浜中央教会 at 08:12| ◇月報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月09日

2007年9月号 月報

「明日が来るって奇跡」                           
U.I(女性)
 先日見逃したのですが、「余命−ケ月の花嫁」というドキュメンタリー番組を見た友人から「人生観が変わった」と聞かされました。ご覧になった方も多いのでは? まだ苦い20代のある女性が乳がんになり、(苦しくて当たり前なのに)、前向きに明るく周囲の人々への感謝をしながら送る闘病生活。そんな彼女の最期の一カ月を追ったドキュメンタリーだそうです。
 その中で彼女がふとつぶやく「明日が来るって奇跡」と言うセリフがあるそうです。それを聞いた時、私は目頭が熱くなりました。毎日感謝を忘れ、おのれの欲求だけを考える生活の私。
 多くの方は大きな感謝は覚えても、日々「生かされている」ことは当たり前すぎて感謝を忘れているのではないでしょうか。私は特にそうかもしれません。
 判で押したような毎日。朝起きて会社へ行き、帰ってきて家のことをして、時間だけは忙しいので怒ったり焦ったりしながら雑務をこなして寝る。再び翌日へ。毎日毎日この自分の心臓が間違いなく動いてるだけでも本当は驚きで感謝です。
 数え切れないほど与えられている恵みを忘れてはならないのに。物にしろ精神的なことにしろ、足りないものばかりに目を向けがちな私は恥ずかしいです。
 「明日が来るって奇跡」。本当にそうです。そんな風にすべての事に感謝する私でありたいです。すべてに感謝し、足るを知る。こんな風に感謝を持って過ごす気持ちが、今の私。そしてオオゲサに言ってしまえば、世の中の人の心に少しでも芽生えれば、殺伐とした今の世の中は変わりますよね。是非再放送を願いたいものです。

カンボジア研♯の旅 (その3)   N.K(男性)
 私は捜真女学校という横浜のキリスト教主義の女子中学・高校に勤務しておりますが、高校生18人を連れてカンボジアを旅行した話をすでに2回書いてきました。旅行から2年もたちましたが、旅行記の第2回からも1年あまり時間がたっていますのでもうー度旅のあらましを説明するところから始めましょう。

 わが校とカンボジアとの関わりは、生徒たちが「カンボジアに学校を建てよう」と2年にわたって活動を続け、建築資金を送って小学校の校舎を建てたことに始まります。2001年のことでした。生徒たちの関心と熱意を校舎完成で終わらせるのでなく、その後もカンボジアの子どもたちとの交流を続けようとの意図から、その後毎年3にカンボジアを訪ねる旅を生徒有志によって続けています。

 旅行は、前半はカンボジアの誇る世界遺産であるアンコール=ワット、アンコール=トムの見学を行い、後半は首都プノンペンへと移動します。

 アンコール=ワット観光の拠点都市シェムリアプから飛行機でプノンペンに移動すると首都の交通量の多さに驚かされます。急速に近代化が進むこの町は、昔映像で見た「戦後復興の進む東京」といった感じで、アジアの他の都市と同じようにすさまじいエネルギーが渦巻いています。急速な近代化は社会に歪みをもたらし、ストリートチルドレンの問題もスラム街も他の都市と同じようにあります。さらにはカンボジア内戦の傷跡も。これらの解決にあたるNGOのいくつかを見学しましたが、この町に定住して社会問題の解決に従事している日本人がいるのです。これには驚きと感動を覚えました。

 市内にトゥールスレーン博物館があります。ここはポル・ポト派による虐殺を記念して遺された収容所跡です。ポル・ポト派による虐殺は、人類が記憶しておくべき重大な虐殺です。1975年からおよそ3年の間にポル・ポトという指導者のもとで、国民のなんと5分の11説には3分の1)が殺されたのです。博物館となっている建物はもともとは学校で、ポル・ポト政権時代に収容所として用いられていたのですが、収容されていた人々の顔写真がならび、拷問に用いられた部屋と道具が当時のまま残されています。事前学習でこの歴史的事実について学んできた生徒たちにとってこの収容所の見学は実に重く、つらいものでした。さらに、プノンペン郊外にはキリング・フィールドとよばれる埋葬場所が残されており、そこも車で1時間かけて移動して見学します。ここはいまだに地面に白骨が散見される場所で、高さ10mもあろうかという大きなモニュメントが建っているのですが、その半透明の塔の内部はすべてこの付近に埋められていた頭蓋骨なのです。乾季の青空の下に白い塔が吃立していて、その

中には数百を超えるしやれこうべが収められている。これはすごい景色です。


       秋の一泊修養会のお知らせ
                    
企画委員会、K.T

 今年も恒例の一泊修養会がもてますことを、感謝いたします。私たちの教会は、神様の豊かな恵みと導きのうちに群れが増し加えられ、礼拝においても教会学校においても、その業がはっきりと示されています。そのような順風の時にこそ私たちは常に信仰を吟味し、より神様に喜ばれる群れとして成長していくことを目標として歩む姿勢が必要だと感じます。修養会のこの時に、兄弟姉妹が主にある交わりを通して、心を共にし、主の日の礼拝のあり方や、そこに召される私たちの姿を再確認し、祝福に満ちた礼拝を捧げることができるように、整えられる機会となりますようお祈りいたします。
【日時】  9月23日(日)〜24日(月)
【宿舎】  野島青少年研修センター 045−782−9169      
       *京急金沢八景〜モノレール「野島公園」下車徒歩10分
       *JR根岸線新杉田駅〜モノレール「野島公園」下車徒歩10分
【出発】  礼拝後昼食をとり、1時20分頃に車に分乗して、または電車で出発。
【持ち物】 聖書、讃美歌、洗面用具、タオル、上履き、着替え、寝巻き、その他必要なもの
【日程】

9月23日(日)

9月24日(月)
PM
1:20
2:20 


3:10
 

4:00
 

5:00
 

6:00
7:00 



8:00
9:00
 
教会出発  
野島着
開所式
部屋作り
講演「礼拝論」
 講師 立石章三
グループ協議
  4グループ
自由時間
お風呂
夕食   お弁当
自由懇談会
講演をもとに、日ごろの礼拝について語り合い、交わりの時を持ちましょう。
自由
就寝準備
AM
7:00
7:40 

9:00



9:40
 

9:50
 

10:30

11:00

起床  洗面
朝食
      朝食後荷物整理全体報告会
各グループの記録係の方に報告していただきます。
休憩・お茶 

讃美歌練
 

荷物整理・掃除
 

退所式
 
    
 
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2007年08月13日

2007年8月号 月報

『リフォルマンダ』を読んで
C.K(男性)
 西部中会教育委員会から編集発行されている『リフォルマンダ』誌を読んでの感想を述べ、この文を読んで下さっている皆様が、他中会の機関誌にも目を通す機会となって欲しく、この粗文を書き始めました。 日本キリスト改革派教会は60年前に設立されました。この時の中会は、東部と西部の二中会から構成されていました。日本を東西に分けて創立宣言の目標を達成する事を心掛けてこの60年の歩みを共に歩んできたわけです。同じ日本にあっても、東と西では味の好みも違う様に、文化的背景もそれぞれ微妙に違います。今回は、この違いを「リフォルマンダ」を読む事で実感していただきたいと願います。 現在までの間に、西部中会は四国中会と中部中会を産み、一方東部中会は東北中会と東関東中会を生み出しました。この歴史が物語る様に、『リフォルマンダ』と『まじわり』は、同じ改革派教会ですが違う所も多くあり、結構読んでいて面白いものを感じます。 先ず表紙であります。『まじわり』の簡素さに対し、重厚と言ってよいと思います。中身については目次を下記に紹介しますので、『リフォルマンダ』誌を読んで判断して下さい。一口に言えば読みやすい内容です。また、教師の執筆と信徒の執筆の割合を比較すると、信徒の執筆者数が『まじわり』より多い様に思いました。
2004年6月号目次:
 神の御前に生きる−男と女における愛と性−(1回)5回シリーズになっている。
 信仰を告白する恵み(6回目)
 私たちの教会の理念を学ぶ(4回目)
 こひつじ文庫の意から(神港教会の教会文庫から児童向けの本を紹介しているシリーズ)
 絵画と信仰(6回目)
 奉仕する喜び(4回目)
2007年6月号(NO.48)目次:
 説教・神の国を求めようとしない者にも
 団塊ジュニアの献身−−自分を探し続ける時代に
 教会と国家−−2.11集会に参加して
 全国青年修養会に参加して
 伝道への熱情−−キリストを植え付けていただいて
以上、2冊を紹介しましたが、読み比べてみると違いが判ります。最後に「リフォルマンダ」とはどのような意味か探していましたら、表紙の一部に次の様な言葉がありました。 「ecclesia semper reformanda 常に改革され続ける教会」です。


全国青年会に参加して

T.G(男性)

 53日〜5日にかけて全国青年会修養会が行われました。ゴールデンウィークのど真ん中に全国から135名もの青年が集まり、ともに学び、讃美し祈りあう、大変恵まれた修養会になりました。とくに今回は開催準備委員として、およそ半年前から準備していたこともあり、思い出深い修養会となりました。
 今回のテーマは「神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶ」。よく聞きなれたテーマでした。講師は牧田先生。人生の目的を端的にあらわしたこのテーマから、どんなお話をしてくれるのか楽しみにしていました。
 講演を聞いて感じたことは、自分が救われているということは、こんなに奥が深く、考えれば考えるほど、突き詰めれば突き詰めるほど確かなものになる、ということ。そこからわきあがる感情は、神様に対する感謝の思いです。そして救いの確信についても考えさせられました。もちろん、これで分かりきったということではなく、これから長い時間をかけてじっくりと深まっていくのだろうと思います。
 この感謝や喜びを、すぐに同じ信仰をもつ兄弟姉妹と分かち合うことができること。これが修養会最大の収穫だと思います。いい講演を聞いた。説教を聞いた。それで終わりじゃない。共に語り合い、さらに理解や確信を深めていく過程は大変楽しいものです。小学生の時から修養会に参加してきましたが、このように同じ信仰を持つ友達との出会い、語り合いは本当に大きな財産になっています。
 さて、今回の全国青年会修養会には準備委員として参加しました。準備委員は全部で4人。人数が少なかったため、小回りは利いたのですがやはり人手不足でした。そのため、担当の千ヶ崎先生には全面的に助けていただき、足りない部分をフォローしてもらいました。東中青の役員にはしおり印刷、当日の奉仕。本番当日、早めに会場に来た参加者には、荷物運び、会場案内、奏楽、礼拝などの司会。本当にあらゆる場面で助けてもらいました。頼まれた方はイヤな顔一つせず快く手伝ってくれました。また、こちらで気がつかなかった欠けを、参加者の誰かがおぎなってもくれてもいました。まさに、全国から集まった参加者全員で作り上げた修養会です。このような経験は、これから改革派教会を担っていく青年にとって大変重要なものだったと思います。他の教会の青年、他の中会の青年を知ることで学ぶことは多いと思います。
 改革派教会は中高生、学生、青年の数が多くありません。このままでいいはずがないと、誰もが思っていると思います。かといって、いきなり修養会に参加することは、誰にとってもかなり高いハードルです。そのハードルを下げるために各中会、各地区、各年代で努力が必要です。その努力はきっと神の国の進展にとって意味のあるものだと思います。このような努力に協力すること。それは、まず参加をすることだと思います。自分にできる何かをぼちぼちやっていこうとまた思いました。


聖書を読むこと、説教を聴くことの恵み
M.M(男性)
 今年、2008年の主日礼拝の説教では「使徒言行録」の講解が続けられています。立石先生が先に「コリントの信徒への手紙」を講解説教されていたときに、聖書におけるコリント教会の時代的・社会的背景、ユダヤ人とギリシャ人の習慣の違い、価値観の相克(たとえば「食物」について)などの理解を深めるために使徒言行録に立ち返って学ぶ必要があると判断され、朝拝説教の聖書テキストに選ばれた(一つの理由)と記憶しています。毎週、立石先生による使徒言行録・説教を聴きながら、主の恵みを多くいただいております。同時に、洗礼を受けてから40年以上もなるのに、こんなことも分からなかったのかと御言葉を疎かにしがちな生活を恥じ、悔い改めるこの頃です。反対に、今日の説教ではどのような「真理」を教えられるのだろうか、気づかされるのだろうかと、それを楽しみに(聖書地図を脇において)礼拝を迎えています。
 
キリスト者には御言葉と礼典(洗礼、聖餐)と祈りとが主イエスに結ばれる恵みの手段として与えられています(ウ小教理・問88)。 実際、私たちは祈りの中で「御言葉を糧とし」と唱えることも多いはずです。御言葉が霊の糧となるためには、当たり前のことですが、聖書をよく読むことです。聖書は、新聞・雑誌や小説のように一気に読むことがなかなか難しい書物です。また、試験前に丸暗記するような通読は、可能ですが続けなければすぐ忘れてしまいます。やはり、日々の糧として、順に(あるいはテーマを決めて)、少しづつ、しかし、中断せず根気よく読み続けることが御言葉から恵みを受ける最も良い方法でしょう。
 同時に、説教をよく聴くことも御言葉から益を受けるための重要な回路です(ウ小教理・問89)。一人で聖書を読む、あるいは家庭で、グループで聖書を読むことももちろん大切です。しかし、聖書に書かれていることを独力で全て理解しようとしても不可能であり、勝手な解釈や誤解をして主の御旨から遠い所をさ迷い続ける危険もあります。やはり、御言葉の教師の説教をよく聴いて、聴いた御言葉を噛みしめることが信徒にとっての御言葉の正しい受けとめ方だと思います。御言葉に聴く姿勢も、「勤勉、準備、祈祷をもってこれに傾聴し、信仰と愛をもって受け入れ、心のうちに貯え、生活の中で実践する」ものとなるよう心がけたいと思います(ウ小教理・問90)。 使徒言行録には、ベレアのユダヤ人たちが、「ここのユダヤ人たちは、テサロニケのユダヤ人よりも素直で、非常に熱心に御言葉を受け入れ、そのとおりかどうか、毎日、聖書を調べていた。(使徒言行録17:11)」と紹介されています。
 御言葉の意味を十分理解しなくとも、丸暗記することが無意味なわけではありません。エチオピアの高官がイザヤ書を朗読していたとき、フィリポが「読んでいることがお分かりになりますか」と尋ねる箇所がありますね。高官は「手引きしてくれる人がなければ、どうしてわかりましょう」と言い、フィリポに御言葉の説き明かしを頼みます。やがて、高官は「ここに水があります。洗礼を受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。」と信仰告白し洗礼を授かります。高官はフィリポの姿が見えなくなっても、「喜びにあふれて旅を続けた。」とあります。その時の情景が鮮明に浮かぶほど、御言葉に聴く模範的な姿ではありませんか。だから、難しい、意味がよくわからないなどを理由に、聖書を読むこと、説教を聴くことを疎かにしてはいけないのだと思います。
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2007年07月22日

2007年6月号 月報

合法的戦争                                  
立石章三
  7月15日の礼拝で朗読したウェストミンスター信仰告白23:2「正しい、またやむをえない場合には、合法的に戦争を行うこともありうる。」について、礼拝後に議論になりました。日本国憲法は9条で「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。A 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と高らかに歌い上げたのですから、それを堅持する私たちとしては、ウェストミンスター信仰告白のこの個条は率直には受け入れがたいわけです。 
 まず確認しておきたいことは、ウェストミンスター信条は1643年から1647年まで続いた神学者会議の作品です。当時の戦争に対する概念と、二つの世界大戦を経験した現代の戦争概念とは大きな開きがあります。当時はプロテスタント教会とその社会を抹殺しようとする、ヨーロッパ30年戦争が続いている最中でしたが、敵と味方は互いの顔が良く分かる関係で戦っていました。
 
 ウェストミンスター神学者会議が開かれるきっかけは、ピューリタン運動と国王の対立ですが、直接の要因は、英国のチャールズ1世が隣国スコットランドの教会を英国教会に統合しようと策略し、「祈祷書」を強制したことによります(1637年)。スコットランド教会はこれに反対し、チャールズはこれを鎮圧しようとして出兵し(第1次主教戦争1639年)、軍資金を調達するため議会を召集しますが、議会が反対したのでこれを解散させてしまいます。翌年スコットランド軍が攻め込んで来て(第2次主教戦争)チャールズは議会を召集しますが、議会はクロムウェルに乗っ取られ、チャールズは処刑され(1649年)、1653年に解散します。
 
 1641年、議会は国王に対し、英国国教会の神学的、社会的堕落に抗議する「大抗議文」を提出し、正しい宗教政策を求めて神学者会議を開くことを要求します。これを国王は拒否しますが、1643年、議会は神学者会議の開催を決定し、ここにウェストミンスター神学者会議が開かれることになりました。議会と国王の対立、敵であるスコットランドと議会が同盟を結ぶ(1643年)という、目まぐるしく変わる英国の政情の中で、ウェストミンスター神学者会議は開かれました。
 
 クロムウェルとピューリタン革命の後、英国には再び揺り返しが来ます。1660年の王政復古によって英国は再びカトリック的国教会となり、ウェストミンスター信条は顧みられなくなります。ウェストミンスター信条の価値を認めない人たちが「神学者会議は失敗に終わった政治的動乱の産物である」と批判するのはそのためです。しかしこの信条はそれから300年間、英語圏の長老派教会にとっては最も大切な神学的規範でした。
 
 信条の読み方について、JHリースは「第1に、書かれた時に何を意味していたかを理解することに努めること、第2に、書かれた時の意味に建徳的な修正を施し、今日の神学的な宣言として使用する」と言います(『改革派神学の光と影』)。
 
 キリスト教会には永久神学と言えるようなものはありません。つまりただ繰り返すだけで何世代でも通用する神学というものはないのです。「ウェストミンスター信条は17世紀の特殊な歴史事情から生まれた」ということを認識するのが正しい歴史認識です。改革派教会は、どんなものであれ、一つの信条を高く持ち上げて独占的な位置を与えるという考え方をしりぞけてきました。この点がルーテル教会と異なる点です。ルーテル教会は信条集を固定して、その後は信条を作ることを終了しました。これを信条主義教会と呼びます。私たちの改革派教会は信条作成をめざす「信条教会」です。創立宣言ではウェストミンスター信条を採用すると言いましたが、「我らの言葉を以て更に優れたるものを作成する日を祈り求むるといえども、この信仰規準こそ、今日我らの信仰規準として最適のものなるを確信し、讃美と感謝を以て教会の信仰規準となす」と告白しました。つまり新しい信条を作ることが、創立以来のわが教会の悲願なのです。大会はそのために信仰告白作成作業の前段階の準備として、ウェストミンスター信条に欠けていた「教会と国家の関係についての宣言」「聖書について」の増補、「聖霊について」「予定について」「福音の宣教について」「終末論」を今まで発表してきたのです。
 
 リースは次のように警告しています。「今日の神学者は、時代に合うようにわれわれの信仰を表明することができないでいる。ここに現代神学の問題点がはっきりと現われている。神学的な深みと英知を身につけるためには、教会が過去に出した信仰表明にいつでも立ち返る必要がある。過去の神学に共感して生き、その神学と自分を一つにしえた者のみが、今日、建徳的な神学作業を行う資格を持つといえよう」。 
 それでは私たちはウェストミンスター信条ををどのように用いるのでしょうか。私たちの教会の礼拝では、聖書朗読の時でも起立しないのに、ウェストミンスター信仰告白朗読時には起立します。それほどまでに重んじている(?)のですが、中身の個々の文章表現にまで賛意を示さねばならないのでしょうか。この点について、私たちの教会憲法ははっきりしています。 
 まず、ウェストミンスター信条は教会役員の誓約事項です。教師、長老、執事は任職時、「あなたは、私たちの教会の信仰規準を、聖書の真理を体系的に示すものとして誠実に受け入れますか」という誓約を求められます。信仰規準とはウェストミンスター信仰告白、大教理問答書、小教理問答書の3冊です。この誓約は一般の信徒には求められません。しかしこの誓約文章をよく見ますと、聖書の真理を「体系的に示す」ものとして受け入れるのであって、一字一句受け入れるわけではありません。体系的とは、神学的骨組み、枠組みを言います。キリスト教教理のある一面を突出させて(聖概念、人間のわざ、終末論など)それを全体的に考える教理体系を持ってはいません。改革派教会は今まで、ウェストミンスター信条に様々な修正、改定を施して採用してきました(20:4、23:3、24:2、31:29)。これらにも時代的制約が表されています。私たちが新たな信条を作るためには、この歴史的な偉大な文章をよく咀嚼することがとても重要です。合法的戦争の問題も、それでは今の日本で、現実にある自衛隊を前にして、日本の教会は戦争をどう考えるのか、表明しなければなりません。
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2007年02月09日

2007年1月号



                 日本キリスト改革派    1月号
  月 報 横浜中央教会    2007年1月28日
 
<もっと大きな目標を >                                                                 

                                立石章三
 横浜中央教会は来年教会設立20周年を迎えます。昨年は神様から大きな祝福をいただき、大人9名、子供7名の増加がありました。礼拝出席者も昨年比7名の増加でした。いよいよ会堂が狭くなり、今年は増築しなければなりません。昨年アンケートを取った教会設立20周年(2008年)記念事業も、その大綱がまだ発表されない段階で、すでに617万円の献金が集まりました。今横浜中央教会は大きく発展するための転換期にさしかかっています。
 さて5年ほど前に「ヤベツの祈り」という本が出版され、アメリカで大ブームになり日本でも流行しました。これはヤベツという人が「どうかわたしを祝福して、わたしの領土を広げ、御手がわたしと共にあって災いからわたしを守り、苦しみを遠ざけてください」と祈ったことにヒントを得たものです。ヤベツがこの祈りをすると驚いたことに「神はこの求めを聞き入れられた」のです(歴代誌上4:9、10)。
 ヤベツという人は聖書の中でここだけに登場し、その前後は何も分かりません。しかしこの本の著者はヤベツを「その業績にによってではなく、祈りの結果受けた祝福によ
って今もなお人々の心に留められる、神のために生きた勇士」と語り、私たちは祈りというものを人間的な常識で小さく考えてしまっていないだろうかと問いかけます。ヤベツのように、自分の生活に関わることで願い事ばかりするのはクリスチャンとして未成熟だと考え、いつもひかえめな祈りに終始してはいないだろうか。もっと大胆に、私を成功させてくださいと祈っても良いのではないか。そして著者はそのとおり実行し続けたら、すべての計画が成功し事業に成功したというのです。
 この本が日本で出版されますと、「一見謙遜に見えた今までの私の祈りが、実際には神の愛と主権に信頼せず、神が用意された豊かな備えを拒むという傲慢さの現れだったと気づかされた」というわけで、ヤベツの祈りは多くのクリスチャンにもてはやされたのでした。「私の祈りは小さすぎた」と感じるようになったクリスチャンたちが我も我もと「大きな」願いをするようになったのです。
 歴代誌上はアダムから始まり12族長に至る系図で、第1章から9章まで、500人以上の名前を延々と綴る、非常に取っ付きにくい書です。この名前の中でヤベツだけが特別に説明されています。この名前は「苦しみ」という意味で、難産に由来します。イスラエルでは命名するのは父親の役目ですが、ヤベツの名前は母親がつけたというので、きっとその家庭も不幸だったのだろう。というわけで、かなりの推測に基づいたヤベツ像が一人歩きしました。
 私たちは聖書に書かれていないことを材料にしてあれこれと推測してはなりません。しかしどのような事情があったにせよ、「祝福してください、領土を広げてください、災いから守ってください、苦しみを遠ざけてください」という祈りがあったこと、神がその祈りを聞き入れられたということは事実です。この点で私たちはもっと祈りに大胆
になって良いでしょう。「キリスト教は御利益宗教ではない」という言い方がされますが、実はキリスト教は世界で最大の御利益宗教なのです。何といっても永遠の命が与えられるのですから、これにまさる御利益はありません。
 ウェストミンスター小教理問答は祈りについて「祈祷とは、神の御意志に一致することのために、キリストの御名によって、私たちの罪の告白と神のあわれみへの感謝に満ちたお礼を備えて、神に私たちの願いをささげること」(98問)と言います。私が大きくなること、教会がもっと大きくなることは「神の御意志に一致すること」だと確信して、「神様、あなたが私に与えようとしておられる祝福をお与えください」と祈るのは正しいことです。天の父なる神様は、私を愛しておられる私のお父様ですから、もっともっと大胆に「祝福してくださるまでは離しません」(創世記32:27)と祈りましょう。パウロはこう言いました。「わたしたちにすべてのものを豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように」(Tテモテ6:17)。
 横浜中央教会も大きなヴィジョンを持ちましょう。横浜西口時代、このような土地と会堂が与えられることを誰が予想したでしょうか。この会堂をわずか5年で増築しなければならないと誰が予想したでしょうか。神様は私たちについて、もっともっと大きなヴィジョンを持っておられるのです。


<洗礼を受けて>
                                     Y.A(女性)

   昨年の12月24日に次男と共に洗礼を受けさせてもらいました。私がイエス様に出会ったのは、夫と結婚してからなので約7年前です。それまで無宗教だった私は、イエス様は知っていても全く理解していませんでした。4年前に長男が生まれ、夫から「幼児洗礼を受けさせたい」と言われたとき、その頃は夫の信仰している神様について少しは分かってきていたつもりだったので、長男が受けるのは当然のこととしてOKしたものの、では自分は?と問われれば「私はまだ‥」という気持ちでした。
 こんな気持ちで息子も受けるから私も‥というのは何か違う気がして悩んだ時期もありました。でも、夫は私がクリスチャンになる事を一度も強要したことはなく、まわりの方々も暖かく見守って下さったおかげで、あせった事は無かったように思います。
 そして、次男を授かった頃から、夜、寝る前には自然にイエス様に今日の一日を感謝するようになり、私の中で少しずつ変わり始めました。でも、まだまだ勉強不足の私。こんなので洗礼を受けて良いのだろうか?そんな時、立石先生に「全部を理解してから洗礼を受けるのでなく、洗礼を受けてから少しずつ学んでいけば良い」というような事を言われ、「あ、そうなんだ」と、目からウロコが落ちる様な、スッキリした気持ちになりました。そして12月24日、次男と無事に洗礼を受け、クリスチャンになりました。これからの私の目標は、もっと聖書を勉強し、息子達に聞かれた事ぐらいは分かりやすく教えてあげられるようになる事です。そして将来、息子達が私のようにごく自然にイエス様と共に歩んでいけるように見守っていきたいと思います。

posted by 横浜中央教会 at 18:57| ◇月報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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