2010年08月19日

月報 2010年8月号

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2010年07月19日

月報 2010年7月号

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2010年06月20日

月報 2010年6月号

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2010年06月05日

月報 2010年5月号

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2010年04月24日

月報 2010年4月号

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 (今回より、PDFファイルでご覧いただけます)

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2010年03月14日

月報 2010年3月号

        横浜中央教会予算についての補足
〜執事会からのコメント〜

                                                                 I.M
 先日の会員総会で当教会の予算が承認されました。会計処理の特殊性もあり、毎年ご理解に苦しむ方も多いかと思いますが、今回は質疑応答の中で例年よりも活発な意見が交わされ、有意義な話し合いがもてたと考えております。

  さて、表題にあるとおり、今回は予算について皆さんにより深く認識を深めて頂くため、執事会から一つコメントを申し上げようと思います。総会の予算会議中に基本的且つ非常に貴重なご意見を頂きましたので、それに対する回答を教会予算の考え方への執事会によるコメントとさせて頂きたいと考えました。ご意見の内容は、「(昨今の経済状態悪化を受けて)融資返済会計に重点を置くために、経常会計を縮小することについては理解できるが、礼拝献金(席上献金)についてまで、昨年度予算及び実績から予算を減額するのは教会の立場として賛成しかねる」というものでした。

  こちらの回答としては、まさに「おっしゃるとおり」なのです。教会と世の中の会社でたてられる予算の違いは、この部分にあると私は思います。世の常識としては、過去の実績の綿密な検証と、世の中の流れ、つまりはその会社が扱う事業に影響を与える市場の動きを分析し、知恵を絞ってあるべき事業計画の形を模索します。場合によっては、偶発的なリスクを織り交ぜ、数種類もの予算を作成することも珍しいことではありません。しかし、それは結局のところ、人間があたかもこの世界を支配しているかのような幻想の中で(実際は明日の自分がどうなっているかさえ分からないのに)、「あれをしよう、これをしよう」とつぶやく、その声の集合体に過ぎないと私は感じるのです。

  これに対し教会のたてる予算は、まず「主の御心をたずねもとめる」ことが第一にある点で、世の中のそれとは異なります。私たちが具体的に教会生活をおくるうえで、またこれから目指すものを考えるとき、「主の御心はこうあるはずだ」と自問自答すべきです(私としては、つい自分の考えで突っ走ってしまうことが多いので、しょっちゅう反省しますが)。主は我々の思いを遥かに越えて、私たちに今必要なもの、これから必要なものをご存知です。そして、それについて私たちが願い求めることは、何でもかなえてくださいます。このような認識の中で、敢えて縮小予算を作成したことについては、教会を構成する皆さんがそれぞれに納得(妥協もあると思います)できるだろうと考えられる水準を模索したという背景がありました。最低限のラインと言い換えることもできるかと思います。

  重要なのはこれが単なるモデルであること、私たちはその数字の裏にあることを想像して自分自身の予算を作成すべきです。「本来はこうあるべきだ」という考えがあれば、そのように行動します。予算は皆さんのイメージ次第で様々な変化を遂げるのです、また遂げたいと思うのです。

  横浜中央教会会堂は、多くの方からの献金と融資があって建設され、我々はまだそこに多くを負っています。また「特別会計」とはいうものの、礼拝をささげるステージに関するという意味では、経常会計に劣後するものでもありません。融資への義務を果たすことは当然ですが、将来的にはその先にあるものを展望しつつ、励んでゆきたいと考えます。
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2010年02月14日

月報 2010年2月号

■2009年度会計報告と2010年度予算について    
                                     
.
 年報の何頁にも及んでいる会計報告を要旨だけ1頁にまとめてみました。年報を読んでもよくわからない方はこちらでご理解ください、具体的なことは年報を参照ください。質問のある方は執事会で受け付けています。

 (中略)

 経常会計では収入の献金は予定通りでしたが、支出で年初予定していなかった出費があった為21万の収支マイナスで終わりました。牧師館リフォーム、裁断機リース、エアコンなどの設備費です。また火災保険は5年分支払いました。長椅子はファンド会計より支出しました。融資金返済会計におきましては、収入が約50万届きませんでした、返済したのは330万ですから繰越額は前の年よりも多くなってるはずですが、20周年融資より振替たのと融資返済用定期預金を会計上戻したことによって昨年より100万円マイナスで減額されているだけ、依然きびしい状態が続いています。

 予算に関しては、経常会計の支出を抑えました、これは融資金返済会計が厳しいものになっているので今年はこちらを充実させたいと思っています。そのためまず融資金返済献金の昨年達成できなかった325万をまず達成させ、この経済状況の厳しい今、私たちの献金できる額も限られていますので、経常会計の予算を抑えるかたちに致しました。


■『ブルドッグおじさん』 

                                   M.M
  テキサス州ダラスの隣り、キャロルトン市に日本人を嫌うおじさんがいました。目と鼻と口も大きく髭をはやし、犬のブルドックによく似ていたので私は密かにブルドックおじさんと呼んでいました。(ゴメンナサイ、若気の至りです。)

 おじさんは日本軍による真珠湾攻撃で二人のお兄さんを失くし、孤児となって苦労し、その後日本人には冷たくて無視するのだと人伝てに聞き、気になっていましたがスーパーの中の肉屋の責任者なので滅多に会うことはありませんでした。

 或る時、日本の友達がダラスにやって来る事になり、そのころ日本では牛肉が高かったのでアメリカですき焼きをたらふく食べたいと連絡が来て快く引き受けました。

ところがです。テキサスの肉屋には大きな肉の塊がゴロン、ゴロンと並んでるだけでスライスした肉は何処にも置いていないのです。意を決しておじさんにたのむ事にしました。

 おじさんは無言のまま機械のスイッチを入れ、スライスする音がしたので、感謝、感謝、と待っているといきなり私の目の前に肉の山がドーンと置かれたので、おもわず「うわー凄いー」と、日本語が出てしまいました。おじさんは今にも噛み付きそうな顔になったので慌てて「Great,It nice・・」と単語を並べると初めて声を掛けてくれました。

 「何を作るの?どうやるの?」と聞くので「すき焼きを作ります。スープにビーフと砂糖と醤油を加え・・・」と説明すると「何にいー、牛肉に砂糖を加えるだとー、気持ち悪い、フン!!」と軽蔑して店の中に入ってしまい、出て来ませんでした。昭和50年頃のテキサスでは料理に砂糖は使わず、その分デザートはたっぷり甘くするのです。

 なんとも割り切れなくて、家に戻り、真剣に祈って、砂糖を控えてスープを多くしたすき焼きを作り、おじさんの前に鍋ごと差し出しました。

 呆れた顔で鍋と私の顔を見比べていたおじさんは「Good sell」と言って鍋を店の中に持って行き、おっかなびっくり食べ始めました。がピッチを上げると鍋を洗って、照れくさそうに近寄り、「あんたは日本人でクリスチャンだってねえ。聞いてるよ。僕は時々教会に行っているが汝の敵を愛せよ。という御言葉がとても重くてつらかった。休みの日は反戦運動に加わり時々旗を振ってるよ。戦争は殺人合戦だから絶対やってはいけないんだ。」

 紳士の顔になっていたおじさんに「もう戦争は絶対しないように努力します。」と約束すると、突然明るい顔になり、「そうだー、来週のハニーの誕生日には、すき焼きパーテイをすることにしようー、あんたも来てくれるね。」と言うと特大の手で握手をしてくれました。

見かけによらず、柔らかくて暖かな手のひらから平和であれという上からのメッセ―ジが伝わって来た気がして、幸せな気分になり胸がいっぱいになりました。
 
今から30年程前の懐かしい想い出のーページです。



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2010年01月17日

月報 2010年1月号

■新しい年に                                                                                                                       
                                      立石章三
 私が横浜中央教会に赴任したのは1977年の4月で、就職式は13日でした。その日の週報論壇を見ますと「すべてを御手に委ねようではないか」という題で論壇を書いています。次の週から「公的礼拝を考える」という題で、連続5回礼拝論を展開しています(論壇集6971頁)。私の礼拝観を会員に知らせることにより、教会の一致を目指したのです。

 この時の現住陪餐会員は33名でしたから現在は15名増えていることになりますが、その後様々な人の出入りがあり、いろいろな信仰的バックグランドを持った方々が会員になりました。教会の一致はまず礼拝観の一致から始まりますから、その後も私は多くの機会に論壇や月報などで礼拝論を書いてきました。

 宗教改革者ルターは「唯一の聖なるキリスト教会は、…全信徒の集まりであって、その中で福音が純粋に説教され、聖礼典が福音によって与えられる」(アゥグスブルグ信仰告白7条)と教え、これが「正しい教会」の目に見える印だと言いました。つまり「純粋な福音の説教」と「正しい聖礼典」です。カルヴァンはこれに「厳正な戒規の執行」を加えて、組織の純正化を図りました。

 しかしその説教が純粋かどうかを誰がどうやって判断するのか、という問題があります。宗教改革後の改革派教会はそのため、聖書の教理体系を言葉で表現した「信仰告白」を多く生み出し、これは教会によって公に採用され「信条」となりました。教会は「我らは聖書をこのように理解する」「聖書が教えているキリスト教はこれだ」ということを常に公に言い表してきたのです。このような聖書理解の客観性を持たない教会は聖書を体系的に読むことをせず、自分勝手な聖書解釈に陥りました。歴史の事実が示すとおり、「この戦争は聖戦である」などという間違った説教が、太平洋戦争中には日本の多くの教会でなされたのです。これは歴史的諸信条を学ばないことによる失敗でした。

 横浜中央教会では現在『ハイデルベルク信仰問答』の連続講解説教をしていますが、これは信条を聖書より重んじるということではありません。聖書は信条を規範し、信条は聖書によって規範されます。信条の表現が時代に合わなくなったり、聖書に直接書かれていない新しい問題が起こって来た時には、教会は信条を改定したり、新しい信条を生み出したのです。信条に固定され、新たな信条を生み出すことのできない教会は「信条主義教会」と呼ばれますが、私たちの教会は常に改革され続け、自分たちの生きている時代の中で新たな信仰告白をし続ける「信条教会」です。

 礼拝のあり方も、聖書に導かれ、神の招きを今の時代の民に呼びかけることのできる姿を、讃美歌のあり方も含めて模索しなければなりません。私が行っている礼拝後の「大人の教会学校」もこの姿勢の一つの現われです。これは時代に迎合することではなく、今の時代の人々に届く言葉を求める努力なのです。



■子どもたちと共に                 
                                        
M.Y
 11月8日(日)に東京恩寵教会で行われた、第一回教会教育研修会の報告をいたします。

 第一部は、鈴木牧雄牧師がマルコによる福音書10:13−16を朗読し、「子どもたちと共に」の講演が行われました。今、教会と家庭の中にまで、世俗化と少子高齢化の波が押し寄せています。そのような中、教会と家庭における教育を正直に振り返り、神の御言葉を学び御言葉に生きる幸いをもう一度受け止め直すことが必要ではないでしょうか。(プログラムに書かれている内容を一部引用)と呼びかけがなされました。

 第二部では「子どもの礼拝参加あれこれ」「家庭教育の悩み」「CSをよみがえらせる」という三つの発題があり、分科会が行われました。私は、「子どもの礼拝参加あれこれ」に参加しました。そこで、各教会での礼拝時の子ども達の参加について行われている試みや、子どもを連れて家族で参加なさっている方々の悩みを伺いました。

 なかでも話に多く挙がったのは、子どもを連れて参加しているご家族は、周りの方々に迷惑にならない様に子どもを注意したりで、心を沈め落ち着くどころか疲れ果てて礼拝を終え、肩身の狭い思いをしているという事でした。また、私達の願いとしては、子ども達には礼拝が退屈でやり過ごす事ばかり考えて欲しくない。礼拝は子ども達も参加しているという実感を持って欲しい。ということが挙げられました。そこで、子ども達も礼拝に参加している実感をもてるような取り組みをしている教会のお話も伺いました。

 上福岡教会での試みを「まじわり」8月号と9月号でお読みになられたと思います。(内容をここでご紹介すると長くなってしまいますので、省略します。)また、江古田教会では一年に一度、子どもを中心とした合同礼拝をして、子ども賛美歌を子どもも大人も共に歌うという礼拝をしているとの事。湘南恩寵教会では夏の一ヶ月期間は、子どもに向けた礼拝を大人も交えて行っているという話も伺いました。

 東京恩寵教会では、週報を子ども用に用意し、また親子で話し合い礼拝の時にどの部分(例えば賛美歌を歌うなど)で子どもが力を注ぐかを決め、その約束が出来たらご褒美シールを貼るなどの工夫がなされているそうです。そして、話の中で私が最もそうだな〜と共感した言葉を紹介します。「子どもは、日々変化していてそれぞれに個性があり、皆同じようには対応できず、一人一人の子どもを見ていく事も大切ではないだろか。」「子どもの立場で考える。」「叱って怒鳴って力で押さえ付けても逆効果ではないだろうか。」というお話でした。

 子どもを育てる事は、正解不正解という答はなく難しい事ですが、以上のような事を少しでも意識して子どもと接していけたら、お互いのコミュニケーションもとれ、信頼関係が構築できるのではないだろうか…と私は感じました。この「子どもの礼拝参加」については私達の教会でも話し合われている事ですが、やはり親子だけで取り組むのではなく、教会や教会員の協力が必要という事です。そしてなによりも、子ども達も主人公だと思える事が大切。という言葉で分科会は終了しました。

 私たち改革派教会は、契約の子に幼児洗礼を授け、教会の子どもとして共に礼拝にあずかりながら育てていくことをモットーとしています。(プログラム引用)この事を忘れずに、子ども達の成長を喜びながら暖かく、時には厳しく見守っていけたらな〜と思います。
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2009年12月20日

2009年12月号 月報

■クリスマスに思うこと                                  
                                  I.R
 
私がクリスマスになると思い出すことがひとつあります。それは私がバングラデシュで医療宣教師として働いていた頃、ミッションクリニックの近くの住民が、産婦が危ないと言うので看護婦を呼びに来た時のことです。私が働いていたクリニックでは、お医者さんがいませんでしたし、出産の面倒は見ていなかったのですが、産婦の容態が悪くなったということで来て欲しいといわれたのです。バングラデシュは世界でも最貧国の一つで、出産時に母子共に死亡する率は日本などの先進国に比べるとまだまだとても高いのです。

 どうすることも出来ないとは思いつつ、現地人の看護婦と二人で行って見ることにしました。私は、このような国での出産に立ち会うのは初めてだったので、恐れと戸惑いがありました。呼びにきた若者について行くと、家の中に入るのではなく、家の外にある食事を作る建物の中に入るように言われました。家も貧しい作りなのですが、その建物はもっと小さく、土で出来た建物には窓もなく真っ暗です。そこには、土間にむしろを敷いた上に寝かされた妊婦が気を失って倒れていました。胎児の心音は聞こえず、妊婦の意識も無い状態で大変危険な状態でしたからすぐに大きな病院に運ぶように言いました。そのこともショックだったのですが、何よりも子供を産むのに土間にむしろを敷いただけの寒々しい環境の中、こんな場所で子供を産まなければならないのか・・・ということに言いようの無いショックを受けました。今考えると、男性の目を避けるためにはそのような場所しかなかったのでしょうが、なにか恥ずかしいことでもしているかのように隠れた真っ暗な汚い場所に追いやられているような気がしてなりませんでした。

 私はその時、はっとイエス様の生まれた時の環境を思い出しました。汚い家畜小屋で人知れず、王なるお方がお生まれになったのです。何回も聖書を読んでよく知っている場面です。しかし、それがどんな環境だったのか現実に感じることは出来ませんでした。けれどもこの時、本当にイエスさまが貧しくなってくださったことがよくわかりました。
 
 多分、私がみたこの小さな小屋よりも貧しく、汚なく、臭かったのではないでしょうか。家畜小屋なのですから。 クリスマスになると、イエス様のご降誕を思うたびにあの場面を思い出します。そして、私たちのために貧しくなってくださった方のことを思います。  


■健やかなクリスマスを
                                  K.Y
 
今年もまたクリスマスシーズンの到来です。キリスト者にとって、イースターと共に一年で最も大切な、子供ならずとも胸の高鳴る季節です。 ところが、私達の暮らす社会では、読書や芸術に浸れる晩秋から一変して、12月は1年の総決算とばかりに、忘年会や各種セレモニー、大掃除に新年の準備と心静かに御子イエス様のご降誕をお祝いするには不似合いの喧騒の中に置かれます。

 また、冬は風邪も流行し、今年は夏からのインフルエンザも加えて健康にもいっそうの気配りが必要です。せめて、主を礼拝する日曜日には外の雑音や心に宿る雑念を振り払い、主の御言葉に集中したいものです。そのために私たちができることは何かを考えてみました。

 1.      毎日少しでも聖書を読み、聖霊が御言葉を通して働いて下さる  
    ように努める。
 2.      神様から頂いた体の健康維持を図り、肉体的にも御言葉に集中できるようにする。
  
@   十分な睡眠十分とは7時間位が目安ですが、土曜日の夜は楽しい番組ややりたいことも盛り沢山なので、自分との戦いに勝利して早目に布団に入りましょう。
  A  
バランスの良い食事礼拝に対しては朝食をしっかり食べる。冬の健康には鼻と口の粘膜を守るために、ねぎ、玉ねぎ、にんにく、豚肉などのビタミンB群の摂取が大切です。なお、風邪薬を飲むと、礼拝中に極度の睡魔に襲われることがあるので、マグカップに生姜のすりおろしと蜂蜜を熱湯で溶かしたり、紅茶に生姜のすりおろしを加えたりして、体を温めると良いです。
 
 B   うがい手洗いとマスクうがいは1日3回以上。手洗いは手の甲や指の股、指先も丁寧にできるだけ頻繁に。マスクは優れた簡易加湿器兼簡易空気清浄機です。教会は大勢の人の集まる所、エチケットとしても活用したいものです。

 立石先生の説教の中で御言葉を通して主の語りかけを深く聞きたいという願いを持ち、日常の中で主が気付かせて下さる知恵を見逃さないようにして、横浜中央教会の皆様が魂も肉体も健やかな喜びのクリスマスを迎えられますようにお祈りいたします。  


■自己紹介                                                                                 
                          
        A.E
  横浜中央教会(当時、横浜西口教会)が設立される約1年前、私たち家族は、父の転勤により横浜を離れることになってしまいました。横浜での伝道の最初、横浜駅の駅ビルでの集会が行われた時、私は幼稚園生でしたし、会場がYMCAに移った時は小学3年生でした。その3年後に森ビルに移った時から、「横浜集会」ではなく「横浜西口教会」と呼ばれるようになったことを記憶しています。教会の事情などは、私はほとんどわかっておらず、集会や礼拝の後に出る食事やお菓子、それから教会学校が楽しみなばかりでしたが、子供心にも横浜伝道の希望に熱く燃えている大人たちの勢いは感じていたように思います。
 今思えば、転勤が決まった両親の無念さはいかばかりだ
ったでしょう。 

 横浜から転居したのは、私が中学2年生になる春でした。東京教会に移り(戻り?)学生時代を過ごす中、高校2年生の時に信仰告白へと導かれました。

 大学卒業後は無事就職でき、その後幸いなことに結婚が決まり、主人と一緒に同じ改革派の稲毛海岸教会に通うことになりました。千葉市内に自宅を購入し、主人の実家も近かったことから、このまま千葉に住み続けていくものと思っていたのですが、主人の仕事の都合により横浜へ転居することになりました。それまで全く予想できなかったことでしたが、神様の不思議なお導きにより横浜に戻ってくることができ、嬉しく思っています。そして、以前お世話になった方々、教会学校で一緒だった皆さんとの再会や、横浜中央教会の会員に再び加えていただけたことを心から感謝しています。

 先日、立石先生から教会設立15周年記念誌と20周年記念誌をいただき、読ませていただいて、これまでに教会員の皆さまの数々のご苦労があったことを知り、今の私に同じような働きができるだろうかと考えてしまいました。同時に、教会の試練と思えるような時に神様の助けと豊かなお導きがあったこともわかりました。この横浜中央教会に加えていただいた私たち夫婦を、神様は今後どのように用いられるのでしょう・・・お委ねしつつ、祈りつつ、全力でそれに応えていけるようになりたい、と思いました(ちょっと格好良く書きすぎているかもしれません)。見た目と違って(?!)実はおっちょこちょいでうっかり者の私ですので、反省することもしばしばですが、めげずに頑張っていきたいと思っています。教会の中でわからないこともありますので、いろいろと教えていただけたら嬉しいです。どうぞよろしくお願いいたします。 


■導かれて                                          
                                 K.Y
 
私は今年の6月からプリスクールで保育補助の仕事をしています。勤務は曜日によって朝は8時半、または915分から245分まで2歳から6歳までの元気いっぱいの子供たちに囲まれ楽しく働いています。自分の子供の子育て真っただ中にいた頃には見えなかったことが今は見えたりして、なかなかおもしろいです。

 実は私はこの仕事に巡り合うまでずっと何年もの間、新聞の求人広告を見ては、希望の仕事はないものかと探し、与えられるようにお祈りしていました。それは、自分の好きな英語(好きと出来るは別の話で。)に触れながら仕事ができるという道が、この先開かれますようにと・・・でした。そしていつか神様は叶えて下さるだろうとも思っていました。そんな私の願いを聞き入れ、神様が用意して下さった道は漠然とした私の思いを超えた、願ってもない条件のものでした。それは、英語で保育をする幼稚園でのアシスタントをする仕事です。まさに望んでいた仕事でした。

 今年3月にそれまで働いていた職場が閉鎖になり、必然的に新しい仕事を探さなくてはならなくなりました。現在の仕事に就くまで、新しい仕事にもつきましたが、職務への不安や接客の厳しさも随分経験しました。そういう試練の後に与えられた、長い間祈り求めていたことなので、今は毎日を喜びの中で過ごしています。仕事中の一つ一つの情景が本当に楽しく、良かったと実感でき、自然に神様に感謝したくなります。

 愚かな私は、よく目先の事を心配して途方にくれたりしますが、神様は私のこと全てをよく御存知でちゃんとその道を整えて下さる方だと私は知っています。この揺るぎのない力に、私はこれまでどんなに助けられていることでしょう。自分の思いでは到底答えが出せないようなことも、神様の御計画の中に答えがあると思えば心配はいらないはずです。

 私はふと、それぞれ病気を抱えながら二人だけで遠くに住んでいる両親のことを思い出し、心配でたまりません。自分の中で年々その不安は増していくばかりですが、きっと神様が一番いい方法でその時その時を守り導いて下さるのだと安心して寄り頼み、祈ります。そうすることによって自然と不安が感謝に変わります。

 もし私に信仰が与えられていなかったら、もし神様を知らなかったら、とうの昔にこの心配や不安に押しつぶされてしまっていたかも知れません。

神様は私が願い続けてきた祈りに対して、それよりもずっとすばらしいものを与えて下さいます。私はその祝福を感じつつ、これからますます主に仕えていく生き方ができるように一生懸命祈り求めていきたいと思います。  


■自己紹介                        
                                
A.H
 
横浜中央教会の会員として認めていただきましたことを心から主に感謝いたします。私は生まれも育ちも千葉なのですが、これまでの生い立ちや教会との結びつき、また現在について簡単に紹介したいと思います。 

 
父が単立教会のクリスチャンだったため、幼いときから『母と子の聖書物語』を寝る前に読み聞かせてもらったりして、神様の存在を教えてもらいながら育ちました。教会に通い始めたのは、1980年の小学校4年生の時です。父の単立教会には日曜学校がなかったため、父に連れられて稲毛海岸教会(当時は稲毛伝道所)に行ったのがきっかけでした。当時は子供が多く、教会学校には毎週100名近くの子供たちが来ていて、とても賑やかで楽しかったのを覚えています。

 
 中学へ進学すると部活動が忙しくなり、また反抗期ということもあって教会に行くのは月に1回程度という時もありました。日曜学校から通常の大人の礼拝に出席するようになり、それまで一緒に行っていた友人たちも教会に来なくなったこと、また両親が教会に来ていなかったこともあり、孤独感を感じていたのも事実です。高校に進学してからも教会には行ったり行かなかったりという状態でした。そんな状態に変化が起きたのは、高2の夏に参加した東部中会高校生会主催の夏期修養会の時でした。たくさんの同年代の人たちと出会い、語り合う中で、イエス様を信じる信仰がどういうものなのかを考え、感じるきっかけができたのだと思います。その後、高校生会の修養会には毎回参加し、受洗へと導かれる素地ができたように思います。

 
 大学進学後、様々な誘惑に負けて教会に来なくなった時期もありましたが、それでも神様は手を離さずに、しっかりと握っていてくださいました。どんなに教会から離れてしまっていても、頭の片隅にいつもイエス・キリストがいることに気づかされ、それから受洗準備会に参加するようになりました。そして1994年12月に三川牧師より洗礼を授けていただきました。

 
 受洗後、教会活動・奉仕に積極的に携わるようになり、教会では日曜学校教師、伝道委員会、ホームページ委員会等で奉仕をさせていただき、また東部中会青年会の役員もすることになりました。そこで、とある女性と知り合い、幸いにも結婚に導かれました(たくさんの秘話がありますが、誌面の都合で割愛します)。 

 
趣味はアウトドア・キャンプ、映画・音楽鑑賞、写真、サッカー観戦(時間がなくてどれも趣味といえるものではありませんが)。仕事の都合で出張が多く、平日、自宅に帰るのは週1-2日程度ですが、何とか健康は支えられています。今後は横浜中央教会で神様と教会に仕えていきたいと願っています。どうぞよろしくお願い致します。
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2009年11月07日

月報2009年11月号

 ■愛がなければ
                                         K.K

  娘が1010日に結婚しました。
  その事については、後で少し書かせてください。
結婚式でよく引用される、コリント信徒への手紙1の13章を改めて読んでみました。有名な、愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、の箇所です。

  何度読んでも、キリスト教における愛の崇高さに感動するのですが、今回は、いかに自分が愛というものから遠い存在であるかを認識しました。人生の後半だというのに、私は忍耐強くもなく、情け深くもなくもありません。ねたんだり、自慢したりしています。

 また私はこの13章をはじめて読んだ時、とても驚いた事が有ります。それはたとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていよう
とも、愛がなければ、無にひとしい。信仰の書である聖書に信仰より愛の方が大切、このように書かれている事です。私は聖書というのはすごい書物だとつくづく思いました。ここまで言い切る宗教が他にあるのだろうかとその時、思いました。

 13章は信仰と希望と愛、この三つはいつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。と続きます。イエス様が十字架上で私達に示した究極の愛。その事を考えると最も大いなるものは、愛である。という事が素直に胸の中に入ってきます。

 娘の結婚について私には息子と娘がいます。息子はすでに結婚して1歳の子の父親となっています。私は小さい頃からおとなし過ぎる娘を心配していました。この子は大きくなつて社会の中でやっていけるのだろうかと。そんな娘でしたが心の温かい人とめぐり会い結婚しました。

 結婚式の2、3日前から私には考えていた事がありました。それは、式の当日の朝、祈りの時を夫と娘と私の3人で持つということです。我が家では私の力不足もあり家族で祈るという事があまりできません。でもその朝はどうしても祈りたかったのです。27年間、娘と共に過ごせた幸せな時間への感謝とこれからも娘たちの進む道を守って欲しい、というような事を祈りました。夫もいつになく感傷的になっていました。


 白を基調とした披露宴会場には、私と娘でお客様を迎えるために選んだ花がテーブルの上に飾られていました。ふたりで選んだ赤いダリアの花、白いテーブルクロスに映えてとても素敵でした。その日から私にとって、赤いダリアの花は大切な思い出の花となりました。


 ■盛岡伝道所の献堂式に行ってきました
                                         T.K

 主人より一足先に出かけた私は113日の朝、次男の運転する車に乗り、東北道沿いの風景を楽しみながら、東仙台から一路盛岡へ。もっとも、高速道路や新幹線は風景を楽しむようにはできていませんが、それでも金色に輝く銀杏や真っ赤に燃えた紅葉から、徐々に霜枯れ色に移り行く様を追いながら北進。山あいの場所では雨が降り出し、それが北上するにつれ、小雪に変わっていきます。

  頂にうっすらと雪を被った岩手山が美しい青空に囲まれてだんだん近づくと盛岡到着。仙台を出て約2時間半。早い昼食をと思いジャスコ盛岡店へ。大きくて新しい建物でしたから、開店間もないのでしょう。広い駐車場は休日のためか満車のよう。

  そこで一息入れてから4車線の道を走ること約45分。左側歩道の屋根のついたバス停前に、十字架のついた盛岡教会の真新しい看板がしっかり見えました。プログラムと一緒に配布されたその日の盛岡新聞には、施工工務店が広告を掲載していて、そこに教会が写っているではありませんか。地元の新しい名所のひとつになることでしょう。

  スロープの奥にある入り口を入ると、右側が大きなガラス窓になった明るく広い玄関。スリッパに履き替えて左側に向かうと正面に受付台を備えたホール。受付台の向こう側の集会室(二つに分けられる)では伝道所の方々が準備作業中。受付台に向かって左側が礼拝室。集会室からも入れるのですが、出入り口にはこれまた大きなガラス戸が。 

  礼拝室の正面、講壇の後は三角コーナーとなっていて奥行きを感じさせます。礼拝室の左側の窓から差し込む太陽の光と床暖房と集まった人々の熱気で、外の寒さを吹っ飛ばしました。出席者は、東北各地の教会からはもちろんのこと新しい近所の方々も来られ、約80人ぐらいでした。修養会でお会いする方々、東部出身の方々にもお会いできました。

  午後1時半、久保田証一先生が司会、立石牧師のショートメッセージで感謝の礼拝。天井の高い会堂一杯に響き渡る大きな讃美でした。続いて関根伊作委員が司会で感謝会。まず支援会委員長で東北中会議長の吉田先生。「事業が始まって3年、土地探しに2年。忍耐を学ばされました」と短く経過報告。ここにいたるまでのご苦労をフット覚えました。東部中会議長の今井先生は、地方伝道に遣わされていたお父様と一緒に過ごした子供時代のお話から励ましを。東関東中会副議長の三川先生も前任地福岡でのご苦労を、「人が集まっては去り、集まっては去り」と話されました。盛岡伝道所は今夏も一家族が千葉へ転居されたそうで、現在の家族数は牧師家族を含めて3家族。他にご婦人が数人。盛岡伝道は30数年前に開始された家庭集会が始まりで、当時の東部中会(現在の3中会)設立25周年記念開拓伝道として引き継がれてきたのです。そのときのご家族の方々も紹介されましたが、3家族だったようです。

  感謝会の後写真撮影。「ここで撮影するのは今日が初めてで…ちょっとお待ちください」。そうですよね、11月1日に初めて礼拝したのですもの。全員が写るようあれこれ工夫しながらのシャッターでした。そして内覧会と茶話会。2階の牧師館はまだ空っぽなのでそこも拝見。雨や雪が降っても洗濯物が干せるサンルーム。3人の元気な息子さんたちの楽しいロフト式ベッドのお部屋。明るいシステムキッチン、作り付けの食器棚。以前の会堂と牧師館は狭くて暗かったでしょうから本当に良かったと思いました。

 「急に寒くなったので、血圧が上がるといけないので、家内は休ませたよ。」「うん、今日はそういう人が多いんじゃないか」との会話が耳に。ご高齢の方が多いのですね。この日の盛岡の気温は夕刻4度でした。あちらからは楽しそうにおしゃべりや笑っている若い声が。元気な子供たちがいるのは確かで牧師の子どもさん3人以外にも若い顔が見えました。「盛岡は人口30万。大都会ですよ。ここにこんな立派な教会堂が出来て本当に嬉しい」「あの川(雫石川)で子供の頃遊んだんですよ」と力を込めて話してくださった方。「今度は教会設立式で会おう」との会話も聞こえました。もうみなさん、先の幻を見ているのですね。

 「一見は百聞にしかず」。私にとって盛岡は遠い場所、遠い存在でしたが行って見たことにより、身近な存在に変わりました。東北中会、東関東中会、東部中会の大勢の兄弟姉妹の篤い祈りと捧げものと、支援会のご労苦で完成した新会堂。神様はすばらしいみ業を私たちに見せてくださいました。次はどんなことを見せてくださるのでしょうか。楽しみです。この新会堂が大いに用いられ、盛岡教会が成長し、北東北の伝道がますます進展しますようにと心から祈りつつ、仙台に一泊した後に帰ってくると、チィーちゃんがニャンニャン言って迎えてくれました。
posted by 横浜中央教会 at 18:20| ◇月報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月17日

2009年10月 月報

 ■小児洗礼は子供への権利侵害か                                                                 C.K

  過日、日本宣教150周年に関してのキリスト教新聞(0981号)の記事を紹介され読みました。他の記事をついでに見ると「Q&A 教会質問箱」と言う小欄が在り、下記の様な質問がなされていました。質問者は三十歳代の女性で、次の様に尋ねます。

 問:「親が小児(幼児)洗礼を授けることは、子どもの権利を侵害することになりますか。」  この問にカトリックの司祭が次の様に答えていました。

  「近年、幼児に洗礼を授けることを望む親が少なくなっているようです。教会では子どもの洗礼を強く望むのですが、親はそうでも無いようです。親が望まない場合、教会は幼児に洗礼は授けません。なぜなら、親と教会の信仰の中で子どもは育っていくからです。」と記され、「 … 結局は親の価値観の反映です。」とこの段落を区切り、続いて「『子どもの権利」として議論する方がおられます。

  この問題は「権利義務」の問題ではなく、「愛」の問題だと思います。』と結び、ある神学生の回想を紹介しています。神学生は次の様に述べています。 「わたしはキリストと出会うまで悩み抜きました。何のために生きているのか。何を基準に、何を大切に生きていったらいいのか。聖書をむさぼるように読みました。子どもの時代、これからの時代を生きる子どもたちにぜひ洗礼を望んでいただきたい」と。更にこの司祭は、私見で申し訳ありませんが、わたしは、幼児洗礼を授けることは子どもの権利を侵害することではなく、むしろ授けないことこそ、子どもの権利を侵害するのではないか、とさえ思うのです。」と結んでいました。

  この記事を読んで、カトリックではこの問題は、想像より緩やかだなと思うと同時に生後8ヶ月で洗礼を授けられた自分はどの様に理解して居るのか考えました。改革派教会は、どの様に考えて居るか。「礼拝指針」の第六章洗礼式第一節幼児洗礼の項を見ると次の様に記されていました。

  37条(親の義務) 洗礼において子を神にささげ、それによって親と子に対する神の契約の約束を求めることは、親の義務または特権である。それゆえ、洗礼は、不必要に延引されてはならない。

  41 (洗礼の教え)
  … 洗礼はキリストが制定されたこと、 信仰による義の保証であること、 旧約の下においてアブラハムの子孫が割礼の権利を有したと同様に、福音のもとにおいて信者の子孫は洗礼の権利を有すること、キリストが「すべての国民に洗礼を施す」よう命じられたこと、キリストが「天国はこのような者の国である」と言われて、幼児を祝福されたこと、 福音の約束は、信者とその家族に与えられていること、使徒たちも家族の洗礼を施したこと、 われわれは、生まれながらに罪ととがと汚れのある者で、キリストの血とみたまによるきよめが必要であること。

  第42条(すすめ)には、次の様に記されています。
 『教師は誓約者に次のような義務をはたすよう、すすめなければならない。すなわち、子が神の言葉を読むように教えること、 旧新約聖書にあるキリスト教教理を教えること(両親は、この重大な義務を遂行するにあたって、教会が信仰基準として採択したウェストミンスター信仰告白と大小教理問答書を用いるべきである。その他、ハイデルベルク信仰問答書およびジュネーブ教会信仰問答書も有益である。)

 子とともに、子のために祈るべきこと、子の前に信仰と生活の模範を示すこと、神の定められた恵みの全手段を用い、主の薫陶と訓戒とによって、子を育てるように努めること。』とあります。

 私は、父が療養生活をして居たため家庭での信仰教育を充分に受けた記憶はありません。ただ、断続的に家庭礼拝らしきことが行われていたのは覚えています。しかし、三人の子を主の前に差しだし幼児洗礼を授けてくれた両親に感謝する今日この頃です。


  Summer Daysに参加して
                                                                                       K.I

  今年の夏休みに高校生キャンプのSummer Daysに初めて参加させてもらいました。お誘いがきたときには、みんな知らない人で34日はちょっと勇気ないなぁと思っていました。でも、友達がたくさんできることを期待して、学校の友達を誘って行くことに決めました。 
決めてからはとっても楽しみで、今となっては今年一番のイベントでした。

  バスが雀のお宿に到着して、食堂で受付をしている間、みんな懐かしい友達とおしゃべりをしていて、私達はまだあまり馴染めていませんでした。でもそこに、私達と同じ学年の子が来てくれて、一緒に座ろうと言ってくれました。その時はとてもうれしかったです。
 
  部屋割の発表のとき、一緒に来た友達と部屋が違ったので最初はとても不安でした。でも自己紹介などをしてからはすぐに友達になれて、ゲームのときなども、すぐに仲良くなれるようになりました。それからは不安も消えて楽しい時間ばかりでした。

  最初に受付をした時の食堂の印象と、慣れてからの食事をしている時の食堂の印象がかなり変わったことに自分でもびっくりしました。

  キャンプ最後の夜はみんな仲良くなった友達と、残り少くなった時間を夜遅くまで一緒に過ごしました。証し会の最後にみんなで讃美をした時は、来年の夏まで会えないことがすごく悲しくて泣いている人もたくさんいました。

  たくさんの友達ができて、もう来年の夏が待ち遠しいです。全国の教会に仲間ができたことで、教会がより身近に感じ、もっと好きになりました。このキャンプを勧めてくださった立石先生を始めいろんな方に感謝しています。
 
posted by 横浜中央教会 at 19:35| ◇月報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月27日

2009年9月 月報

「耐え忍ぶ者は丈夫(じょうふ)に勝り」        C.K
 西村徳次郎著、吉岡繁編「昭和キリスト教受難回想記」を読みました。
この著書は、東北中会引退教師吉岡繁先生が御実父から西村さんの表した表題の
本の出版を30年前に託され、今年 8月15日敗戦記念日に出版された物です。
この本の出版経緯は、本の「はじめに(本書刊行の経緯について)」に詳しく
記されて居ますのでそちらをお読み下さい。一言本文より引用しますと、
『信仰と伝道の自由という恵まれた環境の中で、まことに残念なことでありますが、
多くの教会が伝道の不振と閉塞感を感じています。この暗雲を吹き払う天からの
霊の風は直近の歴史の未だ語られる事がなかった真実を知ることによって吹いて
きます。この書が読む人の心に霊の風を起こす一助ともなることを神に祈って
います。』と記されています。
目次は次のとおりです。
一、トラピスト修道院           十、カトリックの苦悶   
二、日本天主公教教団の公認        十一、聖教会、きよめ教会の迫害    
三、日本キリスト教団の公認      十二、セブンスデー・アドベンティスト教会の迫害
四、救世軍の迫害                十三、ブスケ神父の獄死
五、岩佐女史の生涯六、弾圧の恐怖       十四、ニコライ堂の紛争
六、弾圧の恐怖                     十五、魂の救い
七、外(国)人教師の追放             十六、飢える修(道)女  
八、教会接収の嵐                    十七、戸田教区長の暗殺
九、牧師の錬成                     十八、戦後の教勢
  以上に付録として「日本キリスト教受難年表」が足利時代(ザビエル)から
1945年敗戦の年迄が簡潔に記されています。











  
西村氏の「あとがき」に『全国各地の教会、修道院等を視察する機会を得、
信者たちの美しい犠牲的奉仕の生涯を目のあたりに見ると同時に、軍国主義に
迎合しなければならなかった教会の動向、弾圧、迫害等の実情を知ることができた。』
とある様に迫害下の キリスト者の歩みを第三者の立場から記されて居る資料です。
 
「あとがき」にもありますが、『戦時下の日本キリスト教徒が官憲の迫害に耐え、
いかに十字架の愛と信仰を貫いて生き通したかを記録しておきたい…』と記されて
います。

 
さっと一日で読める分量です。一時間位で読めたと言う人もいます。敗戦後直ぐに
書かれた為に今では辞書に当たらなければ読めない漢字が多く在りますが、それを
読み飛ばして読んでも西村氏が何を残し伝え様として居るのかが判る文章です。
当時のキリスト教会の状況を第三者の目を通しハッキリと知ることの出来る資料の
一つだと言う編者の言葉に納得しました。
「義のため 迫害されてきたひとたちは さいわいである天国は彼等のものである。」
                                             (マタイ福音書五章十節)



多くの人が読み、戦時下のキリスト者の生き方(証)から学び、今生きるわたくし達の
キリストに在る証はどの様なものかを汲み取る事が出来ます。ぜひ、横浜中央教会の
会員は一読する事をお勧めいたします。漢字の意味は後から調べても充分著者の言おうと
して居る事は判りますから、ぜひ読んで下さい。    以上















































 




 
 

「2009年度東部中会信徒修養会」に参加して       T.K
 史上初のシルバーウィークとやらの中、922日(火)、これまた初めての川口総合文化
センター・リリアのメインホールへ行ってきました。京浜東北鈍行で10時の開会に間に
合うように出かけるには8時頃の出発でした。今年の当番教会、東京恩寵教会のみなさま
がよく準備をして、参加者を迎えてくださいました。

 開会礼拝は、恩寵教会の三野先生。
申命記4章1節から14節。「神の御業を次の世代に語り継ぐ」と題してメッセージして
くださいました。モーセが、イスラエル人らに契約を結び十戒を与えられた神への信仰を
継承し、信仰共同体の恵みの中に生きるよう勧めたように、私たちもキリストの恵みの中
に生かされ、創立者のスピリットを思い、改革派信仰を後世に伝え、御言葉に根ざした
教会建設と伝道に励むことの大切さを教えられました。

 講演は「希望を新たにー世代をつなぐ信仰の力」のテーマで、江古田教会牧師、若手
(若い方から5番目「まじわり」087月号)の風間義信先生。修養会委員長の長石先生
ではありませんが、「広く大きいテーマをよく絞り、ピタッと予定どおり75分にまとめて」
くださいました。さすが、「あさのことば」できたえられていらっしゃいます。
 

 先生は7つの資料を添付して講演してくださいました。まずは「今回のテーマについて」
は、信徒大会ニュース1号の巻頭言と中会創立55周年宣言の二を参照に、
「当たり前のことの積み重ねが重要である」ということが、講演全体の基底に流れていたと
思います。そこから、
 

 1、中会について考える。―それには教師が重要。教師を監督する中会が大切。
群れのための祈りが捧げられ、養われ、祈りつつ語られる御言葉、それには教師が必要であると。
 
 2、プロテスタント宣教150周年を迎えて。@宣教50周年時では「植村正久とその時代」
収録の「牧会事業」。A宣教100周年時では岡田稔先生の著作集収録の「宣教百年とわが
教会の使命より」が資料で、そこに東部中会創立の原点がある。B「世代をつなぐ信仰の
力」を支える聖書―2016年東部中会創立70周年、2017年宗教改革500年と続く。
 

 3、創立65周年をめざして。「戦後キリスト教世代」を受け継ぎ、特に30代、40代の世代へ
の継承の重要性を語られました。中会準備中会(1946426)に於いて、「長老主義教会政治
立場ニ立ツモノトシテ重要ナル任務タル治会長老ノ任ニアルモノノ再教育要望」がたった一人の
長老から提出されたことを伺い、その意気込みと長老職の重要性を改めて教えられました。
 

 私たちはこつこつと地道に教会生活を守ること、また種々の集会特に青年会、中高生会、
いえ小学生の頃から、子どもたちを熱心に各教会が送り出すこと、また家庭、教会で信仰生活の
喜びを次世代に伝えていくことが大切とも。「喜んで信仰生活を送っているだろうか」と
自分自身を吟味する良い機会でした。
 

 参加者は358人(二千人用。我教会からは6人)、献金は256,419円。午後はミニコンサート。
子どもたちの詩編歌発表とバッハコレギウムジャパンに関わられる鈴木優人兄(かわいいオルガンで
演奏)と小田川ゆう子姉(すばらしいお声)のご奉仕で、詩編歌の「聴く賛美」と会衆賛美を楽しみ
ました。お二人の演奏はさすが!これは東京恩寵教会でしかできないプログラムでしょう。
いつか我教会でも‥。


 










「マルタ・シチリアの旅」                  C.K
  三年程前になりますが、NHK学園の古代オリエント講座海外研修で、マルタ島、シチリア島を
尋ねました。もう三年前の事で記憶も薄れがちですが 、当時の資料や写真等を見ながら書いて
みようと思います。マルタ島は南ヨーロッパの地中海に浮かぶ島国でイタリア半島南に位置して
います。
  首都はパレッタでここを有名にしたのは、一時、オスマントルコ帝国からの支配に抵抗して
戦ったマルタ騎士団です。彼等は十字軍時代、パレスチナを追われ、本拠地をマルタに移し、
現在も細々ながら活動を続けています。
聖ヨハネ大聖堂の床下には騎士団が眠っており、建築は豪壮で、当時の充実した多数の
美術作品が展示されています。特にイタリアバロックの代表、カラバッジョの「聖ヨハネの
斬首」には圧倒されました。余談になりますが、あの可愛らしい小型犬マルチーズの発祥の
地でその名もマルタに由来しているそうです。ゴゾ島はマルタ島の北西にある小さな島で
マルタ共和国です。
ここには、エジプトのピラミッド、イギリスのストンヘンディより古い巨石神殿が
多数あります。中でもガンディア神殿は、世界最古とされており、巨人の女性によって
造られたと言う伝説があります。おそらく、ここで生贄や、豊穣の祭礼が行われた事で
しょう。豊穣神即ち、女神崇拝の宗教観があったと思われます。とにかく巨大な石で
つくられていて、高さ6m、重さ数トンに及びます。内部は祭壇、広間に区切られています。
 
シチリア島はイタリア半島のくつ型の先に今にもけられそうな所にあります。地中海
最大の島でイタリア共和国です。主要都市はパレルモでオリーブとワインが主産物です。
ここは地理的にも地中海の中心でギリシャの植民地時代より戦場でありました。あの
「アルキメデスの原理」を 発見したギリシャの数学者、アルキメデスは、シチリア島
シラクサ出身です。又、余談になりますが「ゴッドファーザー」の映画にも登場する
マフィアの島でもありました。
 マルタ島は使徒パウロが、ローマへの旅の途中、暴風に襲われ、難破したが全員無事
上陸し、三日間、歓待された所でそこを船出してシチリア島の東南部にあるシラクサに
寄港した事が、使徒言行録28章に具体的記されています。実際にその場(シラクサ)に
来て見たら、穏やかな、鮮やかな 青い海、海岸線の美しい事、港の面影は何もありま
せんでした。来る途中に、一行が幽閉されたと伝えられる洞窟のようなものがありました。
この旅は地理音痴の私にとって、歴史を学びながら、パウロが実際に立寄った所に行く
機会があり、聖書を読む時、イメージが豊かに広がる思いがします。連日、あわただし
かったのですが実り多く、楽しい旅でした。
posted by 横浜中央教会 at 17:33| ◇月報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月25日

月報 2009年7月号

映画 [マリア] に感激
                                   .

 みなさんは映画[マリア]をごらんになりましたか?ヘロデ大王の圧政に苦しむナザレで、家族とともにつつましい暮らしをしていたマリア。ある日、両親からヨセフとの婚約話を聞かされ、心を落ち着けるために逃げ込んだ林で、天使ガブリエルから「あなたは神の子を身ごもります」と告げられる。

 マリアの驚き、身ごもったマリアに対するヨセフの苦悩、そして住民登録のためのベツレヘムまでの厳しい道のり。あらゆる困難を試練を、乗り越えて互いに信じあい、支え合っていくマリアとヨセフの様子がとても感動的です。

 神学、歴史、政治などあらゆる専門家の協力を得て、忠実に描かれているので、当時の様子がよくわかりとても興味深かったです。
 バチカンのワールドプレミアでは、イエス様の誕生シーンに何千人もの観客が喜びの声をあげたそうです。この映画は[マタイ福音書][ルカ福音書]を忠実に再現しています。クリスマスでなくてもぜひ一度家族でご覧になると良いと思います。DVDが教会にあります。
  
  


■大会修養会
                                    
                                          C.K
6月15日から18日迄、静岡県浜名湖の湖畔で、臨時大会と例年行われている大会役員修養会が
開催されました。臨時大会の報告は6月21日に立石先生がB5判に書いて下さったとおりです。
役員修養会の報告をこれから致します。先ず、話された事は、次の五つの事柄です。

 








一つ目「礼拝指針の改正の目的」 憲法第三分科会


 現代社会に在って生きる私達キリスト者の大切な働きは、教会活動です。教会活動の中でもその
中心は、「礼拝」です。今回の礼拝指針の改定は、この礼拝を「公的礼拝」とその他の礼拝(個人、
家庭、結婚式、葬式を含む)の関係を有機的にし、指針の第二部は、教会員の具体的活動(伝道、
教育、執事的働き)をどの様に活性化させるかを主眼として改定作業を進めています。
 




二つ目 「海外伝道について」 海外教会関係委員会
 
1949年に「外国ミッションとの共同に関する原則」が採択されて、入船宣教師(インドネシア
197282年)、大塚宣教師(インドネシア197789年)、伊東宣教師(フィリッピン)が遣わされて
いましたが、今は一人も居ません。此のためにも私達は祈り願わなければなりません。
三つ目 「国内伝道を総括する提案について」 国内伝道委員会
 
北海道と九州に在る大会立の伝道所は、全て中会所属伝道所に所属替えに成ったと言う報告でした。
四つ目 「『信徒の手引き』現況報告」  教育委員会
 
四十年前に出されて久しくそのままであり、多くの教会員も此れの存在を知らないのでは無いかと
思う、信仰生活の手引書が新たに見直しを加えて発行されます。 改革派教会信徒は、聖餐式の招きの
言葉に「聖霊の恵みに謙虚に信頼し、キリストの僕として相応しく生きる事を決心し約束している者は
……」とある様に常に目を十字架に向けて居ます。この様に「キリストの僕として相応しく」在る為に
は、現在の多様化し複雑化した社会の中に在ってどの様な方法でキリスト者共同体を作り上げて行くの
が良いかを示す物に成るようです。 

 

委員会が発表した目次を掲げて置きます。(1)キリストの僕として相応しく在るために。
(2)『創立宣言』に始まる。(3)改訂版の考え方。@恵みの契約に基礎を置く、
 A神の国と言う終末的な事態に向けて開かれた善き生活論をしめしたい、B信仰の生活を喜びの
 生活として捉える。C「終末の希望についての信仰宣言」から、神の民として捉える。
(5)善き生活の道筋を具体的かつ簡潔にしめす。
五つ目 「伝道所の法的課題」   省略
  

 
■イタリア旅行
                                   T.I

 今年のゴールデンウェークはイタリアへ行ってきました。短い期間でしたが、応援しているサッカーチームの試合を見るべく、また、大好きな選手の引退間近であり、生で観戦できる最後のチャンスと意気込んで現地へ飛び立ちました。

 まずミラノに到着し、一日観光をした後、国内線でシチリアのカターニャへ飛び、そこで三泊しました。せっかくなのでこんなこともなければ絶対にこないシチリアのタオルミーナという世界でも有数の(とガイドブックに載っていた)リゾート地へも足を伸ばしてみました。三泊目の朝再びミラノへ戻り、また観光をしてから夕方日本への帰路につきました。

 イタリアでは、どこの町へ行っても町の中心に大聖堂が建っており、日本のコンビニや歯医者ぐらい町中いたるところに教会があります。ミラノの大聖堂は500年以上かけて建てられたとても大きなもので、キリスト教の長い歴史を感じずにはいられません。常にどこかの修復作業を行っており、ただの歴史的建造物ではなく今もなお現役で使用されている教会であることにも深い感慨を覚えます。その内部にも外壁にも多くの聖人の彫刻が置かれており、その多くは迫害に遭い、殉教を遂げた、その拷問が彫られたものです。何度見ても恐怖を感じますが、それ以上に、それでもキリスト教が語り伝えられてきたことに神様の御手を感じます。

 改革派教会は今年で六十五周年という節目の年を迎えます。以前立石先生が七十年間正しい状態で保たれた教会は日本にないとおっしゃっていました。日本においてキリスト教が正しく伝えられ、信仰が守られていくことを祈るとともに、私自身もキリスト教を伝えていくことができるよう祈っていきたいと思うのであります。 

 当初の目的であったサッカーの試合ですが、応援していたチームは見事勝利を収めました。が、現地で入手しようと思っていたチケットは私たちが到着する五日も前に完売しており、スタジアムにて観戦することはできませんでした。しかしタオルミーナはガイドブックに載っていたとおりとてもすばらしい海辺の町で、大いに満足しました。大きな悔いの残る旅行となってしまいましたが、それ以上に得るものも大きかった旅行となりました。
posted by 横浜中央教会 at 17:32| ◇月報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月14日

月報 2009年6月号 

■教理説教が始まるにあたり
                              I.N
 
 先日、524の全員懇談会で夕拝を特別伝道集会にする方法について話
し合われましたが、とても有意義な懇談会だったと思います。N.K兄が
発題され、それを受けて多くの方が自発的に意見を出してくださり、教会
員の皆さんの考えを確認することができました。懇談会の司会者として
色々と気づかされることもあり感謝です。

 懇談会の結果を参考に小会で討議され、今回は夕拝を特伝にするという
試みは見送られることになりました。夕拝は今のスタイルで続けることにな
りましたが、朝礼拝の説教が『ハイデルベルグ信仰問答』をテキストにした教
理説教になります。 

  『ハイデルベルグ信仰問答』は、難解な言葉が一切無く、キリスト教に触れ
た事の無い求道者の方でも、受け入れやすいテキストではないかと思いま
す。「キリスト教が初めて」という方も誘いやすいのではないでしょうか。口
べたな私も、キリスト教について未信者の方に話す時に、信仰問答書の整っ
た文章に大いに助けられた経験があります。
 
 聖書を読んで、その語られることを正しく理解し、伝えて行くということ
は、キリスト者として一生かかって続けていくことですから、未信者の方を礼
拝に招くという事と共に、福音のすばらしさを伝えることができるように、
教理説教を通して教えていただきたいと思います。これからの立石先生の
説教準備の上に聖霊の力付けがありますように。また、私たちもふさわしい
準備を持って、主日を迎えられますように。
 
 

子どもたちと共に
                             M.Y

  「おはようございます。」と可愛い子ども達の声が聞こえてきます。週の始ま
りの清々しくなんとも心地よい子ども達との挨拶。私にとても穏やかな時間を
与えてくれる。

  教会学校のお手伝い初日、とても緊張して私の鼓動が何時もより早く脈打ってい
るのを感じた。新学期ということもあり、新一年生や新中学一年生が多く訪れたの
で、お名前を聞いたり皆に新しい出席カードやフャイルを渡したりで私の頭の中は
パニック!!側にC長老が居てくださったので助けられ平静を装う事ができまし
た。

 初めて教会に訪れた新一年生の多くは、K長老の勤められている学校の生徒
さんですので、K長老の姿を見たとたんに笑顔がこぼれ、安心した様子です。先
日、K長老に一年生の子ども達が「抱っこ〜」とおねだりしたそうで、なんとも微
笑ましい限りです。

 私は皆の名前を早めに覚えようと思い、教会の入り口で子ども達に「お名前を教
えて下さい」と質問すると、一人一人がにこやかに答えてくれました。
そして、礼拝の時間が始まると幼児から高校生、一緒に来てくださっている保護
者の方々と、神様の話を聴き、大きな声で讃美歌を唄い、はつらつと元気な声で主
の祈りを祈ります。

 小さな手を合わせ、小さな瞳をギュッと閉じて祈っている子ども達の姿や興味深
く神様の話を聴いている顔は、とても可愛らしく私の顔は緩みっぱなし。毎週、元気
に教会へ訪れる子ども達、時には学校行事や友人関係など様々な出来事もあり、疲
れている時もあるでしょうが、元気な姿を見せてくれるので安心します。教会学校
の子ども達が、神様からの御言葉をきき、何時の日か信仰する心を与えて下さるこ
とを祈っています。

 私はというと、皆にお名前を教わったものの直ぐには覚えられなく悪戦苦闘中。
まだまだ先生方のお手伝いとして成立しているかどうか不安ですし、何をどの様に
したら好いのかも手探り状態ですが、先生方について学びながら自分のできる事を
最大限にいかしていきたいと考えています。
私に子ども達と共に学ぶ機会を与えて下さり、スタッフとして受け入れて下さった皆
さんに感謝します。
 

 
■月報は静かな隣人
                                 K.K

  皆さんは月報をどのように読んでいますか。
 私は、顔のわかる人達が書いているので、親しみを感じて読んでいます。
 それに月報には、普段あまり話をしない人達の原稿も載り、感謝しています。

 横浜中央教会ぐらいの規模の教会でも話をする相手が限られている、というの
が現状かもしれません。好奇心いっぱいの知りたがり屋ではいけないのですが、で
も私に限って言えば、同じ教会の兄弟姉妹として少しは親しくなりたい、と言う気持
ちもあります。 
 

 そんな時、役に立つのが月報です。程よい距離で親しさを感じるのに役立ってい
ます。月報に載った人の考えている事や、その人の生活の一部などを読む事によ
り、知ることが出来ます。私の一方的な思いかもしれませんが、普段、ゆっくりと話
し合う事が出来ない方から、話しかけられている気がします。
 私たちがお互いに適度に知り合うのに、月報はとてもふさわしい存在だと思いま
す。

 内容もいろいろな角度から書かれていて、いいと思います。私達が共通の問題
として考えなければならない事や、誰かのために私達が祈りの時を持つために、
必要な情報も載っています。

 今の時代は軽い人間関係が好まれているようです。でもそれも行過ぎると
他人に無関心な人間関係になってしまいます。愛のない社会になってしまいます。
 [隣人を自分のように愛する]、私には、簡単なことではありません。でも目指して
ゆく目標でもあります。

  皆さん、月報にいろいろ書いて下さい。そして読んで下さい。
 愛は相手を知ることから始まるとか。こんな事、などと思わずに書いて下さい。
 ささやかな話と思われるものの中に、大事なことが隠れていたりします。 
 夕暮れ時のアジサイの花の美しさに感動したとか、短くてもいいと思うのです。
 さて、来月はどんな話が聞けるのでしょうか。バトンタッチです。
posted by 横浜中央教会 at 05:45| ◇月報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月12日

月報 2009年4月号

■新学期に際して
                                       
                                     
K.T

 先週の水曜日、私の小学校で入学式が行われました。暖かな日差しの中、桜の花びらが
舞い、すがすがしい朝でした。(昨年の入学式は季節外れの台風で当日急きょ延期となり、
新1年生の保護者への電話連絡に奔走することとなってしまいした。)神様に感謝いたしました。

 この4月、自分は1年生の担任になりました。昨年一昨年と1・2年生を担任してきましたので、
感覚は低学年モードのままでいけるのでとても楽です。6年担任後の1年生の担任は、あまり
にも子供の発達にギャップがありすぎて、慣れるまでに時間がかかります。自分を1年生仕様に
作り変えるのです。お分かりだと思いますが、1年生と6年生とは「子どもと大人」ほどの差が
ありますので。

 また、小学校長が変わりました。3月までいらした校長は退職し、外部からお招きした
校長先生です。
情熱と明確な目的意識とがあり、「神様の学校の子どもたち」ということをしっかりと
お持ちになっておられる方だと思っています。

 昔、ある有名なキリスト教主義の学校の校長が講演会でこんな話をされました。
「ミッションスクールの役割は、キリスト教を文化として、日々生活の中に取り入れて、・・・」の
ようなことを言い、はてな?と疑問に感じました。「キリスト教を文化とする」は違和感の
ある言葉でした。
「文化」とは、岩波の国語辞典で引くと、「人類の理想を実現していく、精神の活動」と
あります。キリスト教を学ぶことがその精神の活動そのものと考えるなら、最終目的の
「人類の理想」とは一体何を指すのか?人間の本当の目的は何なのか?その話は何も
ありませんでしたし、人間が主体のキリストを通じての精神の活動とはどんなことなのか。
質問しましたが明確な答えはありませんでした。その方は、ただ単に「毎日聖書を読み、
讃美歌を歌っていればある種の文化となってそこに定着するということが大切」と
言いいたかったのではないかなと思えてきます。

 小学校の教育目標の1番目に「神を畏れる子供」というのがあります。大切です。
小学生の中でも特に1・2年生の年代は本当に純粋で、無限の可能性を秘めています。教師を信頼し、
言葉を必死に聞き、それを信じ、守ろうと努力します。教師の言った事を一生懸命にやろうと
がんばります。イエス様は寄ってくる子どもに対して「天国はこの様な者たちのものである。」と
おっしゃいました。そういう子どもたちを相手にする教師の役割は決まっています。神様の存在、
どんなお方なのか、イエス様はだれなのか、どうしてイエス様は来られたのか、自分はどんな
存在なのか、などなどたっぷりと話し、それが幼い心の中にしみ渡り、御言葉の種はやがては
芽を出して大きな木となってほしいと願ってやみません。また、通信などを通して保護者の方
にも聖書の言葉にふれていただき、キリスト教について知っていただきたいと思っています。

 自分にその仕事が与えられて用いられていることを本当に喜び、神様に感謝している今日
この頃です。それに中央教会の教会学校の子どもたちも増えそうです。
食い入るように見つめる子どもの目線は、希望と期待に満ち溢れています。


■自由聖餐について
                                          I.K

 最近のプロテスタント教界、とりわけ日本キリスト教団を中心に大きな問題となっていることに、
いわゆる「自由聖餐(フリー聖餐)」を行う教会の増加があります。自由聖餐とは、礼拝に
参加した人全てに聖餐式参加を認めるというものです。その根拠として、「イエスは世を
愛された」、「イエスは罪人と食事を共にされた」「5000人の給食の奇跡の出来事」などが
上げられるようです。この考えの根底にあるのは、一人も拒まず、排除しないことがイエスの
語った「福音」だという姿勢です。ですから礼拝に招かれた人は洗礼を受けているか否かの
区別無く皆、聖餐式にも招かれているというわけです。ほんとうにそうでしょうか?

 伝統的なプロテスタント教会は、聖餐(主の晩餐)は洗礼(バプテスマ)と共に、教会が
執り行う2つの「聖礼典(サクラメント)」(人間が神の救いにあずかるために神が定め
与えて下さった目に見えるしるし)であるとし、教会に集った人たちが共に食卓を囲む、
いわゆる愛餐とははっきり区別をしています。また聖餐の執行は主イエスが弟子たちとの
最後の晩餐において、「これはわたしの体である」「これは、罪が赦されるように、多くの
人のために流されるわたしの血、契約の血である」(マタイ262628)と言ってパンと杯を
分け与えられたことに由来しています。今日伝えられている聖餐式は、主イエスによる
特別な意味付けがなされた主の晩餐にその由来があるわけです。私は聖餐式にあずかると
いうことは、パンと杯に象徴されるキリストの体と血による贖いを信仰の目を持って目の
当たりにすることにより、それを自分のこととして噛み締めることにこそ意味があると
思います。

 ですので、仮にその日にたまたま出席された新来者の方が聖餐式に参加されても、その意味を
理解すること、受け入れることは極めて困難なことは明らかです。かえってパウロが記すとおり、
新来者の方が「ふさわしくないままで・・・わきまえずに飲み食いする・・・。」(Tコリント112729
ことを促してしまう事にもなると思います。そして、この自由聖餐が行き着くところは、洗礼の
無意味化(陪餐、未陪餐の区別が無い)、洗礼を受け、信仰を与えられたものが集い神を
礼拝するという礼拝共同体としての教会の無意味化に繋がるのではないかとも危惧します。
皆さんはどう思われますか?

 Lent
にあたり、主の十字架を思い、この自由聖餐問題を決して対岸の火事と捉えることなく、
自分自身の聖餐式に対する姿勢を改めて考える機会としたいと思います。聖餐式はいつでも、
どなたでも、ご自由に参加できるものではなく、洗礼を受け、信仰を与えられた者に神が
お示し下さる、見えるしるしであることを、感謝を持って深く覚えたいと思います。


■カルヴァン生誕500年     

         
                                   立石章三

 今年はプロテスタント宣教150周年ということで、いろいろな催しが計画されていますが、
宗教改革者カルヴァンについては生誕500年ですから、もっと関心が集まっても良いと
思います。

 ジャン・カルヴァンは、ドイツの宗教改革者ルター誕生より26年遅れて、1509年7月10日、
フランス北部のノワイヨンで誕生し、1564年5月27日に生涯を終えました。父親は彼を聖職者の
道に進ませたかったのですが、カルヴァンは法律を学び、これが彼の神学に論理性を豊かに
与えました。当時ヨーロッパ宗教改革運動が全土に広まり、カルヴァンにも影響を与えました。
1532年、彼はパリで処女作『セネカ「寛容論」注解』を出版して古典解釈法を確立しました。
1532年パリの異端審問会議への出頭を命じられたカルヴァンはバーゼルへ亡命し、1536年、
ここで『キリスト教綱要』初版本を書きました。次にストラスブルクへ亡命途中、戦争で道が
閉鎖されたためジュネーブへ寄り道し、その町で改革運動を興していた闘士ファレルに
ジュネーブの宗教改革を託されました。書斎の人であったカルヴァンは、自分の意志を越えて、
戦いの表舞台へと引きずり出されていきます。

 宗教改革運動の合言葉は「聖書のみ」でしたが、カルヴァンは聖書をどのように読むかを
追求し、ジュネーブ教会で毎日聖書の講解講演を行い、また『ジュネーブ信仰問答』を作りました。
カルヴァンは御言葉の教育、教会組織の改革、キリスト者の良き生活という3本柱を掲げて
ジュネーブの教会を改革しました。特に教会員の霊的訓練と教会の運営に関しては、
ジュネーブ市会という世俗権力に委ねられていたものを教会の手に取り戻すために戦いました。

 カルヴァンにとって、信仰生活とこの世の生活が二元論となることは有り得ないことでした。
生活のすべてにおいて神の栄光を現すこと、それがクリスチャンのあるべき姿です。これは
「日本キリスト改革派教会創立宣言」に受け継がれていきました。
posted by 横浜中央教会 at 16:50| ◇月報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月10日

月報 2009年3月号

車の運転              
                                                            H.Y
 昨年四月から二人の娘の保育園送迎のため車の運転を始めました。ペーパードライバー歴は15年以上.とにかく車の運転が怖く、できれば一生車の運転をしたくなかった・・・。でも必要に迫られ、夫の励ましもあり、ペーパードライバー講習を受け、送迎を始めてもうすぐ一年になります。
  なんとか今まで無事故で運転できています。

 車を運転するにあたり、結婚するまで通っていた母教会の牧師先生から運転のお祈りを教えていただきました。
「神よ、無事に目的地に着くことができるため、確かな腕をもって、注意深く運転できるようにしてください。また、同乗者をも守ってください。路上では、互いに譲り合い、こまやかな配慮を欠くことのないようわたしたちを助け、あらゆる危険から守ってください。」『パウロ家族の祈り』より)

    このお祈りを教えていただてから、とにかく運転の前に祈ることにしました。祈ることにより本当に平安が与えられます。クリスチャンでなかったら、祈ることを知らなかったら、私は車の運転をしていなかったかもしれません。祈ることができ本当に感謝です。そして後ろにいる子どもたちにも一緒にお祈りしてもらっています。
   まだまだ、家と保育園、家と駅までしか運転したことがなく、駐車場も止められる場所は家と駐車場を借りているところの二か所だけですが・・・(-.-)
  今日も送迎の前にお祈りし、そして車の中で、“主イエスとともに〜歩きましょう〜どこまでも〜”と子どもたちと歌いながら運転しました。
   今日も私の車の運転を守ってくださり感謝します。
 
  追記: 当面の目標は、家に近くのコープとイトーヨーカドーに行けるようになることです。中央教会まで車で行けて、中央教会の駐車場に止められるようになったらもうすごいです!(^^)!


 イースター献金を捧げましょう!
                                                O.S
 私たちの教会の献金には、礼拝時に捧げる礼拝献金や毎月捧げる維持献金などがありますが、一年のうち特別な時期に捧げる献金としてイースター献金、夏期献金、クリスマス献金があります。
 イースター献金は主イエス・キリストの受難と復活を覚えて、夏期献金は半年間の主の恵みを覚えて、クリスマス献金は主イエス・キリストのご降誕を覚えて捧げます。

 今年は、4月5日から11日が受難週、10日が受難日、12日がイースターになります。私たちは、神様の前にあって罪ばかり犯し、その罪を自分ではぬぐいきれない、いつ神様に滅ぼされてもしかたのない者たちです。しかし、神様の御子であられる主イエス・キリストは、十字架を通して私たちの罪を一身に背負ってくださり、復活を通して私たちに永遠の命をくださいました。私たちは、日頃の生活の中にあって、なおも罪ばかり犯す愚かな者でありますが、救われた者として毎週の主の日ごとに感謝と讃美を捧げています。礼拝献金は、その感謝の一部であります。

  これからイースターを迎えるにあたって、私たちも自分の罪を深く覚え、主の前に懺悔するとともに、主の復活によって新しい命に生かされている喜びをかみしめていきたいと思います。この感謝の思いをもって、今年もイースター献金を御前にお捧げしていきましょう。
  今年のイースター献金の予算額は、40万円で昨年と同額です。経済情勢は厳しくなってきましたが、主への感謝の思いは昨年にもまして大きく表していきたいですね。
 
 『キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。死が一人の人によって来たのだから、死者の復活も一人の人によって来るのです。つまり、アダムによってすべての人が死ぬことになったように、キリストによってすべての人が生かされることになったのです。』(コリントの信徒への手紙第一 1・20〜22)
posted by 横浜中央教会 at 05:36| ◇月報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月10日

月報 2009年2月号

■礼拝と恵みの手段
                                        M.M
  先日、風邪を引いて寝込んでしまい、主日礼拝も欠席せざるをえませんでした。礼拝に出られず御言葉を聴くことができないことは、主イエスの恵みに与ることができない思いがして落ち着きません。主の日の礼拝を守ることがいかに大事なことか、改めて思い知らされました。

  キリスト者にとって「礼拝」は日々の生活の中心です。礼拝を欠いた信仰生活など成り立たないのです。たしかに、神は全ての人に天からの雨を降らせて実りの季節を与え、食物を施しておられる。(使徒14:17) 神を信じない者に対しても、です。しかし、「御言葉」と「礼典(洗礼、聖餐)」と「祈り」の恵みの手段は主イエスに連なる者だけに提供されています(ウ小教理88問)。それゆえ、キリスト者はこの特別恩恵の手段を通じて、強いときも弱いときも、しっかりと牧者である主イエスに導かれ、支えられているのです。「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。」(ヨハネ14:5)

  キリスト者にとって「礼拝」とはこの世の儀式や行事のような他律的、形式的なものでもなければ、また、人間の欲望や思いを一方的に願うことでも癒されるための手段でもありません。「神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶこと」(ウ小教理1問)を行動として最大に顕すもの、それが「礼拝」です。そして、「御言葉」「礼典」「祈り」の恵みの手段の全てを、時と場を定め、一同に与えられるのが主の日の礼拝です。
  御言葉と祈りは聖霊に導かれる時と場にあっては、いつでもどこでも主イエスにつながれる手段として有効ですが、兄弟姉妹・契約の子とともに恵みの手段を共にし、主イエスを拝する場が「公的礼拝」です。公的礼拝では、共に御言葉に聴き(聖書朗読と説教)、共に祈りを捧げ(公同の祈り)、共に聖餐に与り(聖餐式)、ときに洗礼の恵みに感謝する、のです。

  改革派教会は「主日礼拝」を重視する教会であると思いますが、それは習慣的に日曜日には教会に行くというものではありません。主イエスより与えられた恵みの手段を通じていつも主に結ばれているから(聖霊のお働きにより有効とされているから)、公同礼拝での「御言葉」「礼典」「祈り」を重んじ、主イエスより賜る恵みと祝福の大きさに感謝するようになるのです。そのように思えば、主日礼拝への備えとして、「自分と他人のため、とくに牧師とその奉仕のために祝福を祈ること、聖書を読むこと、きよいめい想をすること」(礼拝指針第4条)の大切さが分かります。


■福音を汲出すことのできない個所を説教するのは
                                       立石章三
 夕礼拝では昨年9月から士師記の連続講解説教をしています。士師記の17章から最後の21章までは付録の部分で、ここには士師は登場しません。「そのころイスラエルには王がなく、それぞれが自分の目に正しいとすることを行っていた」という言葉が最初の部分176と、最後の2125に出ていますので、この言葉を額縁のように用いて編集してあることがすぐ分かります。この言葉は181191にも繰り替され、「今は王が治めていて良かったな、それにしてもあの時代はひどかったな」と詠嘆しているのです。

 この部分には二つのエピソードが収録されています。第1の事件は、ダン族が恐ろしい虐殺をしてシドン人の土地を奪ったことです。ダン族は割り当てられたカナンの土地を取ることが出来ず、最初の予定地リストにはなかった北方に移動し、そこを占領した、というヨシュア記194048の裏事情を詳細に述べる記事になっています(レシェムとライシュは同じ)。しかし士師記ではダン族によって滅ぼされたライシュの住民が「静かに穏やかに」暮らしていたことが3回繰り替され、ダン族の無法振りが浮き彫りにされます。それにもかかわらず、後に「ダンからベエルシェバまで」という言葉がイスラエルの領土を表す表現として定着し、歴史書の中に繰り替し登場します(士師記20:1、サムエル記上3:20、下3:1017:11、列王記上5:5)。つまり人間の罪の結果取得できた土地だが、すべての背後には神の摂理があるのだと言いたいのでしょうか。

 第2次世界大戦の時、ナチスがフランスの修道院を襲い、修道尼たちにたくさん赤ちゃんが生まれた事件がありました。フランスのカトリック教会は、独身誓願をしながら赤ちゃんを出産せざるを得なかった修道尼たちをそのまま受け入れました。また生まれた赤ちゃんはフランス人として修道院が大事に育てました。教会は人間の犯罪の結果をも、神の摂理として受け止めたのです。私はこの事件を引き合いに出してこの聖書の個所を説教したのですが、今でも、あれで良かったのかと思い悩んでいます。ダン族は歴史の上では重要な役目を果たすこともなく早くに消滅してしまいました。イスラエル12部族の回復を表す民族表からもダン族は消えています(黙示録7:5-8)。

 二つ目の事件は、ベニヤミン族の恐ろしい性的犯行(ソドモとゴモラの事件を思い出させる言葉遣いが用いられる)のため、イスラエルの残りの部族がベニヤミン族を滅ぼそうと大戦争になったことです。この恐ろしい事件がなぜ聖書の中に記されているのか、私には分かりません。王国分裂に際してベニヤミン族は最後までユダ族と行動を共にしていますし、パウロは由緒正しいベニヤミン族出身だと、誇りをもって自己紹介しています(フィリピ3:5)。しかしメシアはベニヤミン族ではなくユダ族から出ることを強調したいのかもしれません。カナン取得の戦いに明け暮れて、殺戮にマヒしてしまったイスラエルの裏面史を、ことさらに強調することによって、聖戦といえども人間的には罪の要素がふんだんにあると警告したいのでしょうか。サウロ王の時代になっても「兵士はだれも剣や槍を手にしていなかった。持っているのはサウルとその子ヨナタンだけであった」(サムエル記上1322)はずなのに、「剣を携えた兵士○○万人」と5回も繰り返すのはこのような意図が働いたのでしょうか。皆さんはどう読まれるでしょうか。
posted by 横浜中央教会 at 04:31| ◇月報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月17日

月報 2009年1月号

新しい年に

                                     立石章三
 毎年新しい年を迎えるたびに「今年こそは」と、様々なことを決心します。聖書の通読もその一つです。皆様も全聖書を「読破した」という達成感を味わっていただきたいと思います。
 しかし聖書を読んでいても、地名や人名など、まるで分からないという個所もあります。特に旧約聖書では聖書の地図が頭に入っていないとチンプンカンプンです。しかしそれでも構いませんから聖書の通読をしましょう。時には表面的な字面だけ読んでいて、内容はさっぱり頭に入っていなかったということもあるでしょう。私などは聖書を音読していながら、頭の中に様々な思いが湧き上がってきて、聖書の内容に入り込めないということがしばしばあります。それでも一定時間まとめて読み続けていれば「あの記事は聖書の右側の頁の左の端にあった」などと頭にインプットされてきます。これが重要なのです。

 先週私は結構な時間を費やして、聖書の地図を二種類作りました。二階の掲示板と一階のリビングに貼っておきましたのでご覧ください。これはインターネットで「グーグル」の衛星地図を用いて、張り合わせて作ったものです。驚くことに、ベイルート空港も、テル・アビブ空港も、近くの空軍の空港もはっきりと判別出来ます。
 地名を印刷して糊で貼りましたが、ご承知のように、イスラエルと近辺の地名は時代によって違います。ガリラヤ湖は、旧約時代はキンネレト湖、イエスの時代はティベリアス湖と三つの名前があります。また口語訳聖書と新共同訳聖書でも(新改訳聖書とも)違います(ギレアデ→ギレアド、ヨッパ→ヤッファ、ゲラサ→ガダラなど)。この点については時代によって異なる名前の違いを無視し、同じ地図上に、聖書に登場する有名な地名をできるだけ貼ることにしました。従って地名はこれからも増えます。
 この作業をしていて、私はもう一度聖書の舞台が非常に狭いことに気づきました。ヤロブアムがエルサレム神殿に対抗してサマリアのベテルに建てる神殿は、エルサレムから約18kmしか離れていません(列王記上12:29)。ペリシテとイスラエルの争いがあれほど続いたのは、両者が近距離の中で複雑に入り込んでいたことによります。
 イスラエルの地図が身近になりますと、聖書を読む時の理解力もアップします。聖書の巻末にある地図を利用しながら、繰り替えし聖書を読み続けましょう。


思い出の中から

                                       立石圭子
 
 教会の一泊修養会や回顧と展望などでよく出るテーマの一つは「礼拝と子供」のように思います。そこで、20数年前の我が家ではどうしていたかな?と思い出してみました。
 主人と私が青年の時からいた東京教会にはたくさんのクリスチャンホームがあり、おのずとそれらの家庭を将来の見本として眺めていました。ですから、私たちに子供が授けられたときは大変参考になりました。

 当時の東京教会は礼拝堂の隣に小部屋があり、そこが小さい子のいる家庭の席でした。子供が大きくなるとその家庭は目出度く(?)礼拝本堂に移ります。両親が椅子の両端に座り、子供らはその間に座ります。乳幼児の頃から子供らは両親と一緒に、その足元でごそごそしていました。親が立つときは子供も立ちます。親が賛美するときは子供も賛美します。まだ字が読めない子には親が小さく歌詞を読みます。親が祈るときは子供に手を添えて祈ります。聖書朗読のときは子供も自分の聖書を開いて見ます。読めない子は親の指先を見ます。頌栄、祝祷のときも必ず子供を立たせたり抱き上げて、一緒に祝福をいただきます。
 前列や後列の他家の子供たちとは遊ばせない、という暗黙の了解が親たちにありました。前後の子らにちょっかいを出すとすぐ両家の親が「礼拝が済んでからね」と声をかけます。私たちの頃はお菓子も与えないように、みなで協力しました。もちろん子供をちょろちょろさせません。家の子供が複数になると時には親の目をかすめて礼拝堂へ行く子もいますが、他の方が抱きとめてくださいます。その方が長老さんだったりしますと、冷や汗ものでした。
 子供たちも朝早くから長距離移動をして教会に着くと、読みたい本、親が用意した音の出ない遊具などを持って席に着きます。そして大人と一緒に立ったり座ったり歌ったりですから結構疲れたと思います。やっと矢内牧師の長〜い説教が始まると読書に没頭?します。眠ってしまう子もいます。親は助かりますが(尾をひくこともあるようです)。

 その頃の父親たちは、最近のお父さんたちとは異なり、あまり子供の面倒を見ません。子供が泣いたり喚いたりすると母親任せ。泣き喚く子を抱いて玄関ホールへ出て行きます。そこは扉があり、先生の声が聞こえません。「たまにはあなたが連れて行ってよ!」「早く連れて行け」と小声で喧嘩になり、後で前列の友人が「わかるわ」、と慰めてくれたことも。礼拝が終わり報告の時となるとホッとします。子供らも遊具や本を片付けようとし、親の注意も薄れます。そんなあるとき、天国に召された新井長老がおもむろに立ち上がられ、「報告のときも礼拝中です」とおっしゃられました。ガーン、そのお声は天からの雷のように頭の中に響きました。「そっか、まだだったのね、フーッ」と。礼拝が終わるとみなさんが「いい子だったね」と言ってくださいます。うちの子らはある長老さんのお弁当の玉子焼きを楽しみにしていたようです。長老さんも土曜になると奥様に玉子焼きを注文しておられたとか。

 3人の子を連れて、新松戸、我孫子から往復3時間。礼拝中はもう子供のことで頭が一杯。集中して賛美も祈りもできない、ましていわんや説教など。日曜の夜、「私はいったい何のために教会に行っているのかしら。ただ疲れるためだけではないだろうか…」と思うと情けなく、悲しくなり、涙をこぼすこともしばしば。
そんな時思い出すのは、まだ青年会にいたときに聴いた「あんたたちは今勉強しておかないと、結婚したら10年はできないからね」とおっしゃった矢内牧師の言葉。そうかー、こういう状況をおっしゃっていたのね、と変に納得したものです。
 それでも何とか本を読みたいと、同年齢の子らを持つお母さんたちと「まきば会」(婦人会の中の一つの会で、その頃は開店休業中だった)を復活させました。月一回、昼食後、N長老にお願いして「キリスト教綱要・3巻」を読み始めました。何しろまきばに集う子羊がたくさんいますから、やれおしっこ、やれお乳、やれ何だのかんだのとしょっちゅう呼びに来ます。座っているのは長老と輪読当番だけ、いえ、長老お一人だけ…というときも多々ありました。これは私たちが所沢へ移るとき(末の子が6歳)まで続きました。その後メンバーや内容が変わりつつも、「まきば会」は東京教会で続いていたようです。

 東京教会の礼拝は2時間近くもかかりましたので、子供たちにとってもある面辛かったと思います。でもその中で、子供たちは「今は静かにすべき時、今は遊んでも良い時」と、時と場をわきまえられるようになったのではないかと思っています(親の勝手な我田引水)。
 私たちがいる頃から東京教会でもやはり、「子供と礼拝」についてはよく話題になっていました。母子室を作ろうか、幼児室を作ろうか、交代で面倒を見ようかという話も出ていました。でも一貫して「子供も大人も一緒の場所で、一緒に礼拝を守る、責任は親にある」に落ち着きました。「子供は騒ぐもの」とみなさん肯定し、我慢してくださっていました。親たちも子供と必死でした。そのような中から子供たちは信仰を受け継いでいくのだと思います。もし、大人たちの都合で子供たちを一緒の場所から締め出すなら、子供たちはもうその場所に戻らないと思います。ちょうど小さな子らがお手伝いしたがるときに、「かえって面倒だから」と手伝わせないでいると、それができる年齢になったときはもう遅し、手伝わないというのに似ているように思います。

 今小さなお子さんたちを抱えていらっしゃるご両親たちは、私の時と違って、見本がない中で悪戦苦闘していらっしゃるので、「偉いなぁー」と感心しています。子供は決して止まってはいません。あっという間に成長します。今思いっきり学べなくても、奉仕できなくても必ずできる時が来ます。私も「奉仕ができないどころか、かえってやかましく、ご迷惑ばかりおかけして…」と悩んでいたときに、「今しかできないこと(子供といっしょにいること)に集中して、出来るようになったらしていただくからね、順繰りなんだから」とおっしゃっていただきました。それが有機的な教会の姿の一つの具体例だと思います。往年のまきば会メンバーたちに数年前からその順番が回って来ました。それぞれのところで感謝して奉仕しています。私は東京教会では十分奉仕できませんでしたが。
 私たちの教会には神様の恵みの中にいるたくさんの契約の子らがいます。感謝です。「教会の子」として、みんなで一緒にその成長を祈り、見守りたいと思います。そして一緒に神様の祝福に預かりたいと願っています。 
 

★会計報告は本日発行の年報に記載されていますので割愛しました。
編集子

posted by 横浜中央教会 at 15:47| ◇月報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月22日

月報 2008年12月号

今年の教会会計と来年の予算について
                                        C.Y 

今年の経常会計の実績見込みは1150万円(昨年は1100万円)の献金が見込めそうです。支出の方も1150万と予算通りにて2008年も終わりそうになっております。融資金返済会計は390万円(予算240万円)の献金が見込めそうです。
この内200万円は年初予算化されていない10月の大口の献金でした。ですから通常の献金は190万円くらいで終わると見ています。このように予算に達しない要因としましては、昨年から2年にかけての20周年記念事業会計に主力が回ってしまったからだと考えています。
返済のほうは500万(20周年記念事業として)と急きょ返済を決定した300万円とあと150万円です。東京教会からも20周年のお祝いとして500万円の借りていたお金をすべて債権放棄というかたちで献金にしていただきました。来年への繰越は350万円くらいの赤字で繰り越すこととなります。この会計処理をどのようにするかは、小会と執事会で話しあっていきますので、祈りに覚えていてください。
 20周年記念事業献金につきましては2007年度と合わせまして収入合計が2690万(献金、融資、ファンド会計、2007の剰余金)で支出が2530万円(牧師館購入及びリフォーム、会堂リフォーム、20周年記念会、記念誌)くらいかかるとみています。20周年事業会計は今年までの会計ですので来年はございません。今月いっぱいまで受け付けていますのでよろしくお願いいたします。
 最後に、経常会計は予定通りに終わりそうですが、特別会計は予想しなかった献金と融資返済で予算の額を遥かに超えてしまいました。年初3870万円の借金残高が、今年追加の融資金1240万円を加えて5110万円となりましたが、東京教会の500万円を合わせて1450万円を返済したことになり、残額3660万円に減額されたことは非常に感謝です。あくまでも今年の会計は終わっていないので、会計を締めてから年初にまた詳しくご説明いたします。


 クリスマス
                                                    I.S 

もうすぐクリスマスがやってきます。
クリスマスとは、私たちクリスチャンにとってはイエス様の誕生した大切な日です。
この日に備えて心もそうですが、色々準備をします。
しかし、クリスチャンでない人たちもこの日を楽しみにしたりします。
教会に出会う前の私もそうでした。 
子供のころ・・・
私の実家はクリスチャンではないのですが、クリスマスになると小さいながらも毎年クリスマスツリーが登場し、クリスマス当日にはケーキや普段よりほんの少し豪華になった食卓が上りました。
 
成人して・・・
親しい人達と集まってパーティをしたり、きれいに飾られたイルミネーションを見に行ったり、プレゼントをもらったり渡したりしてました。
 
こうして振り返ってみても、以前の私はクリスマスの本当の意味も理解してなく(イエスキリストの誕生日とは知っていましたが・・)、ただただクリスマスを「イベント」としてとらえて、楽しんでいただけでした。
 
そして、クリスチャンでない人たちの大半はこうした気持ちではないかと思います。
その人たちには、欲を言えばもっと私みたいに少しでもイエス様のこと、クリスチャンのことを知って欲しいとは思いますが、でも、この日を楽しい気持ち、うれしい気持ちで待ちわびて準備をし、当日お祝いするという事では、大きい意味では一緒なのかな…と思いました。と、同時に、こんなに大々的にクリスマスがお祝いされるなんて、改めて、イエス様の大きさを感じぜずにはいられません。
 クリスマス。。
クリスチャンの人もそうでない人も、いつもよりほんの少しでも幸せな気持ちで迎えられたらとても素敵なことだな。。と思いました。


  神様への告白      2008年 ・・・クリスマスの時・・・                                                                              
                                               N.S
 

主よ、私は あなたをほめたたえます。 主よ、私はあなたに感謝します。
主よ、あなたは まことに生きておられます。あなたは、私と共にいて下さいます。
 神様、あなたを 愛することを 教えてください。
 あなたの愛の視線から 私が目を離すことがないように・・・  あなたから離れて、無駄な時間と人生を浪費したくありません。 あなたが与えてくださっている時を あなたと共に 麗しくつくることができますように・・・
 ただ、神様が決めて下さっているように私を生かして下さい。
     あなたを握らせてください。 あなたと見つめ合わせてください。
     あなたの愛の眼差しに いつも喜んでいられますように・・・
  心、満たされていられますように・・・平安といのちを味わうことができますように・・・
 主よ、私は幸せです。 あなたが私を愛し、救いを与え、
天国のすべての良いものをもって祝福してくださいましたから。
 私は、今まで あなたに 不平を言い 足りない物を数えました。
 でも、あなたは 私に必要なすべてを与えてくださっています。
 そうです。本当に必要なのは あなただけです。  

     わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。 
         この並外れて偉大な力が神のものであって、
       わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。(第二コリント4:7)

 神様は、才能や能力、経験や学識・学歴をも用いられると思います。 でも、
それらがあったとしても、どうしてもなくてはならないものは 生けるあなたご自身です。

        私があなたと共にいる時、あなたの栄光と御力があらわされます。
        私が あなたの中にとどまる時、あなたが実を結んでくださいます。
                      あなたが約束してくださいましたから。    (ヨハネ15:1〜16)

 神様! 私を いつも あなたの力強い愛の御手で捕らえて下さい!
 あなたの愛は すべての人が 所有しても 無くならず 尽きることがありません。
      一人一人の心の中で豊かになって 溢れ流れ出る いのちの泉・川となります。
 あなたの愛と救いが人々に届きますように・・・
 神様のかたちに美しく造られた私たち人間なのに、罪によって壊れてしまった心や
 人間関係がイエス様によって回復されますように・・・
 私たちのうちに 神様のかたちが新しくつくられますように・・・

         心の清い人々は、幸いである。その人たちは神を見る。(マタイ5:8)

 神様! あなたの御声を聴き、あなたを目で見、手で触り、あなたと親しく会話する者に
してください。 神様! 私たちを 神様を知る者にならせてください。
posted by 横浜中央教会 at 19:23| ◇月報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月15日

2008年11月号 月報

一泊修養会 全体会報告
                                             I.C

 二日目の最後にもたれた全体会では、河西姉・大木姉・中條兄が各分団の報告をしてくださったことを受けて、話し合われました。おもに話題となったものについてご報告します。

祈りの交わりについて
 わたしたちクリスチャンが、お互いの祈りの課題を挙げて祈り合うということを、どのように考え、実行に移して行ったらよいかという問題提起がなされました。ここで確認したのは、お互いのことを洗いざらい語る必要はないということです。
教会は、それぞれ事情を抱えた者たちが、語りたくないことは語らないままでつきあうことができる、大人の集まりだからです。某大学で勧誘活動をしていた集団は、個人情報をどんどん共有して祈り合うだけではなく、お互いの生活を監視し合い、縛る「異端」であると警告されていることも紹介されました。
 しかし、わたしたちが自分のことを聞いてほしいと願う兄弟姉妹と祈り合うことは自由ですし、礼拝後の会堂は静かに語り合ったり祈ったりするのに最適です。大いに活用して、教会を祈りの家としていきたいものです。また、年に一回でも公同の祈祷会に出席できるようにめざしたいと思います。

葬儀について
 仏式の葬儀に参加する機会が多い日本にあって、クリスチャンが信仰に基づいて行動するにはどうしたらよいか話し合われました。
 家族や、友の大事な人が亡くなった場合でも、故人への礼拝行為たる焼香はできないというクリスチャンとしての葛藤、しかし悼み悲しんでいる遺族を思うとどうしたらよいのかという悩みも生まれてくるわけです。焼香はせずに、花一輪を用意して焼香台に置き、遺族だけに礼をするという、以前から牧師が話しておられた方法が、私にとっては最善でした。「焼香しないなら参列しない方が礼にかなっている」と語る知人を思い出しますが、結局は人がどう思うかではなく、神様の御心にかなうことを第一とするべきなのだと語り合うことができ、励まされました。
  修養会で確かめ合った、改革派信仰の具現化をめざしていけるよう祈ります。 


          「神様にみちびかれて9月21日は、
                    私にとって最も大切な日に」
                                        M.Y
  受洗を迎えるまで、私にはかなり長いシナリオが用意されていたように思う。聖書や神様に接する機会は、多くあったが気にも留めず、素通りしていた。
 信仰のなかった私の40年間には、様々な出来事がありました。その中でも私にかなりのダメージを与えたのは、娘の右目が先天性白内症であったことや、ある日突然娘が学校へ、行かれなくなってしまった事でした。
 白内症によって失った視力の事に対しては、娘が成長すると共に、娘の個性として少しずつ受け入れられるようになり「上手く付き合っていけばいい」「なんとかなるさ」と思えるほどになっていきました。
 しかし、学校へ行けなくなってしまい、自分自身を攻めていた娘の姿を、何時も心配しながらの毎日は辛く苦しくとても抜け出す事の出来ない気持ちでした。信仰を持っていない私でしたが、毎日「神様どうか救い出してください」と祈っていたのです。
神様に祈る事が出来たのも、娘の通っていた学校で教えられそして、娘と一緒に出席していた日曜学校において、立石牧師が話される神様の御言葉を聞き、その話が心に響く事を多く体験したからだと思うのです。暫く、娘の事で苦しくて誰とも接する事が出来ない日々を過ごしていましたが、もう一度、立石牧師から話される神様の御言葉を聞きたいと感じ教会へと再び訪れました。
 訪れたその日、教会の皆様が優しく迎え入れてくださり、教会は私の心の安らぎの場となったのです。礼拝に出席する度に、幾重にも重なった鱗がハラハラと剥がれ落ち、心が徐々に軽く温かくなってくる感覚になりました。その度に「神様、有難う」と感謝しました。
 その時から、私は神様を心のよりどころとして信仰していこうと決めたのです。今は、娘の事での苦しみから抜け出す事ができ、登校拒否を続行中の娘に対しても、神様が見守って下さっていると安心して、毎日を過ごしています。
(9月21日に受洗されました)


   イエス・キリストの枝 横浜中央教会
                                            C.K
ルターやカルヴアン等の宗教改革により、地上の見える教会の一つ、中世カトリック教会はいわゆる旧教と新教に別れました。それからほぼ500年が経とうとしています。
私共の日本キリスト改革派教会はどの様な群れでしょうか。名前が良くないと言う人もいます。しかし、私共の日本キリスト改革派教会は、宗教改革の時代のカルヴアン主義の流れを忠実に守り、神の主権を第一に、思いと行いでもって信仰を示す教会です。神様は、私達罪人の救いのために贖い主イエス様を与え、贖いを完成させて下さいました。この罪深い人類を救う手順を私達罪人でも理解出来る様にと神様の御旨を記した聖書を与えて下さいました。この聖書を唯一の神様の御言葉として受け入れているのが改革派教会です。
世界にキリスト教会と呼ばれ、自称している集まりは多くあります。イエス様の教えから完全に離れ、悪魔の教会と呼んでも良い様な組織もあります。充分に気をつけましょう。主イエス様を受け入れ完全に従おうとしている群れ(教会)にも、私達改革派教会と様々な点で異なる群れがあります。
まず第一に教会政治の仕組みから見ても『長老制』『監督制』『会衆制』があります。私達の教会は、『長老制』です。複数の長老が立てられ、教会の群れを養い育てる仕組みです。教会の全ての事柄に付いての責任(イエス様に対しての責任)は、長老の会議(例えば小会)が負うことになっています。
ローマカトリック教会やインマヌエル教団系は『監督制』と呼ばれ一人のトップとそれを補佐する人達で教会を動かしています。バプテスト系等の教会は『会衆制』と呼ばれ、直接民主主義会議の様な方法で教会を動かしています。
横浜中央教会は、長老制の教会です。この教会の特徴の一つは、神様との契約を重んじ、恵の『幼児洗礼』を授ける事です。
改革派・長老派教会のもう一つの特徴は、神が与えて下さった聖書を理解するのに聖書のみを用いて、聖書の全てを教えられようとする教会です。また、次の事柄を理解しようと努力する教会です。また、理解しています。
全的堕落、無条件的選び、限定的贖罪、不可抗的恩恵、聖徒の堅忍上の五つの意味等は、予定の紙面がありませんので、残念ながら割愛させていただきます。牧師先生にどんどんお尋ねに成って下さい。


  延命治療について思うこと
                                            K.Y
 人は必ず死を迎えますが、死に至る過程は様々です。事故、事件で突然死亡する場合もあり、ガンなどで、闘病生活の末、天に召されることもあります。事故にもあわず、病気にもならずに老衰で死を迎えることもあります。
 老衰になりますと、食欲がなくなり、寝たきりとなり、栄養失調、脱水からやがて死を迎えます。多くの方がこのような安らかな死を望んでいると思いますが、近年の医学の進歩により、死の迎え方に変化が起こってきました。
老衰からくる食欲不振、脱水で病院を受診しますと、点滴治療である程度症状は改善します。ただ、通常の点滴では必要な水分を補うことはできても、必要な栄養分を補うことはできません。そこで、次にどのような治療を行うのか選択を迫られるようになります。具体的には、@点滴を中止し、自然な形で看取る。A点滴を続ける:栄養分が不十分な為、いずれ亡くなることになる。B経鼻胃管(鼻から胃まで管を入れる)や胃ろう(手術をして、お腹から胃に直接管を通す)で流動食を胃に流し込む治療(経管栄養)を行う。通常その後何年間か、ねたきりなどの要介護状態を経て死を迎えることになりますが、手術に伴う合併症の為、早期に亡くなる方もいます。点滴や経管栄養の治療法のない時代には@しか選択する余地がありませんでしたが、治療法の進歩に伴い、選択肢が広がってきました。特にBは延命治療のひとつと考えることができます。
私の勤務する病院にも老衰と思われる方が入院してきます。ご本人にどのような治療法を希望されるのか確認することは難しい場合が多いので、ご家族に希望を伺うことになります。ご家族により希望されることは様々であり、時に家族同士に対立が起こることもあります。そのような時、死にゆく方に関わらせていただく者として、どのようにすることが主の御心なのかといつも思います。イエス様の時代には@しかなかったので、聖書に解答を求めても当然直接的御言葉は出てきません。@が良いように思うこともありますが、治療法がある現在、Bを行わないのははたして正しいことなのかどうかと、迷いが生じます。私自身の個人的な希望としては、老衰となったら、点滴、経管栄養をせずに自然な形で看取ってもらいたいと考えています。
皆さんはどう思われますか?

 「あなたがたが年をとっても、同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう」(イザヤ書46:4 新改訳)


                       待ち望む時         
                                       N.K

  毎年、クリスマスを迎えるこの時期には、Kさんのことを思います。

  私が教会に行き始めたのは就職後で、同じクラスを担当する方に誘われたのがきっかけでした。その方は1年後に他県に転勤していかれたのですが、その跡を引き継ぐようにして、ご友人のKさんご夫妻が折りにつけ私を助け、信仰を励ましてくださいました。
 1993年、奥様から悪性の腫瘍が発見され、厳しい闘病が始まりました。6月からはホスピスに転院して初めは自宅療養をし、後には入院なさいました。その間、何度かお見舞いに伺いました。たいへん緊張するお見舞いでした。いくらかでも慰めになれば、と思いつつも、未熟な信仰の私に何ができるか、かえって傷を与えるようなことがあったらどうしよう、と祈って祈って神様に委ねつつの訪問でした。姉はそんな私を温かく迎え、負っている苦難とその中での主の恵みについて証ししてくださいました。
 「私たちが『地上では旅人であり、寄留者である』とみことばにあるけれど、それが本当だってわかったわ。この世のものは何一つ持っていけない。でも、天国ではイエス様が私自身を迎え入れてくださる。」 12月の半ばにホスピスの病室を訪ねた際、いよいよ苦しみの中にありつつ不思議なほど顔がふっくらとして表情は輝いて、姉の信仰が美しく透き通るようになっているのが感じられました。
 12月19日、この年のクリスマス礼拝の午後、教会では祝会が行われていたその途中、一つの知らせが伝えられました。姉の病室に家族が集まってクリスマスの礼拝を捧げ、その後しばらくして眠るように召されたとのことでした。
  クリスマスと天国は、主にお会いする喜びと救いのすばらしさを味わう点で重なります。イエス様のご降誕を待ち望むアドベントは、天国の希望、再臨の期待をも特別に強く感じる「主を待ち望む時」です。
posted by 横浜中央教会 at 19:34| ◇月報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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