2016年12月03日

イエス・キリストの名によって祈る

論壇    イエス・キリストの名によって祈る     1242016


 世界には様々な宗教がありますが、祈りの最後に「〇〇の名によって祈る」というのは、キリスト教以外では聞いたことがありません。従って「イエス・キリストの名によって祈る」ということがキリスト教最大の特徴と言えるでしょう。私たちはなぜこのように祈るのでしょうか。それはイエス自身がそのようにヨハネ福音書で教えたからです。


「私の名によって願うことは、何でもかなえてあげよう」(1413

「私の名によって父に願うものは何でも与えられるようにと」(1516

「あなたがたが私の名によって何かを父に願うならば」(1623

「あなたがたは私の名によって願うことになる」(1626

 ウェストミンスター信仰基準は下記のように教えています(要約)。


小教理98問:祈祷とは何ですか。

 答:キリストの御名によって、神に私たちの願いをささげること(この証拠聖句が1623)。

大教理180問:キリストのみ名において祈るとは、何であるか。

 答:キリストの命令に服従し、またその約束に信頼して憐れみを願い求める。

大教理181問:なぜキリストのみ名において祈らなければならないか。

 答:我々は仲保者なしに神のみ前に近付くことができないから。


 つまり、キリストが神と人間の間に立つ「仲保者」であることが最も重要なことです。罪あるすべての人間は神の前に立つことはできませんから、仲保者なしでは人間は滅びるしかありません。


 諸宗教では人間が「神」に直接訴えることができます。「神」と人間との距離が短かく、親しい関係です。神に何かを祈る資格が自分にあるだろうかと反省することもありません。ここに真の宗教の厳しさがあります。今年の流行語大賞はプロ野球から採られた「神ってる」だそうですが、これほどまでに日本人の神観は安っぽいのです。普通の人の能力を越えたものは何でも神になってしまうのです。


 仲保者は過去・現在・未来、全人類の代表でなければなりません。また私たち人間の苦しみを、自分の苦しみとして分かる人でなければなりませんから、人から生まれた真の人間でなければなりません。しかし神の前に立つ罪なき人、人間を救う能力を持った神でなければなりません。 人であり神である(二性一人格)者など、人類の中から生まれて来るはずはありませんから、神はご自分の第二位格(子なる神)を受肉させ、人として生まれるために、人類の中に送り込んで来られました。これがクリスマスの意味です。従って神に向かって直接祈る資格などない私たちは、神と人との仲介者、イエス・キリストを私の救い主、仲保者として、この方の名によって(名を引き合いに出して)祈るのです。

posted by 横浜中央教会 at 20:54| ◇論壇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする