2016年09月17日

ヨハネ福音書前半の終わり

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 本日の説教個所12章までが、ヨハネ福音書の前半です。これは「しるしの書」と呼ばれ、ヨハネはイエスの7つの奇跡だけを記録しました。13章以降の後半は「受難と栄光の書」と呼ばれ、十字架直前でのイエスの説教、祈り、逮捕と裁判を描き、十字架と復活で結びます。


 ヨハネは前半を終えるにあたって二つの事柄を記します。その一つはキリスト教会が紀元1世紀に誕生し、地中海世界に広がっていく中で最も議論された問題、「ユダヤ人が待望していたメシアを、なぜユダヤ人は拒絶したのか」または「神の選民であったはずのユダヤ人はなぜ救われないのか」という「ユダヤ人問題」です。当時のローマ世界の知識人たちも尋ねました。「一番旧約聖書を知っているユダヤ人たちが否定するのなら、どうして我々が信じることができるだろう」。2世紀になると、護教教父ユスティヌスという人がユダヤ人トリュフォンと、この問題について議論した書物があります(『トリュフォンとの対話』)。


 ヨハネ福音書よりずっと前に書かれた「ローマ書」で、パウロはこの問題について長い論文を書きました(91011)。「ユダヤ人がつまずいたとは、倒れてしまったということなのか。決してそうではない。かえって、彼らの罪によって異邦人に救いがもたらされる結果になりました」(1111)。


 ヨハネの説明はパウロと異ります。「ユダヤ民族が信じなかったことにおいて、イエスは預言されていたメシアだと分かったのだ。なぜならイザヤが預言したことがイエスにおいて成就しているからだ」。これはイザヤ書6章で神がイザヤに託された預言(説教)は、「行け、この民に言うがよい。よく聞け、しかし悟るな…悔い改めていやされることのないために」(6910)という不思議な宣教命令でした。また53章の「受難のメシア」で預言されたとおりのことがイエスの上に起こったことから分かる。これがヨハネの説明です。


 二番目は、ヨハネはこの福音書の前半を閉じるにあたって、イエスの今まで言われた説教を要約して、再度ここに編集して強調しています。注解者によっては「イエスはこれらのことを話してから、立ち去って彼らから身を隠された」(12:36)のだから、「イエスは叫んで、こう言われた」(12:44)のは矛盾する。誰も聞き手がいないではないか。だから4450節は36節aの後につなげるべきだ、と主張する者もいます。そうではありません。4450節は、ヨハネ福音書全体の、前半第1部を総まとめする、ヨハネの編集句なのです。

posted by 横浜中央教会 at 18:42| ◇論壇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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