2016年07月03日

ヨハネ福音書の時代性

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 「ユダヤ人たちは既に、イエスをメシアであると公に言い表す者がいれば、会堂から追放すると決めていた」(ヨハネ922)。この文章の時代性について昔から議論があります。


 それは、イエスの公生涯(宣教活動期間)3年の間にイエスをメシアであると「公」に告白することが、一般のユダヤ人にはなかったのではないか。また十字架後でも使徒たちはエルサレム神殿に毎日集まって礼拝することができた(使徒言行録246)。会堂追放という状況があったのは、ヨハネがこの福音書を書いている紀元100年頃のことであって、ヨハネはこれを福音書の中に書き込んだというのです。


 ヨハネ福音書の連続講解説教を昨年9月から続けてきましたが、ヨハネはイエスの十字架後からもう70年近い年月を経て、イエスの思い出を何千回と繰り返し説教したり、自分の弟子たちに語り続けてきたのです。ローマの流刑地パトモス島に流された老ヨハネの世話をするために、多くの弟子たちが回りにいたでしょう。その者たちに向かっても、ヨハネはくりかえしイエスの言動を思い出しながら語り伝えてきました。ヨハネ福音書の中には、イエスの言葉とヨハネの言葉が渾然一体となっているのです。3章のニコデモとの会話の後半などは、もう区別できないほどにヨハネの中にイエスの言葉が溶け込んでいます。


 9章の盲人癒しの記述方法は、共観福音書の盲人癒し記事とは明らかに違っています。「生まれつきの盲人」が強調されますが、これは生まれつきの罪人である私たちが、「遣わされた者」イエスによって目が見えるようになることを意味します。シロアム(遣わされた者)というヘブライ語の意味がわざわざ説明されて伏線が張られています。


 9章の盲人癒し記事は、初代キリスト教会の洗礼式の時に朗読されました。またローマの地下墓地(カタコンベ)にはこの事件の壁画が多く描かれています。私たちはシロアムの水によって洗われるのです。


 ヨハネ福音書では最初から闇と光の対決が描かれています(1:5910

イエスは自分を「世の光」であると宣言しました(812)。生まれつきの盲人は今まで闇の中を歩んできましたが、イエスによって光の中に導き入れられました。その反対に「見える」と言い張るユダヤ人たちは、イエスを拒むことによって、実は闇の中に留まることを選択したのです。 ユダヤ人たちは「我々はモーセの弟子だ」と自慢しました(9:28)が、クリスチャンたちは「我々はイエスの弟子だ」と主張しました。これはユダヤ教とキリスト教がはっきりと別れていく、初代教会の象徴的な言葉となり、ローマ帝国の迫害にさらされることになりました。

posted by 横浜中央教会 at 20:00| ◇論壇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする