2016年01月23日

「信じる」とは

論壇:          「信じる」とは           1242016


 ヨハネはイエスの多くの奇跡の中で7つだけを紹介し、その最初の二つだけを「最初のしるし」(2:11)、「二回目のしるし」(4:54)と呼びます。この2回のしるしの間に「信じる」という言葉が繰り返し使われています。「弟子たちはイエスを信じた」(2:11)、「弟子たちは…聖書とイエスの語られた言葉とを信じた」(2:22)、「女の言葉によって、イエスを信じた」(4:39)「イエスの言葉を聞いて信じた」(4:41)、「イエスの言われた言葉を信じて帰って行った」(4:50)、「彼もその家族もこぞって信じた」(4:53)。それぞれどう違うのでしょうか。どうやらヨハネは、信じるという信仰には三つの段階があると言っているように思えます。


 第1段階は「イエスは普通の人間ではない。特別な神の力を持っている」ということを、しるしを見て、またうわさを聞いて信じる段階です。サマリアの人々は女の証言によってイエスを信じましたが、イエスという預言者が存在することを承認したという段階でしょう。ヨハネ4章の役人は、瀕死の息子をかかえていましたが、イエスのうわさを聞き付け、藁にもすがる思いでイエスを信じ(すがり)、30Kmも離れたカファルナウムからカナへやって来ました。これだけでもかなりの信仰と言えるでしょう。しかし彼の信仰では、イエスが足を運んで、直接息子にふれて癒さなければ助からないと思っていますから「子供が死なないうちにおいでください」と頼んでいます。イエスの神通力は死人にはきかないと思っています。


 第2段階はイエスの言葉を信じるという信仰です。役人は「あなたの息子は生きる」と保証したイエスの言葉を信じました。つまりイエスの言葉には、リモート・コントロールによって癒す力があると信じて帰って行きました。


 第3段階は、イエスの言葉が真実であったことを確認して、今までのイエスへの信仰が固まり、命を与えることのできる方、つまり神としてイエスを信じる段階です。役人は家族に伝道し、彼の確信に満ちた証しを聞いた家族も信じました。つまり彼の信仰は家族の心も変える力を持ったのです。家族はイエスを見たわけでもないし、イエスの言葉を聞いたわけでもありません。役人は心も性格も表情も変わってしまったのでしょう。それを見た家族は、このように彼を変えた力を見てイエスを信じました。


 イエスが地上におられない現代の私たちには、第1・第2段階による信仰はありません。役人の家族と同じ立場です。信じるとは単なる知的承認ではありません。信じるとは、イエスと私の間に「依り頼む」人格関係が、聖霊の働きによってできることです。私たちは聖書の証言によって、私に新しい命を与え、私を罪から救ってくださるイエスを、救い主として信じるのです。

posted by 横浜中央教会 at 13:45| ◇論壇 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする